構成要素の最小単位、つまり素粒子、仏教では極微と云うそうですが、その極微が刹那生滅を繰り返しており、その集合体である色、富士山も刹那生滅してるというの倶舎論で説かれているのですが、ぱっと見して、富士山が刹那生滅してるとかピント来ないでしょ?

それよりも、それを認識してるこころ自体が刹那生滅していると観じる法がスッキリするって事なんです。