>>241

「什一献金をしたらした分だけ神様のお恵みが増す。それは実際に十分の一を神様に
お返しした人にしか体験できない恵みだ」「した人にしかできない体験だから是非」
などという牧師がよくいる。
私自身は日本イエス・キリスト教団の教会でそう説明された。福音派の牧師にも
什一献金を重視する人が多いようだ。
私は釈然とせず十分の一は納めなかったが、周囲の信徒の態度がとても冷たく
なった。受洗時は大歓迎されたのに、献金額が少額だとわかった途端にその対応だ。
(プロテスタントの小規模教会では各人の献金額は皆に筒抜け)
よく考えてみれば「献金の分だけ恵みが増す」なら、それは聖書信仰を標榜する
福音派が強く批判する「行為義認」そのものではないか?
福音派の牧師や信徒はカトリックを「聖書の教えに反する行為義認」として批判
するのに、自分たちは神様の恵みを増すための什一献金を重視する。矛盾だ。

ちなみに現在の私は日本基督教団の教会の礼拝に出席中です。ただ、日本基督教団
も信徒減少に悩んでおり、本音では月定献金を月1万円くらいはほしいみたいです。
聖公会や福音ルーテルも同程度なのでしょうかね?
最近は、聖書を開いて教会のことを思い出した途端に金(献金)のことが頭をよぎり
ます。なさけないですよ。