碧巌録(へきがんろく)  第7則  慧超問仏(えちょう  もんぶつ ほとけ「真理(さとり)」を とう)

本則(ほんそく)

修行僧、法眼(ほうげん)に問う、「慧超(えちょう)、和尚に咨(もう)す。如何(いか)なるかこれ仏(ほとけ)?」
 法眼云(いわ)く、 「汝(なんじ)は これ慧超(えちょう)」。



法眼(ほうげん):法眼文益禅師(885〜958)。 唐代の禅者。法眼宗の始祖。羅漢桂チン(けいちん)(らかんけいちん、867〜928)の法嗣。
法系:徳山宣鑑→雪峯義存→玄沙師備→羅漢桂チン→法眼文益

慧超:法眼文益の法嗣 のちに号して帰宗策真(?〜979)となる。

本則

法眼禅師に慧超という僧が聞いた、 「私は慧超という者です。和尚に一つ尋ねます。一体仏とは何でしょうか?」
法眼は言った、「お前は慧超だ」。



同行二人(どうあんふたり)

ほとけとわれは 而二不二(にに ふに) 「二ではあるが、二ではない」 である。

ほとけとわれは 不二而二(ふに にに) 「二ではないが 二である」 である。

これは色即是空は空即是色へと還(かえ)る である。

ほとけとは真理(さとり)で、人格的存在を言うものでは無い。

無我と言い、空と言うが、それは代名詞で、何かを言い当てているわけではない。

空と、無我、と言い、文字に起こしても、ただそれだけのことである。

存在を表す名詞から、その名付けられた名詞を奪ったそれをなんと呼ぼうか。