>>491
一九 人々が世界を妄想しているがごとくには、かれら自身は生起していない。
 この生起なるものは妄想であり、外界の対象(事物)は存在しない。

中公文庫 瓜生津隆真訳
19 世の人々は世界を妄想している(が、世界は生起していない)ように、
  彼ら自らも生起しているのではない。なぜならこの生起とは妄想であり、
  外界の対象(もの)は、存在しないから。

この第十九偈をチベット本の一つは欠いているそうです。
サンスクリット本は増広があるそうですので、後代の挿入の可能性があります

さてとはいえ、18偈に立てば、
富士山は我々の心の妄想が作り出しているだけで存在しないかのようですが
第三偈で
「また移り変わるもの(諸行)は、かの世においても、この世にあっても、
実体として生じたものではなく、条件によって生じたものである。
 それら(諸行)は、まさしく空であり、全知者(のみ)よく知るうるところである」
とありますので、唯心論ではなくて、縁起論です。
不変の実体として生じているのではなく、縁起によって一時的に現象している
と説いているだけです。富士山も一時的現象しているわけですね