>>474 神も仏も名無しさん 2021/04/06(火) 11:35:53.83ID:r4USgZPw
> 漏盡智が證知する状態は2〜5です。
> 「1. 一切の有漏煩惱を斷盡し 」は含まれません。
> つまり漏盡智とは「一切の有漏煩惱を斷盡し」=煩悩を断ち「2〜5の状態を證知する」
> =解脱を確認する智であることになります。

自分で矛盾のある説明をしていることに気がついていませんね。1. の項目
「一切の有漏煩惱を斷盡」していることを「證知」しないのは「解脱を確認する智」
とは言えないはずなのに、一番大事な要素を意図的に省いている。

> 舎利弗阿毘曇論第十に「云何が漏盡智證通なる。若し智生せば、有漏盡きて無漏の
> 心解脱慧解脱を得、現世に自ら行を成就し、我が生すでに盡き、梵行すでに立ち、
> 所作すでに辨じて復た有に還らじと證知す。是れを漏盡智證通と名づく」と云ひ、

舎利弗阿毘曇論第十にもそう書いてあるし、大正新脩の当該部分にも

> 云何漏盡智證通。若智生有漏盡得無漏心解脱慧解脱。現世自證知成就行。
> 我生已盡梵行已立。所作已辦不復還有。是名漏盡智證通。

とある。これだけはっきりと書いてあるうえに書き下し、解説されているところを
繰り返し書いてきているのに自己矛盾あふれる説明を垂れ流す。引用範囲も不適切で
物事を説明する態度とはとうてい言えません。