油井真砂 禅尼【 信 心 と 坐 禪 】を紐解く
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ようやく油井真砂禅尼の著作の著作権が終了し、Googleドライブ初めAmazonブック、楽天コボなどのネット上で読むことが可能になりました
アップされているのは2種類あって、本そのまま写したものと、改めて文字起こししたものの2種です、
見易く任意のページを直ぐに探せるのは【Googleブック】のもので、開いてPDFとしてダウンロード可能です。
このスレではこの【信心と坐禪】を紐解き、特に【色界四禅定・無色界四禅定】に特化して、その過程とその境地の内容について語って行きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
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このアプリ入れておくと便利ですね、様々な形式に対応しています。 禅は意識の世界なので、禅を語る前に【脳】に付いて興味深い記事を貼っておきます。
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IBMのある研究者が、「脳は、安静時に何をしているか」を示す仮説モデルを提示したのです。
安静時というのは、読書や考えごとはおろか、全く何もしていない場面です。
モデルを提唱したIBMの神経科学者James Kozloski氏は、
これを【グランド・ループ】と名づけました。 【グランド・ループ】とは
《 脳 が 神 経 組 織 を た ど り 続 け る 現 象 》のこと
「脳は、何もしていなくても膨大なエネルギーを消費しています。
これは、神経科学における大きな謎です」とKozloski氏は述べています。
「よほどの理由がない限り、耳に入ってくるただの雑音に、あれだけの量のエネルギーを費やしたりしないはずです」。
Kozloski氏によると、脳が消費するエネルギーのうち、
【 使 い 道 が わ か っ て い な い の は《 約 90% 》】にものぼります。これはかなりの量です。
何しろ、【 脳 は 身体 全体の エネルギー の《20%》を 消費 】しているのですから。 Kozloski氏によると、脳が消費するエネルギーのうち、
【 使 い 道 が わ か っ て い な い の は《 約 90% 》】にものぼります。これはかなりの量です。
何しろ、【 脳 は 身体 全体の エネルギー の《20%》を 消費 】しているのですから。
Kozloski氏の提唱する仮説によると、
脳の中には神経組織によってさまざまな経路が作られていて、脳はそこに、
休みなく信号を流して【《ループ》させている 】のではないかということです。その経路は町中を走る道路のようなもので、
【《脳》は絶えず、その道を《 繰り返し 何度も たどっている 》】のだそうです。 これらの経路は【 脳 内 の 3 つ の 領 域 】を通り抜けています。それぞれの領域がつかさどる機能は、
1、知覚 (「今、何が起こっているか?」)、
2、行動 (「それについて、どう行動できるか?」)、
3、辺縁系(「それは自分にとってどういった意味を持つのか?」)です。
脳には、新しい情報を取り込む領域がほかにも複数ありますが、
Kozloski氏は、この【 経 路 を 循 環 す る プ ロ セ ス 】にこそ、
【 脳 の エ ネ ル ギ ー の 大 部 分 が使われている 】と考えます。
この経路は【 同 じ と こ ろ を 循 環 】しており、いわば「閉じたループ」です。
一方、【これまでの通説】では、脳は外部から情報のインプットを受けて、それを身体反応というアウトプットに変換する、という【線状の経路】が想定されていました。
脳のエネルギーの【大部分がグランド・ループで消費される】のは、初めての状況で過去の経験に基づいて予想をするため? 色界第四禅定に在っては、呼吸が止まることがパーリー語仏典に書かれていますし、実際の禅定に於いても 思考が完全に消えると 呼吸が微かになり、禅定が深まると完全に止まり 止まった状態が続きます。
これはどういう事なのか?推測として、上の論文にあるように、
グランド・ループ】=《 脳 が 神 経 組 織 を た ど り 辿 り 続 け る 現 象 》
つまり顕在意識上の思考・想念が止まることは 比較的簡単だが それだでなく、更に深い《 潜 在 意 識 下 》で行われている《 妄 想 的 な 雑 念 》が止まることによって、
必要エネルギー量が減少し 同時に【酸 素 】つまり呼吸量も低下するゆえ、呼吸回数が減少し 最後には【 呼 吸 の 停 止 】に至るのではと考えられます。 【グランド・ループr】=【潜在意識の無限ループ想念】と言うことではないのか?ということです。
たまに 聴いていて好きかもと思った音楽が後で脳内でループすることがありますが、あれなんかもグランド・ループの一種かな?と。 Wikiより 定とは
定(じょう)、サマーディ(巴、梵: samādhi)は、仏教用語で、心をひとつの対象に集中し心の散乱がないという精神の作用や、そのようにすることや、定まっているその状態を指す。
また、一般に心を散乱させないようにする修行、及びそれによってもたらされた特殊な精神状態をも総称して定という。
samādhiの音写が三昧(さんまい)であり、三摩地とも書かれた。
定すなわち三昧は、仏教の三学である戒・定・慧の一つであって、仏教の実践道の大綱である。
また、八正道の一つには正定が挙げられており、五根には定根が、五力には定力が挙げられている。
定は五分法身(中国語版)の一つでもある。定に反して心が散り乱れて動く状態を散といい、定散(じょうさん)と呼ばれる Wikiより 定の異名編集
『総合佛教大辞典』よれば、禅(静慮)、三昧などの語の含む範囲と、定のそれとの広狭に関しては種々の異説があるという。
それらの語は、広くは禅定といわれる。
唯識了義炉巻五本には定の異名が7つ挙げられており、それは
サマーヒタ(梵: samāhita、等持)、
サマーディ(梵: samādhi、三摩地、定)、
サマーパッティ(梵: samāpatti、等至)、
ディヤーナ(梵: dhyāna、禅那)、
チッタイカーグラター(梵: cittaikāgratā、心一境性)、
シャマタ(梵: śamatha、止)、
ドリシュタ・ダルマ・スカ・ヴィハーラ(梵: dṛṣṭa-dharma-sukha-vihāra、現法楽住)である。 定の異名
サマーヒタ (梵: samāhita、 等持 )
サマーディ (梵: samādhi、 三摩地、定 )
サマーパッティ (梵: samāpatti、 等至 )
ディヤーナ (梵: dhyāna、 禅那 )
チッタイカーグラター(梵: cittaikāgratā、 心一境性 )
シャマタ (梵: śamatha、 止 )
ドリシュタ・ダルマ・スカ・ヴィハーラ
(梵: dṛṣṭa-dharma-sukha-vihāra、 現法楽住) 1修得定 と 2生得定
定には、修得定(しゅとくじょう)と生得定(しょうとくじょう)とがある。
1『 修 得 定 』は、散地である【欲界】において、《定》を得るための修行を実践して得られる。
2『 生 得 定 』は、定地である【色界・無色界】に《生》まれることで自然に得られる。
【色界定】の場合は、1定 静 慮 2生 静 慮 といい、
【無色定】の場合は、1定 無 色 2生 無 色 という。 2『 生 得 定 』は、定地である【色界・無色界】に《生》まれることで自然に得られる。
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この説明では 誤解を与えると思います。
【色界・無色界】に《生》まれることで自然に得られる。ではなくて、
【色界・無色界】に於いて自然《生》じる定。が正しいのでは?
だって 欲界、色界、無色界 とは
欲界は 心 の世界
色界は 物質 の世界
無色界 空・識の世界
のことであり、生まれるとか言うことではないので、
まあしかし、【無色界】は仏教的には【天界】のことも指すので 天界に生まれながらに得ている定という意味も言えるようにも取れますね。 と言うことは
現界に於いて 生まれながら【無欲】にして 《欲界を離れている人間》は、
色界・無色界に【生まれて】いるとも言えるのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています