そもそも、魚川の本を真理探求に使ったら「はずだ論」になってしまうだろ
これわかってるかな…?

彼は学術的に言葉の論理的な繋がりを検証しただけで、その解釈が真理であるとは
彼自身考えていないだろうと思うよ
読者にリテラシーがあればその様に読めるんではないだろうか

ドロンジョやマインドフルさんはあれを第四図、第五図の仕組みだと思ってるだろ?
(マインドフルさんは第四図、第五図という言葉は知らないかもしれないが)
彼は出世間への地図だと思ってるよね
違うよ
何で修行中途半端な魚川がそんなこと示せると思うんだね
文献から学術(第四図)的に言えることを整理してるだけだ

そういった捉え方、考え方から出てくるものが仏法であると考えるならば全て戯論だ
どれだけ壮大、緻密であっても、世間に常識化されていようと戯論だね
それを展開させるために坐るなら思い計らいだし
その展開で行われてることが「実体視」だ

まあ、言葉の定義なんかどうでもよくて、そういう思考を止めたほうがいいよ
ってことが言いたいわけ

言うと面白くないのはわかるが、ジャンプ起きなきゃわからないんだよ
仏教、禅、マインドフルネスはそこからしか理解できないようになってる

だから、毎朝坐ってるなら結構なことで
ただ坐ってればいい、只管
爽やかに(坐禅に)無条件降伏すればいいじゃないか