>中村元著「ブッタ最後の旅」の何ページに?

手元の本だと170Pだよ。

>第一結集の時に確認された遺教

遺教というのは何を指すのですか?

いずれにせよ、法華経が表に出るのは時期尚早でしょう。
「法華経」自体に「むやみに下根の衆生に説いてはならない」と釈迦が戒められているのですから。

別スレで書いたのをコピペ
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仏典研究もまだまだ研究者の間でも様々な意見があり、完全に確定したものではない。
これからも更に深い研究がなされ、どう変わって行くのかわからない。

<Wikiから抜粋>

中村元は「サーリプッタに説いたブッダの教えはいったいどこにいってしまったのか」と述べ、
増谷文雄も「ブッダがサーリプッタに説いた宗教的深遠な教えは、阿含部経典よりも多かったに違いない」として、
"ブッダはサーリプッタに対して、深遠な思想を説いたが、その内容は阿含経典には残されていない"という趣旨の主張を行なっている。

しかしながら、中村・増谷らの「阿含経典に見られない、宗教的により深遠な教え」をブッダはサーリプッタに対して説いていたはずであるという主張は文献学的に何の根拠もなく、証明不可能である。

さらに中村元は、著書の中で最初期の仏教が縁起真如を説いていたという独自の説を述べている。
上座部、説一切有部が縁起を時間的生起関係からのみ解釈したのに対して、最初期の仏教は縁起を存在論的な観点から説いていたのであり、
縁起に真如を見るという思想は、一切衆生悉有仏性という大乗の教えそのものである、といった主張もなされている。

近世以降の大乗非仏説には、宗教に関するインド人の伝統を無視している、との批判がある。
それによれば、「インドでは古来、宗教の聖典は口伝によって伝承し、文字にして残さないという伝統があった。
よって、釈迦が大乗仏教を説いていたとしても、釈迦の死の直後に文字に記されなかったことはむしろ当然であり、
釈迦の死の直後に記された大乗経典の実物が発見されていないことは大乗仏教が仏説ではないことの根拠にはならない」とするものである。