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坐禅と公案133章 中道是空(ちゅうどうは これ くうなり

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001神も仏も名無しさん
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2020/09/19(土) 20:24:59.45ID:1QAp83LU
このスレの1章は、南予さんが建てたスレッドである。
スレッドは来(きた)る者を拒(こば)まず、去る者は追わず、だが荒らしはイラン
会者定離。こんにちは、さようなら。生死(しょうじ)。
問う答えるて対話してきた各章のつらなり、1000章が、次のステップか。
佛とは、真理、ダルマ、法、であって人格的存在ではない。
問う、
「両手で打てば音が鳴る、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい 」

諸行無常、諸法無我、一切皆空、である。
禅定(ぜんじょう、梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。静慮
こころコロコロ、色即是空は空即是色へ還(かえ)る。
さとりとは、真理、法、ダルマである。
達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。
ビッグバーンは一期一会である。
すずめはチュンチュンこんにちは、である。道端のタンポポのさよなら、である。
出会えば別れるのである。
問う
「この座敷から坐のままで30メートル先のロウソクの炎を吹き消せ」

中道是空(ちゅうどうは これ くうなり)
空是中道(くうとは、これ ちゅうどうなり)

色即是空は空即是色へ還(かえ)る

【前スレ】
坐禅と見性第132章水仙の八重咲の花が香り
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1579270433/

【過去スレ】
坐禅と見性第131章輪に成って肩を組み歌い踊り笑いあう
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1559127492/
坐禅と見性第130章頭を踏み台にして花街から還(かえ)る
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1543596675/
坐禅と見性第129章猛烈な秋雨前線と台風がお迎え
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1535719580/
坐禅と見性第128章第128章さあ月進んで五月晴のダービーだ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1523782599/l50
0003キチガイデブスホモポッタン3世
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2020/09/19(土) 21:24:03.81ID:4vR3aGrE
神聖なるポッタン大法。
その他外道
0004神も仏も名無しさん
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2020/09/19(土) 22:35:15.00ID:Rq0L9LGU
日本弁護士連合会のサイトの中に

「反社会的な宗教的活動にかかわる消費者被害等の救済の指針」

https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/1999/1999_13.html

という日弁連が出したPDFファイルがある
(1999年3月26日)

内容は、法律家の立場から、今なお問題が多い霊感商法に対して一つの意見を提言するというもの

なかなか興味深い資料ですな
0005神も仏も名無しさん
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2020/09/23(水) 19:14:52.86ID:hZAXlqrf
「いただきます お寺のごはん」01【粥】 - 24.25
https://www.youtube.com/watch?v=zMZHhlKUQlQ

【質問コーナー】修行中お粥とかばっかで倒れない?電話できるの?【曹洞宗】 - 12.45
https://www.youtube.com/watch?v=kW-j5KHYL3M

葬儀の戒名って何?院号の意味は? - 38.09
https://www.youtube.com/watch?v=s_c_li9Pevo

お坊さんの婚活・恋愛・結婚事情 - 21.24
https://www.youtube.com/watch?v=EMwjXntDo2o
0006神も仏も名無しさん
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2020/09/23(水) 22:23:01.93ID:hZAXlqrf
SotoZenOfficialVideo‐JIKI‐ - 27,45
https://www.youtube.com/watch?v=93uTfEdoqyI

竹友寮坐禅堂飯台(応量器展鉢 中食作法) - 42.59
https://www.youtube.com/watch?v=9VM3bjPYhH0

「無門関 第四十三則」 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師 - 52.18
https://www.youtube.com/watch?v=GuGw974dEm8

「無門関 第四十四則」 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師 - 58.59
https://www.youtube.com/watch?v=oXo0tC-MwjE
0007神も仏も名無しさん
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2020/09/23(水) 22:42:19.31ID:hZAXlqrf
【自宅で写経】臨済宗円覚寺派大本山円覚寺 - 28.04
https://www.youtube.com/watch?v=rdSQPYbrfzs

「不条理を生きる」 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師 - 44.53
https://www.youtube.com/watch?v=VWGUdqb3m4w

一、尋牛 / 二、見跡| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師 - 15.52
https://www.youtube.com/watch?v=5JR0so47xrA

「十牛図に学ぶ」| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師 - 17.44
https://www.youtube.com/watch?v=E-Sifb7HoyE
0008神も仏も名無しさん
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2020/09/23(水) 22:53:34.62ID:hZAXlqrf
大森曹玄老師 十牛図@ - 29,59
https://www.youtube.com/watch?v=JYeukBKQ6oE

大森曹玄老師 十牛図A - 29.57
https://www.youtube.com/watch?v=jRJqsb0mSCQ

三、見牛 / 四、得牛| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師 - 16,11
https://www.youtube.com/watch?v=Q5AM8__awbg

五、牧牛 / 六、騎牛帰家| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師 - 15,17
https://www.youtube.com/watch?v=i-7F2btEQLI
0009神も仏も名無しさん
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2020/09/24(木) 00:10:58.07ID:UHX4QXGM
七、忘牛存人 / 八、人牛倶忘 | 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師 - 11.36
https://www.youtube.com/watch?v=MIPXC44KVZo

九、返本還源 / 十、入?垂手 | 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師 - 17.18
https://www.youtube.com/watch?v=C3inH1360Rk

「驢馬が井戸を見る」| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老 - 13.38
https://www.youtube.com/watch?v=8FbfwPHcmOA

ミックスリスト - VOCATO
https://www.youtube.com/watch?v=94KmZNxx9-g&;list=RDCMUC38w5PlG-E3ZbGOvV_gnGHA&start_radio=1&t=13
0012神も仏も名無しさん
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2020/09/24(木) 01:40:55.83ID:UHX4QXGM
「滋味を味わう “禅寺ごはん”」 - 24.29
https://www.youtube.com/watch?v=1QHH8ZHYpas

イタリアン精進料理 その1 - 15.08
https://www.youtube.com/watch?v=HOBGjJvRmPk

イタリアン精進料理 その2 - 23.20
https://www.youtube.com/watch?v=KC65_xiY49Y

精進料理 献立帳 やまと尼寺 精進日記 - 1/61
https://www.youtube.com/watch?v=ASSySttRhgE&;list=PL57xr35L8y-maVnfsqxePETjfDzMjy4AO
0013神も仏も名無しさん
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2020/09/24(木) 14:30:38.17ID:UHX4QXGM
トヨタ ヤリスクロス 【車両レビュー】 話題の新型SUVを隅々まで - 17.53
https://www.youtube.com/watch?v=O1xIjHOeOiI

トヨタ ヤリスクロス 【公道試乗】 ガソリンとハイブリッド - 19.11
https://www.youtube.com/watch?v=QfzCSQYNz7c

トヨタ ヤリスクロス 【公道試乗】 全仕様乗って完結!! パワートレイン&駆動方式 - 20.57
https://www.youtube.com/watch?v=0Xe4IWqksGQ

トヨタ 新型ヤリスクロス 大本命 ハイブリッド FF - 29.25
https://www.youtube.com/watch?v=sg5XqdL_Uf0
0015神も仏も名無しさん
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2020/09/27(日) 01:53:20.49ID:ZJlDOUE2
碧巌録(へきがんろく)  第1則 達磨廓然無聖(だるま かくねん むしょう)

本則(ほんそく)
梁の武帝は達磨大師に聞いた、「仏法の根本義はどのようなものですか?」
達磨は言った、「からりと晴れ渡った青空のように「聖」も何も無いわい」。

武帝は言った、「朕に向かいそのようなことを言っているお前は一体何者だ?」
達磨は言った、「そんなことは識(し)らん」。
武帝は達磨の心を理解できなかった。
達磨はついに江を渡って魏に去った。
後に武帝はこのことについて誌公に聞いた。
誌公は言った、「陛下、この人が誰か分かりますか?」
武帝は、「知らん」と言った。
誌公は、「彼は仏心印を伝えに来た観世音菩薩ですよ」と言った。
武帝はこれを聞いて後悔した。彼は遂に使いを派遣して達磨を呼び戻そうとした。
誌公は言った、「陛下、使いを派遣して達磨を呼び戻そうとしてもだめですよ。 国を挙げて呼び戻そうとしても彼は帰って来ないでしょう」。

○ 儒教、道教の国、中国にインドの仏教を原点とする禅が、中国文明に溶け込もうとする時、必ず通らなければならない光の屈折に似た過程、葛藤と言える。

オレのまんまえにつっ立っているおまえは何者なんだ。
識りません。
これは、空と答えているのだ。。

、碧巌録(へきがんろく) 第2則?趙州至道無難( じょうしゅう しどう ぶなん) 真理(さとり)は難しくない

本則(ほんそく)
趙州、衆(修行者達)に示し曰く、
「至道無難、唯嫌揀択(ゆい けん けんじゃく)。わずかに語言あればこれ揀択これ明白。老僧は明白裏(めいはくり)にあらず。これ汝かえって護惜(ごしゃく)すや、また、いなや」。

時に修行僧あり問う、「すでに明白裏に在らず。箇(こ)のなにをか護惜(後生大事に護って生きる)せん」。
州云く、「我もまた知らず」。
僧云く、「和尚すでに知らず、なんとしてか却ていう明白裏に在らず」と。
州云く、「事を問うことは即ち得たり、礼拝(らいはい)し了(おわ)って退(い)け」。



唯嫌揀択(ゆいけんけんじゃく)是空、(唯嫌揀択は 是れ 空なり)
中道是空(ちゅうどう ぜ くう) (中道は 是れ 空なり)
半眼是空(はんがん ぜ くう) (半眼は 是れ 空なり)
0017キチガイデブスホモポッタン3世
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2020/09/27(日) 19:47:08.52ID:kesfgCN6
栄進犬山無仏性
0018キチガイデブスホモポッタン3世
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2020/09/27(日) 19:51:06.39ID:kesfgCN6
マインドフリチン瞑想こそポッタン道
0019チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/09/30(水) 02:08:10.87ID:eLaft5Ez
碧巌録(へきがんろく)  第4則  徳山 到 イ山

本則
徳山、イ山に到る。
複子(ふくす、を挟んで法堂上を東より西に過(わた)り西より東に過(わた)り顧視(こし、振り返って見ること。かえりみること)して、 「無、無」と云って便(すなわ)ち出(い)ず。

雪竇(せっちょう)著語(じゃくご)して云(いわ)く、「勘破(かんぱ)し了(おわ)れり」。

 徳山、門首に至って却って云く、 「また早々にするはことを得(よか)からず」と。
便ち威儀を具して再び入って相見す。

イ山坐する次で徳山坐具を提起して云く、「和尚」。
イ山払子(ほっす)をとらんと擬(す)。
徳山便ち喝して払袖(ほっしゅう)して出ず。

雪竇著語して云く、「勘破し了(おわ)れり」。

徳山法堂を背却して草履(ぞうり)をつけて便ち行く。 
イ山晩に至って首座に問う、 「適来(せきらい)の新到いずれの処にか在る」。
首座云く、「当時法堂を背却して草履をつけて出で去れり」。
イ山曰く、「この子、巳後、孤峰頂上に向って草庵を盤結して 仏を呵し祖を罵り去ることあらん」。

雪竇著語して云く、「雪上に霜を加う」。

複子(ふくす):袈裟文庫。
勘破:見抜く。
首座(しゅそ):禅堂の指導者。
適来(せきらい)の新到:さきほどの新参者。
雪竇はこれにコメントして云った、 「雪の上に霜を加えるような余計なことである」。

*草履(ぞうり)と草鞋(わらじ、そうあい)
0020チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/09/30(水) 17:11:47.82ID:eLaft5Ez
徳山、イ山に到(いた)る。
複子(ふくす、を挟(はさ)んで法堂上を東より西に過(わた)り西より東に過(わた)り顧視(こし、振り返って見ること。かえりみること)して、 「無(なし、居ない)、無」と云って便(すなわ)ち出(い)ず。

雪竇(せっちょう)著語(じゃくご)して云(いわ)く、「勘破(かんぱ)し了(おわ)れり」。

 徳山、門首に至(いた)って却(かえ)って云く、 「また早々にするはことを得(よか)からず」と。
便ち威儀(いぎ)を具して再び入って相見(しょうけん)す。

イ山坐する次(つい)で 徳山坐具を提起して云く、「和尚」。
イ山払子(ほっす)をとらんと擬(ぎ)す。
徳山便ち喝して払袖(ほっしゅう)して出ず。

雪竇著語して云く、「勘破し了(おわ)れり」。

徳山法堂を背却して草履(ぞうり)をつけて便ち行く。 
イ山晩に至って首座に問う、 「適来(せきらい)の新到いずれの処にか在る」。
首座云く、「当時法堂を背却して草履をつけて出で去れり」。
イ山曰く、「この子、巳後、孤峰頂上に向って草庵を盤結して 仏を呵し祖を罵り去ることあらん」。

雪竇著語して云く、「雪上に霜を加(くわ)う」。

複子(ふくす):袈裟文庫。
勘破:見抜く。
首座(しゅそ):禅堂の指導者。
適来(せきらい)の新到:さきほどの新参者。

挟とは、はさむ/はさまる/さしはさむ/間に入るなどの意味をもつ漢字

複子(ふくす):袈裟文庫
旅装、雲水、行脚、袈裟文庫と呼ばれる箱の外側に三つ、それぞれ別な風呂敷に包んで括り付け、反対側の雨合羽と振り分けにする。

相見(しょうけん)する  人と面会すること。対面。

*草履(ぞうり)と草鞋(わらじ、そうあい)


これとそれを 分けない。
一味平等(いちみ びょうどう)を言う。
0021チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/09/30(水) 17:48:40.95ID:eLaft5Ez
>>20
碧巌録(へきがんろく)  第4則  徳山 到 イ山

徳山、イ山に到(いた)る。
複子(ふくす、を挟(はさ)んで法堂上を東より西に過(わた)り西より東に過(わた)り顧視(こし、振り返って見ること。かえりみること)して、 「無(なし、居ない)、無」と云って便(すなわ)ち出(い)ず。

雪竇(せっちょう)著語(じゃくご)して云(いわ)く、「勘破(かんぱ)し了(おわ)れり」。

 徳山、門首に至(いた)って却(かえ)って云く、 「また早々にするはことを得(よか)からず」と。
便ち威儀(いぎ)を具して再び入って相見(しょうけん)す。

イ山坐する次(つい)で 徳山坐具を提起して云く、「和尚(おしょう)」。
イ山払子(ほっす)をとらんと擬(ぎ)す。
徳山便ち喝して払袖(ほっしゅう)して出ず。

雪竇著語して云く、「勘破し了(おわ)れり」。

徳山法堂を背却して草履(ぞうり)をつけて便ち行く。 
イ山 晩に至って首座(しゅそ)に問う、 「適来(せきらい)の新到いずれの処(ところ)にか在(あ)る」。
首座云く、「当時法堂を背却して草履をつけて出で去れり」。
イ山曰く、「この子(す)、巳後(いご)、孤峰頂上に向って草庵を盤結して 仏を呵(か)し、祖(仏祖)を罵(ののし)り去ることあらん」。

雪竇著語して云く、「雪上に霜を加(くわ)う」。

複子(ふくす):袈裟文庫。
勘破:見抜く。
首座(しゅそ):禅堂の指導者。
適来(せきらい)の新到:さきほどの新参者。

挟とは、はさむ/はさまる/さしはさむ/間に入るなどの意味をもつ漢字

複子(ふくす):袈裟文庫
旅装、雲水、行脚、袈裟文庫と呼ばれる箱の外側に三つ、それぞれ別な風呂敷に包んで括り付け、反対側の雨合羽と振り分けにする。

相見(しょうけん)する  人と面会すること。対面。

*草履(ぞうり)と草鞋(わらじ、そうあい)

呵か する。  きびしくしかる。大声でなじる。


これとそれを 分けない。
一味平等(いちみ びょうどう)を言う。
0022チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/09/30(水) 23:41:21.02ID:eLaft5Ez
碧巌録(へきがんろく) 第4則  徳山到イ山

徳山、イ山に到(いた)る。
複子(ふくす)を挟(はさ)んで法堂上を東より西に過(わた)り西より東に過(わた)り顧視(こし、振り返って見ること。かえりみる)して、 「無(なし、居ない)、無し」と云って便(すなわ)ち出(い)ず。

雪竇(せっちょう)著語(じゃくご)して云(いわ)く、「勘破(かんぱ)し了(おわ)れり」。

 徳山、門首(もんしゅ)に至(いた)って却(かえ)って云く、 「また早々にするはことを得(よか)らず」と。
便ち威儀(いぎ)を具して再び入って相見(しょうけん)す。

イ山坐する次(つい)で 徳山坐具(ざぐ)を提起して云く、「和尚(おしょう)」。
イ山払子(ほっす)をとらんと擬(ぎ)す。
徳山便ち喝して払袖(ほっしゅう)して出ず。

雪竇著語して云く、「勘破し了(おわ)れり」。

徳山法堂を背却して草履(ぞうり)をつけて便ち行く。 
イ山 晩に至って首座(しゅそ)に問う、 「適来(せきらい)の新到いずれの処(ところ)にか在(あ)る」。
首座云く、「当時法堂を背却して草履をつけて出で去れり」。
イ山曰く、「この子(す)、巳後(いご)、孤峰頂上(こほう ちょうじょう)に向って草庵(そうあん、を盤結して 仏(仏祖)を呵(か)し、祖(祖師、達磨)を罵(ののし)ることあらん」。

雪竇著語して云く、「雪上に霜を加(くわ)う」。

?

勘破:見抜く。
首座(しゅそ):禅堂の指導者。
適来(せきらい)の新到:さきほどの、 新参者。
挟とは、はさむ/はさまる/さしはさむ/間に入る
複子(ふくす):袈裟文庫 旅装、雲水、行脚、袈裟文庫と呼ばれる箱の外側に三つ、それぞれ別な風呂敷に包んで括り付け、反対側の雨合羽と振り分けにする。
相見(しょうけん)する  人と面会すること。対面。
坐具(ざぐ)下に敷くもの、ござ
*草履(ぞうり)と草鞋(わらじ、そうあい)
草庵(そうあん) - 藁(わら)・茅(かや)などで屋根をふいた粗末で小さい家。くさのいおり。
呵(か) する。  きびしくしかる。大声でなじる。

春色 無く高下(しゅんしょくこうげなく)、花枝 自ら短長(かし おのずからたんちょう)

○ これとそれを 分けない。 一味平等(いちみ びょうどう)を言う。
0023チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/01(木) 17:15:37.24ID:dpBXCPmm
碧巌録(へきがんろく) 第5則?  雪峰尽大地 

本則
?
雪峰、衆に示して云く、 「尽大地撮(つま)み来(あぐ)ぐれば粟米粒の大きさなり。
面前に抛(ほうり)向(だ)すも、漆(桶不会(しっつうふえ)。
鼓(たいこ)を打って普請して看よ」。

漆桶(しっつう):全体が真っ黒な漆を入れる桶。
普請(ふしん):普く請うて皆を集めて仕事(ここでは「真の自己」を究明し探す仕事)をすること。
普通、普請の合図に普請鼓(ふしんく)という太鼓を打つ。

本則

ある時雪峰禅師は、修行僧達に向って言った、「地球(尽大地)がいくら大きいと言ったって大した大きさではないわい。
わしが撮(つま)み挙げれば粟や米粒ほどの大きさじゃ。
そうれ、お前達の前に抛りだすから眼を皿にして探し出せ。
それは漆桶(うるしおけ)のように真っ黒けで見えないだろう。
分からなかったら太鼓を打って皆総出で探し出して看よ!」。 

問い「般若は大きいでしょうか?」
慧海「大きい」。

問い「どれほど大きいですか?」
慧海「果てしがない」。

問い「般若は小さいでしょうか?」
慧海「小さい」。
慧海「見ようとしても見えない」。

問い「どこがそうなのですか?」
慧海「どこがそうでないのか?」
0024チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/01(木) 17:21:59.83ID:dpBXCPmm
碧巌録第五則『雪峰大地撮来』

【本則】

 挙す。雪峰衆に示して云く、尽大地撮し来るに粟米粒の大きさの如し。面前に抛向(ほうこう)し、漆桶不会(しっつうふえ)。鼓(こ)を打って普請(ふしん)して看(み)よ。

【和訳】
 一日雪峰和尚大衆に示して、尽大地といえば、如何にも大きいようであるけれども、撮(つま)んで見れば米粒位しかないぞ。
 之が見えないかと言うて、其面前に抛り出された。
 漆桶(しっつう)は漆桶(うるしおけ)のことで、真黒々(まっくろぐろ)ということで、不会は合点の行かぬことで、即ち漆桶不会少しも分らぬ。
 是れ此通りえであるぞと眼の前に投げ出されても、凡情が之れを隔てて、少しも分らぬ。
 これが分らなければ、皆一緒に、鐘や太鼓で探して看よ。

「宇宙そのものは、実に広大無辺のものである、その広大無辺なる宇宙の全体を、拙僧が三本の指で、つまみあげると、之是、此通り米粒ほどの大きさしかない。」

【用語】
 雪峰和尚=雪峰義存
 *六祖慧能―青原行思―石頭希遷―天皇道悟―龍譚崇信―徳山宣鑑―雪峰義存
 普請=「普く人を請ずる」の意味。「一山の大衆に出会って貰うこと」、禅院においては、「作務」のこと(咄堂1

【解釈】

 まず、「其天地は那辺にある。曰く、其天地は、それそこに、其宇宙は、これここに。」(時保33頁)「尽大地」の遍在性について述べられます。
 その上で、尽大地が米粒ほどのものしかすぎないと雪峰禅師の述べることについては、「云う勿れ雪峰禅師の神通妙用と。――決して神通でも妙用でもない、当然であり、尋常である。

知るべし、大に大なく、小に小なく、極小は極大に同じ、極大は極小に同じ、と云うことを。」
宗演老師の「尽大地直ちに粟米粒となる」(宗演70頁)と端的
「粟米粒そのままが尽大地、尽大地そのままが粟米粒」という「同時、斉唱、不二、並行が我がお手のものにならなければ、禅の話は出来ません。」
0025チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM🐙
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2020/10/01(木) 17:27:53.34ID:dpBXCPmm
碧巌録(へきがんろく) 第5則 雪峰尽大地 

本則

雪峰、衆に示して云く、 「尽大地撮(つま)み来(あぐ)ぐれば粟(りつ)米粒(べいりゅう)の大きさなり。
面前に抛(ほうり)向(だ)すも、漆(桶不会(しっつうふえ)。
鼓(たいこ)を打って普請(ふしん)して看(み)よ」。

漆桶(しっつう):全体が真っ黒な漆を入れる桶。
普請(ふしん):普く請うて皆を集めて仕事(ここでは「真の自己」を究明し探す仕事)をすること。
普通、普請の合図に普請鼓(ふしんく)という太鼓を打つ。

本則

ある時雪峰禅師は、修行僧達に向って言った、「地球(尽大地)がいくら大きいと言ったって大した大きさではないわい。
わしが撮(つま)み挙げれば粟や米粒ほどの大きさじゃ。
そうれ、お前達の前に抛りだすから眼を皿にして探し出せ。
それは漆桶(うるしおけ)のように真っ黒けで見えないだろう。
分からなかったら太鼓を打って皆総出で探し出して看よ!」。 


碧巌録第五則『雪峰大地撮来』

【本則】

 挙す。雪峰衆に示して云く、尽大地撮し来るに粟米粒の大きさの如し。面前に抛向(ほうこう)し、漆桶不会(しっつうふえ)。鼓(こ)を打って普請(ふしん)して看(み)よ。

【和訳】
 一日雪峰和尚大衆に示して、尽大地といえば、如何にも大きいようであるけれども、撮(つま)んで見れば米粒位しかないぞ。
 之が見えないかと言うて、其面前に抛り出された。
 漆桶(しっつう)は漆桶(うるしおけ)のことで、真黒々(まっくろぐろ)ということで、不会は合点の行かぬことで、即ち漆桶不会少しも分らぬ。
 是れ此通りえであるぞと眼の前に投げ出されても、凡情が之れを隔てて、少しも分らぬ。
 これが分らなければ、皆一緒に、鐘や太鼓で探して看よ。

「宇宙そのものは、実に広大無辺のものである、その広大無辺なる宇宙の全体を、拙僧が三本の指で、つまみあげると、之是、此通り米粒ほどの大きさしかない。」
0026チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM🐙
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2020/10/01(木) 17:44:43.17ID:dpBXCPmm
>>25



母の納骨の時、お経をあげていただいた層に問う。
分骨したい、と思いまうが、檀家をしている和尚さんは、不可である、と断言されます。
わたしとしては、母方の祖父母、も寂しいから文庫としたいのです、とお尋ねした。

同じ宗派ではあるものの、お墓は別で、こちらの墓地を得て、父方の先祖が入っている。

その僧が言う。

お母様は、ここにある、そこに在る、と言うのではありません、お母様は、宇宙に遍満(へんまん)していらっしゃいますよ。

この言葉をいただいて、用意していた小さな投機の骨壺へ少し入れて、のちに、母方のお墓へ入れた。

この公案は、栗(くり)や米粒(こめつぶ)の大きさである、と宇宙を言うのだが、それは存在しているもの、色、で言っているのである。

すでに 尽大地が空である。

クリやこめつぶ が 空である。

禅は 色即是空は空即是色へと還(かえ)る、である。
0027チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/01(木) 18:11:40.93ID:dpBXCPmm
碧巌録(へきがんろく) 第5則 雪峰尽大地(せっぽう じん だいち)

本則

雪峰、衆(修行僧たち)に示して云く、 「尽大地撮(つま)み来(あぐ)ぐれば粟(りつ)米粒(べいりゅう)の大きさなり。
面前に抛(ほうり)向(だ)すも、漆(桶(全体が真っ黒な漆を入れる桶)不会(しっつうふえ)。
鼓(たいこ)を打って普請(ふしん)して看(み)よ」。

普請(ふしん):普く請うて皆を集めて仕事(ここでは「真の自己」を究明し探す仕事)をすること。
普通、普請の合図に普請鼓(ふしんく)という太鼓を打つ。


碧巌録第五則『雪峰大地撮来』

【本則】

 挙す。雪峰衆に示して云く、尽大地撮し来るに粟米粒の大きさの如し。面前に抛向(ほうこう)し、漆桶不会(しっつうふえ)。鼓(こ)を打って普請(ふしん)して看(み)よ。

「宇宙そのものは、実に広大無辺のものである、その広大無辺なる宇宙の全体を、拙僧が三本の指で、つまみあげると、之是、此通り米粒ほどの大きさしかない。」



母の納骨の時、お経をあげていただいた層に問う。
分骨したい、と思いまうが、檀家をしている和尚さんは、不可である、と断言されます。わたしとしては、母方の祖父母、も寂しいから文庫としたいのです、とお尋ねした。

同じ宗派ではあるものの、お墓は別で、こちらの墓地を得て、父方の先祖が入っている。

その僧が言う。お母様は、ここにある、そこに在る、と言うのではありません、お母様は、宇宙に遍満(へんまん)していらっしゃいますよ。

この言葉をいただいて、用意していた小さな投機の骨壺へ少し入れて、のちに、母方のお墓へ入れた。

この公案は、栗(くり)や米粒(こめつぶ)の大きさである、と宇宙を言うのだが、それは存在しているもの、色、で言っているのである。

すでに 尽大地が空である。クリやこめつぶ が 空である。禅は 色即是空は空即是色へと還(かえ)る、である。
0028チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/01(木) 18:21:45.48ID:dpBXCPmm
碧巌録(へきがんろく) 第5則 雪峰尽大地(せっぽう じん だいち)

本則

雪峰、衆(修行僧たち)に示して云く、 「尽大地撮(つま)み来(あぐ)ぐれば粟(りつ)米粒(べいりゅう)の大きさなり。
面前に抛(ほうり)向(だ)すも、漆(桶(全体が真っ黒な漆を入れる桶)不会(しっつうふえ)。
鼓(たいこ)を打って普請(ふしん)して看(み)よ」。

普請(ふしん):普く請うて皆を集めて仕事(ここでは「真の自己」を究明し探す仕事)をすること。
普通、普請の合図に普請鼓(ふしんく)という太鼓を打つ。


碧巌録第五則『雪峰大地撮来』

【本則】

 挙す。雪峰衆に示して云く、尽大地撮し来るに粟米粒の大きさの如し。面前に抛向(ほうこう)し、漆桶不会(しっつうふえ)。鼓(こ)を打って普請(ふしん)して看(み)よ。

「宇宙そのものは、実に広大無辺のものである、その広大無辺なる宇宙の全体を、拙僧が三本の指で、つまみあげると、之是、此通り米粒ほどの大きさしかない。」



母の納骨の時、お経をあげていただいた層に問う。
分骨したい、と思いまうが、檀家をしている和尚さんは、不可である、と断言されます。わたしとしては、母方の祖父母、も寂しいから分骨としたいのです、とお尋ねした。

同じ宗派ではあるものの、お墓は別で、こちらの墓地を得て、父方の先祖が入っている。

納骨に立ち会い、読経をしていただいたその僧が言う。お母様は、ここにある、そこに在る、と言うのではありません、お母様は、宇宙に遍満(へんまん)していらっしゃいますよ。

この言葉をいただいて、小さな陶器の骨壺を用意して少し入れて、のちに、母方の祖父母のお墓へ入れた。

この公案は、栗(くり)や米粒(こめつぶ)の大きさである、と宇宙を言うのだが、それは存在しているもの、色、で言っているのである。

すでに 尽大地が空である。クリやこめつぶ が 空である。禅は 色即是空は空即是色へと還(かえ)る、である。
0031チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/02(金) 23:54:59.26ID:lxmk0mDu
碧巌録(へきがんろく) 第6則?  雲門日々好日 (うんもん にちにち こうにち)

本則(ほんそく)

雲門垂語(すいご)して云(いわ)く、「十五日已前(いぜん)は汝に問わず、十五日已後(いご)、一句を道(い)いもち来たれ」。
自ら代わって云く、「日々(にちにち)是れ好日(こうにち)」。



雲門:雲門文偃禅師(864〜949)。雪峰義存の法嗣。 雲門の禅風は天子の位ありと言われるほど気高いところといわれる。
また、紅旗閃爍(こうきせんじゃく)とも言われる。 赤い旗に字が書いてあるけれど、風にハタめいているので、 読みにくいのと同じようなところがあるという意味である。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存 → 雲門文偃

垂語:垂示に同じ。問題を提起すること。
十五日:夏安居の最後の日である7月15日をさす。
夏安居(げあんご):夏の三か月の間、 僧が一か所にこもって坐禅修行に専念すること。 夏行(げぎよう)、夏籠(げごもり)とも言う。
十五日已前:雲門は夏安居の最後の日である十五日に上堂して説法した。 その時の言葉だと伝えられる。

本則の雲門の垂示の言葉は 「夏安居の修行が終わった今日から後 どのように過ごしたら良いだろうか?」 という問いかけの言葉であることが分かる。



一(いち)とは、色である。

一如(いちにょ、一の如し)、とは、空である。
0032チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/03(土) 18:08:32.78ID:8mrX1GGN
法相宗

特徴は阿頼耶識[あらやしき]、末那識[まなしき]という深層意識を心の奥にあるということを認めているところにあります。

その阿頼耶識を根本識[こんぽんじき]とし、一切法は阿頼耶識に蔵する種子[しゅうじ]より転変せらる(唯識所変[ゆいしきしょへん])としています。

つまり私達の認めている世界は総て自分が作り出したものであるということで、十人の人間がいれば十の世界がある(人人唯識[にんにんゆいしき])ということです。

みんな共通の世界に住んでいると思っていますし、同じものを見ていると思っています。
しかしそれは別々のものである。例えば、『手を打てば はいと答える 鳥逃げる 鯉は集まる 猿沢の池』という歌があります。

旅行客が猿沢の池(奈良にある池)の旅館で手を打ったなら、旅館の人はお客が呼んでいると思い、鳥は鉄砲で撃たれたと思い、池の鯉は餌がもらえると思って集まってくる、ひとつの音でもこのように受け取り方が違ってくる。
一人一人別々の世界があるということです。



隔靴掻痒

かっかそうよう

靴を隔ててしまってて、なんのこっちゃ、わけわかめー宗 である。

月は右手の方です、と、バスガイドは言う。

右手は月ではない。

どこまで行っても、ついに 名月の光り輝く事を知ることが、無い。

10年ぐらい前にもたらされた玄奘によって漢訳され、留学僧によってわが国にももたらされたものであろうが、理解(りげ)出会って、方向性は国民には向かttれない。
つまりは、運動部の練習風景であろう。
真理(さとり)と歩みをすすめない、国費浪費の学僧宗であろう。
役割は、もう無い。
文献学としての図書館の収蔵品目録 と言える。
0033チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/03(土) 18:22:44.58ID:8mrX1GGN
訂正
法相宗

特徴は阿頼耶識[あらやしき]、末那識[まなしき]という深層意識を心の奥にあるということを認めているところにあります。

その阿頼耶識を根本識[こんぽんじき]とし、一切法は阿頼耶識に蔵する種子[しゅうじ]より転変せらる(唯識所変[ゆいしきしょへん])としています。

つまり私達の認めている世界は総て自分が作り出したものであるということで、十人の人間がいれば十の世界がある(人人唯識[にんにんゆいしき])ということです。

みんな共通の世界に住んでいると思っていますし、同じものを見ていると思っています。
しかしそれは別々のものである。例えば、『手を打てば はいと答える 鳥逃げる 鯉は集まる 猿沢の池』という歌があります。

旅行客が猿沢の池(奈良にある池)の旅館で手を打ったなら、旅館の人はお客が呼んでいると思い、鳥は鉄砲で撃たれたと思い、池の鯉は餌がもらえると思って集まってくる、ひとつの音でもこのように受け取り方が違ってくる。
一人一人別々の世界があるということです。



隔靴掻痒

かっかそうよう

靴を隔ててしまってて、なんのこっちゃ、わけわかめーの 宗 である。

月は右手の方向でございます、と、バスガイドは言う。

右手は月ではない。

どこまで行っても、ついに 名月の光り輝く事を知ることが、無い。

日本へは、1000年ぐらい前にもたらされた、
Indiaから玄奘によってもたらされ、完ぺきを期す一連の学僧たちによって漢訳され、留学僧によってわが国にももたらされたものであろうが、理解(りげ)であって、方向性は一般国民には向かってない。
つまりは、運動部の練習風景であろう。
大会をまだ知らない、のだ。

真理(さとり)と歩みをすすめない、国費浪費の学僧宗であろう。
役割は、現在ではもう無い。
文献学としての図書館の収蔵品目録 と言える。
0034神も仏も名無しさん
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2020/10/03(土) 18:30:31.80ID:jYcdvBKt
座禅も公案も釈尊の教えではない。
その意味では、座禅も公案も仏教とは関係ない。
仏教の開祖は釈尊である。
故に、釈尊の教えと関係ないものは、仏教ではない。
0035チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/03(土) 18:34:37.27ID:8mrX1GGN
脊椎動物であり哺乳類は すべて 共通の祖先をもつ。

植物と動物は、共通の祖先をもつ。

それだけで、真理(さとり)だ。

天の川銀河の渦(うず)の端っこに位置する太陽。

太陽の分かれの地球。

地球は天の川銀河の構成要素である。

これだけで、真理(さとり) である。

ではでは

両手で打てば音が鳴る。
0036神も仏も名無しさん
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2020/10/03(土) 18:40:06.46ID:jYcdvBKt
仏教の教理、四法印は、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦、の四つである。
一切皆空なんてのは釈尊の教えではない。
一切皆空は、後世の仏教徒が、仏教の名を語って、勝手に作った、詐欺師の教えだよ。
0038チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/04(日) 01:17:45.58ID:l7xvfbC7
碧巌録(へきがんろく)  第7則  慧超問仏(えちょう ほとけ「真理(さとり)」を とう)

本則

修行僧、法眼に問う、「慧超(えちょう)、和尚に咨(もう)す。如何(いか)なるかこれ仏?」
 法眼云(いわ)く、 「汝はこれ慧超」。



法眼(ほうげん):法眼文益禅師(885〜958)。 唐代の禅者。法眼宗の始祖。羅漢桂チン(けいちん)(らかんけいちん、867〜928)の法嗣。
法系:徳山宣鑑→雪峯義存→玄沙師備→羅漢桂チン→法眼文益

慧超:法眼文益の法嗣帰宗策真(?〜979)の本名。

本則

法眼禅師に慧超という僧が聞いた、 「私は慧超という者です。和尚に一つ尋ねます。一体仏とは何でしょうか?」
法眼は言った、「お前は慧超だ」。



同行二人(どうあんふたり)

ほとけとわれは 而二不二(にに ふに)不二而二(ふに にに) である。
0039チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/04(日) 01:41:18.93ID:l7xvfbC7
>>38
訂正

碧巌録(へきがんろく)  第7則  慧超問仏(えちょう ほとけ「真理(さとり)」を とう)

本則

修行僧、法眼に問う、「慧超(えちょう)、和尚に咨(もう)す。如何(いか)なるかこれ仏?」
 法眼云(いわ)く、 「汝はこれ慧超」。



法眼(ほうげん):法眼文益禅師(885〜958)。 唐代の禅者。法眼宗の始祖。羅漢桂チン(けいちん)(らかんけいちん、867〜928)の法嗣。
法系:徳山宣鑑→雪峯義存→玄沙師備→羅漢桂チン→法眼文益

慧超:法眼文益の法嗣 のちに号して帰宗策真(?〜979)となる。

本則

法眼禅師に慧超という僧が聞いた、 「私は慧超という者です。和尚に一つ尋ねます。一体仏とは何でしょうか?」
法眼は言った、「お前は慧超だ」。



同行二人(どうあんふたり)

ほとけとわれは 而二不二(にに ふに) 「二ではあるが、二ではない」 であり、

ほとけとわれは 不二而二(ふに にに) 「二ではないが 二である」 である。
0041チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/05(月) 23:28:28.20ID:/VUXxmsO
碧巌録(へきがんろく) 第8則 翠巌夏末示衆 (翠巌(すいがん)、夏安居末(げあんごまつ)に衆(修行僧たち)に示す)

本則

翠巌、夏末に衆に示して云く、「一夏(げ)以来、兄弟(ひんでい)のために説話(せった)す。看よ、翠巌が眉毛ありや?」。

保福云く、「賊となる人、心虚す」。

長慶云く、「生ぜり」。

雲門云く、「関」。


本則

翠巌和尚は90日の夏安居の終りの日に大衆(修行僧達)に言った、
「この夏安居の間諸君達のために仏法をくどすぎるほど説いた
(昔から仏法は言説を超えたものであり、仏法をしゃべり過ぎると眉毛が落ちると言われる。
もしかして、わしは仏法をしゃべり過ぎて眉毛が落ちたのではないだろうか)。
どうじゃな、わしの眉毛は落ちてはおらんかな?
(言説に頼れば仏法を誹謗することになるので)」。
保福は言った、
「ヤイこの盗人め、ビクビクするない」。
長慶は言った、
「眉毛はチャンと生えているじゃないか」。
最後に雲門が言った、
「ピシャリ(門は閉められたぞ。ここが通れるか)」。



翠巌:翠巌(すいがん)令参 法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 翠巌令参
保福:保福従展(?〜928)。
この公案に出る翠巌、保福、長慶、雲門、の四人は雪峰義存(第5則を参照)門下の兄弟弟子である。
四人はほぼ同年齢だったようだが翠巌が一番若かったと考えられている。
眉毛ありや:仏法を誹謗すると眉毛が落ちると言われる。
仏法は言説を超えたものであり、言説に頼れば仏法を誹謗することになる。
ここで眉毛という言葉は悟りの本体としての父母未生以前の本来の面目(=真の自己=下層脳中心の脳)を表わしていると考えられる。
「賊となる人、心虚す」:盗人は内心ビクビクしている。
盗人は賊機を持った翠巌をさしている。
長慶:長慶慧稜(854〜932)。
「生ぜり」:眉毛は生え揃っている。
「関」:ピシャリ。
「門は閉められたぞ。ここが通れるか」という意味。
「関」は悟りへの関門という意味。

○ 長い夏安居の期間中、何を解き明かしつくした、と言うのか。説くべきものがあったのか。眉毛は有る。抜け落ちず、生えず、関も無い。
0042チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/06(火) 14:53:32.11ID:lzFO3MJp
> 禅宗の方、犬に仏性有りや無しやの話、詳しく教えてください。勿論、仏性有りの線で。昔、飼っていた犬には仏性があったと思っていますので。 』

山川草木国土悉有仏性
さんせんそうもくこくど しつ う ぶっしょう

悉く
ことごとく

仏性は有ります。

これを踏まえての問う、です。

仏性が有るに決まっていることに対しt、無、と発したのです。

答えは有なのに、です。

有無を問うているのではないのです。

改めて
 無
に、取り組んでください。
0043チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/07(水) 01:12:07.64ID:wto3zF76
碧巌録(へきがんろく) 第9則  趙州四門(じょうしゅう しもん)  

本則(ほんそく)

修行僧、趙州に問う、「いかなるかこれ趙州!?(地名、僧名がどちらも趙州)?」。
州云く、「東門、西門、南門、北門」。


趙州: 趙州従?(じょうしゅう・じゅうしん)禅師(778〜897)。唐代の大禅者。南泉普願(748〜834)の法嗣。趙州観音院に住んだので趙州和尚と呼ばれる。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願→趙州従シン

本則

ある修行僧が趙州に聞いた、「趙州とは何でしょうか?」。
趙州は言った、「東門西門南門北門」



趙州禅師は、河北省西部に位置する趙州の観音院に住んでいた。

趙州の観音院に住む趙州和尚に「趙州とは何でございますか4」と問う修行僧が居る。

勿論、
佛、真理(さとり) とは何でございますか、と突きつけたのである。

この問いに
極めて丁寧に、歯科も借りやすく答えた。
その観音院に東西南北の出入りする問が有ったのかどうかは知らないが、大陸では城郭の中に生活の場があった。
戦争や盗賊や武装集団の略奪襲撃から守るためである。
その外の世界の出入り口が、四つの門である。
シャキャ族の聖者に四門出遊の生老病死の大発見があったが、王や市民は城郭の中で暮らしている。

真理(さとり)は東西南北の四つの門である、と答える。

わたしはほとけとは、麻三斤(ま さんぎん) 家の前のこの小路(こみち)は都(みやこ)長安(ちょうあん)に通ず、花薬欄の公案が有り、これによってこの四門が同じ枝の葉っぱである、と透る。
0044チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/07(水) 01:33:00.13ID:wto3zF76
訂正

碧巌録(へきがんろく) 第9則  趙州四門(じょうしゅう しもん)  

本則(ほんそく)

修行僧、趙州に問う、「いかなるかこれ趙州!?(地名、僧名がどちらも趙州)?」。
州云く、「東門、西門、南門、北門」。


趙州: 趙州従?(じょうしゅう・じゅうしん)禅師(778〜897)。唐代の大禅者。南泉普願(748〜834)の法嗣。趙州観音院に住んだので趙州和尚と呼ばれる。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願→趙州従シン

本則

ある修行僧が趙州に聞いた、「趙州とは何でしょうか?」。
趙州は言った、「東門西門南門北門」



趙州禅師は、河北省西部に位置する趙州の観音院に住んでいた。

趙州の観音院に住む趙州和尚に「趙州とは何でございますか4」と問う修行僧が居る。

勿論、
佛、真理(さとり) とは何でございますか、と突きつけたのである。

この問いに
極めて丁寧に、しかも解かりやすく答えた。
その観音院に東西南北の出入りする四つの門が有ったのかどうかは知らないが、大陸では城郭の中に生活の場があった、それは戦争や盗賊や武装集団の略奪襲撃から守るためである。
その外界への出入り口が、四つの門である。
シャキャ族の聖者に「四門出遊」の生老病死」の初めて見た、初めて知った、大発見があったが、王や市民は城郭の中で暮らしている。

趙州従?(じょうしゅう・じゅうしん)禅師は、真理(さとり)は東西南北の四つの門である、と答える。

わたしはほとけとは、
麻三斤(ま さんぎん) 
家の前のこの小路(こみち)は都(みやこ)長安(ちょうあん)に通ず、
花薬欄の公案が有り、
これによってこの四門が同じ枝の葉っぱである、と透る。
0046チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/07(水) 18:02:26.98ID:wto3zF76
碧巌録(へきがんろく) 第10則 睦州(ぼくしゅう)、掠虚頭(らっきょとう)の漢(かん)  
本則

睦州、僧に問う、 「近離(きんり)いずれのところぞ?」。
僧すなわち喝す。

州云く、 「老僧、汝に一喝せらる」。
僧又喝す。

州云く、 「三喝四喝の後そもさん」。
僧無語。
州すなわち打って云く、 「この掠虚頭(らっきょとう)の漢(かん、おとこ)」。


睦州(ぼくじゅう):黄檗希運禅師の法嗣睦州道明禅師(780?〜877?)。
若い時代の臨済を策励したり、雲門文偃の脚をヘシ折ってまでして接得した人である。
親孝行の人で、陳尊宿と呼ばれ、名利を嫌い生涯韜晦して世に出なかった。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 → 百丈懐海 →黄檗希運→睦州道明
掠虚頭(らっきょとう)の漢:たわけもの。

本則

僧が睦州和尚の処にやって来た。睦州和尚はその僧に聞いた、 「お前さん何処から来たのか?」。すると僧は 「カーッ」と喝した。

睦州は言った、 「わしはお前さんに一喝されビックリしたのー。一本参ったわい」。
と僧の足下に落とし穴を掘った。僧はそれに気付かずまた 「カーッ」と喝した。

睦州は言った、 「お前さん、三喝四喝と喝の一つ憶えのようだな。喝の後はどうするんだい?」。
僧は黙ってしまった。
睦州は僧を打って言った、 「このたわけもの!」。

〇 禅の公案には、「解答集」がある。
或る王の時代、禅宗は禁止され、寺や仏教聖典は焼かれ、僧は首をはねられた。僧達は中国各地の奥地へと隠棲した。
真理(さとり)を伝えるために、むらの童謡、里謡に託して第三者が聞きとがめたとしても、禅の真理(さとり)を透過してなければ、解からないようにした。
許されたのち、戻ってきた禅宗は爆発的大領好機を迎える。弾圧の時代、禅僧はいのちがけの修行僧たちで、少数であり、質が高かった。
だが、大興隆のなか、急に増えたそうは量的拡大は、必然的に質が落ちる。そこに「公案解答集」が出回った。
形式化していった、のである、堕落したのである、安易に走ったのである。
そこで、アンチの新興宗としての曹洞宗が発生した。

この修行僧も、現在で言えば、ググる、コピペマン、だったのである。睦州禅師は見破って、叱咤し、激励をした。
0047チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/08(木) 20:49:53.58ID:sotrzP8F
碧巌録(へきがんろく) 第11則  黄檗酒糟の漢(おうばく しゅそう の かん) 

【本則】挙。黄檗示衆云、汝等諸人、尽是酒糟漢。恁麼行脚、何処有今日。還知大唐国裏無禅師麼。 時有僧出云、只如諸方匡徒領衆、又作麼生。檗云、不道無禅、
【本則】挙す。黄檗、衆に示して云く、「汝等諸人、尽く是?酒糟の漢なり。恁麼に行脚せば、何処にか今日あらん。還た大唐国裏に禅師無きことを知るや」。
時に僧あり出でて云く、「只諸方の徒を匡し衆を領いるが如きは、又作麼生」。
 檗云く、「禅無しとは道わず 、只是師無し」。
【本則】(黄檗禅師が聴衆に話し始めました。「看たところ、お前さん達は皆な酒粕の様な役立たずの人間に看える。何処を如何うろつきまわれば何処かに何か有ると思っているのか。この大唐国には禅師などいないのを知っているか」。
 すると一人の僧が黄檗に質問した、「それなら黄檗さん、多くの大衆に説教をたれ、門人を沢山引き連れている、その有様を如何説明するのです?」と。
黄檗はそれに応える。「禅の道に在る人が居ないと云っているのではない、只、禅の道に、これこそ本家本道等との定義付けは為らないと云う事さ」。)
【本則】
黄檗、衆に示して云く、 「汝等諸人、尽くトウ酒糟の漢、いんもに行脚せば、いずれの処にか今日あらん。 還って知るや。大唐国裏に禅師なきことを」。
時に僧あり出でて云く、「只だ諸方の徒を匡し衆を領いる如きは、又そもさん」
檗云く、「禅なしとはいわず、ただこれ師なし」。
【本則】ある日黄檗希運禅師は、門下の修行僧達に示して言った、「お前達は誰も彼も酒粕をたらふく食べて酔い心地の男のようだ。 そんな体たらくで、うろうろだらりと修行していてはとても今日のわしみたいにはなれんぞ。大体この大唐国四百余州には本物の禅師らしい禅師はおらん」。
 その時一人の僧が出で来て言った、「和尚は大唐国裏に本物の禅師はいないとおっしゃいますが、あちこちの道場には大勢の修行者達を集めて指導している老師方がおられます。 あれは一体どう見たらよいのでしょうか?」
黄檗、「わしは禅がないとは言っていない。 ただこれ明眼の禅師がいないと言ったのじゃ」と言った。

〇 そこに人が居ようが居まいが、真理(さとり)である。人は、覚らなければ真理(さとり)は分からずじまいで終わる。
0048チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/09(金) 00:39:51.31ID:/aC+E1/r
40代男性3人と2時間ばかり話し込んだ。
その中で禅の話しをする事があった。
話しはあれこれ飛び飛びに進んでいつのまにやら散骨についての話しが出た。
しばらくお互いに遣り取りがあって、わたしは禅の話しを切り出した。
ぜん? なんですか、ぜんって?
禅に他の意味があるとも思えないが共通認識ではないことに踊画起き、とっさにわたしは次に言うべきことばがさっと出てこなかった。
単にことばの音である、ぜん、
わたしは禅を説明しなければならないところに、初めて居たのだった。
ぜん、それはなにか?と言うことである。
わたしは達磨さんから話しを始めた。
高崎名物だるまさん、の事か、と言う。
起き上がりこぼしや、大願成就の縁起物のだるまさん人形の事では無いよ、とまず断りを入れた。
ダルマと言うインドからヒマラヤ山脈を回避して洋上をバナナの葉の船に乗って中国へやってきたと言う伝説を持つダルマさんと言う人物の事なんだよ。
そして、サンスクリット語でダルマとは法、真理と訳されるものだ。
しんりって、心理の事ですか?
うーん
心理ではなく、真理、さとり、だね。

こんなふうであった。

わたしは禅と言い出せば、すぐになにかしらの受け取りを誰もが持っているという固定観念、先入観があった。
単に「ぜん」と言う音のひびきとしてしか通用しないのだと言う、事実がある、と知った。
ここは、2ちゃんねるの「宗教」板であり、禅スレである。
そこに出入りし、書き込む人は、いくつものハードル越えをしてきた人たちなんだ、と思う。
ダルマ、法、真理、、を求める人を参ずる、と言うのだろう。

わたしは米国人神父が日本で禅に出会い、隻手の音声、と言う公案に取り組んで、挫折した、と言う本を読んだ。
これまでに旧約新約が1冊になっているカトリックの本を数回、頭から全部読んでいた。
わたしとは真逆にこの米国人神父は西洋から東洋を知ろうとしている。
隻手の音声を一音(いちおん)ずつ書き出しても見たそうである。
在日期間も短かったようで、数年で帰国したらしい。
わたしは唯心論的思考と実践をする中にも、その逆の唯物的思考と実践をする中にもいたことがある。
この隻手の音声は、両手で打てば音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、である。
0049死神
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2020/10/09(金) 02:43:16.20ID:NXVS8s11
そろそろだね。
0050死神
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2020/10/09(金) 02:43:50.68ID:NXVS8s11
お前の存在は消えかかってる。
0051死神
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2020/10/09(金) 02:45:22.56ID:NXVS8s11
懺悔しておきなさい。
0052神も仏も名無しさん
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2020/10/09(金) 11:40:43.56ID:SMpUCV0n
なんとなく安堂の流星爆弾攻撃が・・・・・・。
0053チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/09(金) 23:39:04.57ID:/aC+E1/r
ミックスリスト - Swinging Bach.
https://www.youtube.com/watch?v=Oz1lYc3NfoM&;list=RDOz1lYc3NfoM&start_radio=1&t=54

ミックスリスト - Sexiest Ladies of Jazz Vol. 2 - The Trilogy
https://www.youtube.com/watch?v=cR5_Jxt1t-Q&;list=RDcR5_Jxt1t-Q&start_radio=1&t=16

ミックスリスト - Jazzy Hot Nights
https://www.youtube.com/watch?v=S5Lo_uOwzwQ&;list=RDS5Lo_uOwzwQ&start_radio=1&t=0


ミックスリスト - The Best Of Soul, R&B, Smooth Jazz
https://www.youtube.com/watch?v=cJbI2fuTqsc&;list=RDcJbI2fuTqsc&start_radio=1&t=0&t=0
0054チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/10(土) 02:58:05.10ID:OlX38zHe
碧巌録(へきがんろく) 第12則  洞山麻三斤(とうざん ま さんぎん)

本則
修行僧、洞山に問う、 「 如何(いか)なるかこれ仏?」

山云く、 「 麻三斤」。
?
注:
洞山:雲門文偃の弟子洞山守初禅師(とうざんしゅそ、910〜990)。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→  雲門文偃→ 洞山守初

麻三斤:洞山守初が居た湖北省襄州は有名な麻の産地だったと言われる。
麻三斤は三斤の麻糸であり、ちょうど僧衣一着分の重さに当たる。
斤:昔の重さの単位。普通、160匁(約600グラム)。

本則

ある僧が洞山禅師に聞いた、 「 仏とは何ですか?」

洞山は言った、 「 麻が三斤だ」。



ほとけとは、真理(さとり)を言う。

問う、ほとけとは!?

答える、ちょうど1着の服を作ろうとして、小脇に抱えている麻布の重さは三斤ほど有るよ。

世界はどのように成り立っていますか!?

世界はこのように成り立っているぞ!?

世界とは1着の服であり、それは麻布であり、その重さが三斤ほどだ!?
0055チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/10(土) 03:11:28.04ID:OlX38zHe
>>54
碧巌録(へきがんろく) 第12則  洞山麻三斤(とうざん ま さんぎん)

本則
修行僧、洞山に問う、 「 如何(いか)なるかこれ仏?」

山云く、 「 麻三斤」。

注:
洞山:雲門文偃の弟子洞山守初禅師(とうざんしゅそ、910〜990)。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→  雲門文偃→ 洞山守初

麻三斤:洞山守初が居た湖北省襄州は有名な麻の産地だったと言われる。
麻三斤は三斤の麻糸であり、ちょうど僧衣一着分の重さに当たる。
斤:昔の重さの単位。普通、160匁(約600グラム)。

本則

ある僧が洞山禅師に聞いた、 「 仏とは何ですか?」

洞山は言った、 「 麻が三斤だ」。



ほとけとは、真理(さとり)を言う。

問う、ほとけとは!?

答える、ちょうど1着の服を作ろうとして、小脇に抱えている麻布の重さは三斤ほど有るよ。

世界はどのように成り立っていますか!?

世界はこのように成り立っているぞ!?

世界とは1着の服であり、それは麻布であり、その重さが三斤ほどだ!?


本則

ある修行僧がヨハネの長男ヨシュアに聞いた、 「 天の国とは何ですか?」
ヨシュアは言った、 「 麻布の重さが三斤ほどだよ」。

天の国は近づいた、悔い改めよ!?
0056チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/10(土) 17:04:21.89ID:OlX38zHe
碧巌録(へきがんろく) 第13則? 巴陵(ぱりょう)銀椀裏(ぎんわんり)に雪を盛る  

本則

修行僧、巴陵に問う、 「 如何(いか)なるかこれ提婆宗(だいばしゅう)?」

巴陵云く、 「 銀椀裏に雪を盛る」。



巴陵:巴陵鑑(こうかん)禅師。雲門文偃の法嗣。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 → 雪峯義存→ 雲門文偃→ 巴陵鑑

提婆(だいば)宗:迦那提婆(Kanadeva)の宗旨学説。
迦那提婆(Kanadeva)はもと96外道の一人であったが 龍樹尊者の指導で仏門に入り「百論」という著書を書いた。 彼は学者であるとともに雄弁家であったと伝えられる。
その弁才で外道や異端を破り縦横無尽に宗風学説を挙揚していたので、 時の人が提婆(だいば)宗と呼んでいたと伝えられる。ここでは提婆(だいば)宗とは仏法とか禅を意味している。

銀椀裏に雪を盛る:銀椀も雪も白く、見分けがつかぬが、全く違う。  禅の悟りの世界はそれと同じようだという比喩。

本則

ある僧が巴陵鑑(こうかん)禅師のところに来て聞いた、 「 禅宗の奥義はどのようなものでしょうか?」

巴陵は言った、 「 真っ白に輝く銀製の椀に白い雪を盛ったようなものだ」。


この公案は、隻手の音声、あるいは 無字の公案を透過したあとでは、続いてスッと透る。

なにを言ったものか。

銀椀と雪は、一と一であって、二である。

銀椀と雪は、二であるが、二ではない。

銀椀と雪は、二ではないが、二である。

而二不二、不二而二、
ににふに、ふににに

二であるが二ではない、二ではないがんである

二は 一の如し、一如 である。
0057チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/10(土) 22:10:42.87ID:OlX38zHe
消耗品は部品交換して使うものでは無い、と思う。
もとの値段が1000円ならば、加えて1500のベルトを付け替える事は、不必要と思われる。
生産と消費は二つの輪。
生産者が居て、流通業者が居て、販売者が居て、購買者が居て、
このサイクルが有って手元に購入品がある。
この逆回転は有り得ない。

大事に扱うのは大切。
このことに異論はない。
だが、経年変化は止められない。

1000円の腕時計は役割を終えた、のではないだろうか。
もとより、リユース は計画には無い消耗品だと思うよ。

ベルト高官はしたので、ベルト生産業者は、また、ベルトを生産できるから、蟻が鯛、だね。
良い行いをしたから、西方浄土に生まれる事を保証します(*´з`)キッパリ!?
0058チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/10(土) 22:45:28.65ID:OlX38zHe
陶器のツボがあって、この寿命は800年、だと聞いたことがあり、壊れるまでに800年があるものの、必ず壊れていく者なんだと驚きをもって聞き知った。
それは10代後半の事だった、と思う。

いまなら諸行無常、とか言って、ちょっと気取っても見たい。
でも、それも無意味で、
無常には
流転する
と言う事を言っているのだと、分かる。
陶器はやぶれて陶片になり、砂になり、土になる。

陶器を見る時、そこを見れば、
陶器は花弁である、と見える。
はらり、と散る花びら、である。

わたしの母は女性に特有なのか、花が好きだ。
病床にも欠かさず、きれいな花があった。

この有限のいっときの美を加賀谷化している花をどう思い、眺めていたのだろうか。死の床で。
この薬を飲むと、からだが悪くなる、と抗がん剤の錠剤だけを選んでごみ箱に捨てていた。
正常な細胞までも攻撃する抗がん剤は、病状を悪化させる悪代官に思えたのだろうか。
水戸のご老公の印籠は、出なかった。
山田五十鈴にわたしは似ているのよ、言っていた母である。
日舞のお弟子が人ばかりの小さな師匠ではあったが、立ち姿はきりりとその場の空気を一瞬にして緊張させ、別世界にいざなう人でもあった。

その母の年を越えてしまっている私は、親孝行息子に、成った。
生きているあいだは、これと言って親孝行などした事が無く、悲しい思いや嘆かわしい事ばかりをかけたが、親の年を超えた。

陶器にだってやぶれるには800年が必要条件である。
0059チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/10(土) 23:19:22.06ID:OlX38zHe
碧巌録(へきがんろく) 第13則? 巴陵(ぱりょう)銀椀裏(ぎんわんり)に雪を盛る  

修行僧、巴陵に問う、 「 如何(いか)なるかこれ提婆宗(だいばしゅう)?」。 巴陵云く、 「 銀椀裏に雪を盛る」。

〇 この公案は、隻手の音声、あるいは 無字の公案を透過したあとでは、続いてスッと透る。
  銀椀と雪は、一と一であって、二である。銀椀と雪は、二であるが、二ではない。銀椀と雪は、二ではないが、二である。

消耗品は部品交換して使うものでは無い、と思う。 もとの値段が1000円ならば、加えて1500のベルトを付け替える事は、不必要と思われる。
生産と消費は二つの輪。生産者が居て、流通業者が居て、販売者が居て、購買者が居て、
このサイクルが有って手元に購入品がある。この逆回転は有り得ない。
 大事に扱うことに異論はない。だが、経年変化は止められない。1000円の腕時計は役割を終えた、のではないだろうか。もとより、リユース は計画には無い消耗品だと思うよ。
陶器のツボがあって、この寿命は800年、だと聞いたことがあり、壊れるまでに800年があるものの、必ず壊れていく者なんだと驚きをもって聞き知った。それは10代後半の事だった、と思う。
いまなら諸行無常、とか言って、ちょっと気取っても見たい。でも、それも無意味で、無常には流転する。陶器はやぶれて陶片になり、砂になり、土になる。
 陶器を見る時、そこを見れば、陶器は花弁である、と見える。ハラリ、と散る花びら、である。わたしの母は女性に特有なのか、花が好きだ。病床にも欠かさず、きれいな花があった。
この有限のいっときの美を加賀谷化している花をどう思い、眺めていたのだろうか。死の床で。
この薬を飲むと、からだが悪くなる、と抗がん剤の錠剤だけを選んでごみ箱に捨てていた。
正常な細胞までも攻撃する抗がん剤は、病状を悪化させる悪代官に思えたのだろうか。水戸のご老公の印籠は、出なかった。
山田五十鈴にわたしは似ているのよ、言っていた母である。日舞のお弟子が人ばかりの小さな師匠ではあったが、立ち姿はキリリとその場の空気を一瞬にして緊張させ、別世界にいざなう人だった。
その母の年を越えてしまっている私は、親孝行息子に成った。生きている時は、親孝行などした事が無かったが、親の年を超えた。
陶器がやぶれるには800年が必要条件である。
0060チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/11(日) 01:27:16.77ID:mhg4iTcq
> 禅はサボりたい楽したい僧侶が悪どさから考えた方法でしょう。 なぜ禅は室内で座るの?サボって楽したいのが見え見え。
  ちゃんと外で座らないと修行にならないでしょう。 夏なら熱い岩の上、冬は凍りついた岩の上や雪上に座り、雨の日は雨に打たれながら座る。
  食事は3日ぐらいの短時間は摂らないとか。 日本の禅って甘えすぎてる、修行しないならやめればいいのに。 』

否定から何事であれ入れば、それは歯科医でしょうね、歯 入れ歯。。

人が集まる噴水のある広場で、これを見てくれと 派手にお祈りをする姿を見せるもの、これを歯出、と言う。

ダメダメ デツヨー、とヨハネの長男は喝破する。

パフォマーだね、ねねね。

坐禅は瞑想と言えば、解かると思うよ。

そして坐禅は同行二人(どうあんふたり)

自己とも一人の真の自己 との対話だ。

真の自己を佛 と言う。
佛とは、人格的存在ではない。
法、ダルマ、真理(さとり)、を佛と言う。

内在の神を見ないのが、一神教だが、誰が人を作ったのか、その人は神に似せてそっくりに作ったのだ、神と人はふたり ではない。

内も外も、自己も他も、二は二ではない、一の如し。

主とは主人。ご主人さま。支配者を言う。
主人が有るから、奴隷がある。
古代社会は、自由市民が一方的に消費者であり、戦争に負けた国の自由市民は奴隷で生産者である。
奴隷制経済だね。

汝こそ汝の主人公、他の誰が汝の主人公で有り得るか

これは主体性、主人公を言い、現代語で云うと、自由と言う。

奴隷にはなるな、こき使われるだけの人になるな、真の自己を引き渡すな。

汝こそ汝の主人公、他の誰が汝の主人公で有り得るか!?
0061チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/11(日) 02:03:01.53ID:mhg4iTcq
>>53
ミックスリスト - Bach - Cello Suite No. 5 in C minor BWV 1011 - Suzuki | Netherlands Bach Society
https://www.youtube.com/watch?v=zEHXTrJb3HQ&;list=RDzEHXTrJb3HQ&start_radio=1&t=16

ミックスリスト - Bach - Cello Suite No. 1 in G major BWV 1007 - Swarts | Netherlands Bach Society
https://www.youtube.com/watch?v=cGnZHIY_hoQ&;list=RDcGnZHIY_hoQ&start_radio=1&t=2

ミックスリスト - Bach - Cello Suite No. 2 in D minor BWV 1008 - Pincombe | Netherlands Bach Society
https://www.youtube.com/watch?v=_NvZRo-3wvU&;list=RD_NvZRo-3wvU&start_radio=1&t=12

ミックスリスト - Bach - Aria mit 30 Veranderungen Goldberg Variations BWV 988 - Rondeau | Netherlands Bach Society
https://www.youtube.com/watch?v=1AtOPiG5jyk&;list=RD1AtOPiG5jyk&start_radio=1&t=79
0062チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/11(日) 02:22:13.03ID:mhg4iTcq
バッハ(Bach) ゴールドベルク変奏曲(Goldberg Variations ) イタリア協奏曲 パルティータ第4番 - 1.55.50
https://www.youtube.com/watch?v=iho1yS2EPJI

ミックスリスト - J.S.Bach Complete Cello-Suites [ P.Fournier ] (1960)
https://www.youtube.com/watch?v=-tAA4HVaFjU&;list=RD-tAA4HVaFjU&start_radio=1&t=9

ミックスリスト - 『J.S.バッハ』メドレー25曲
https://www.youtube.com/watch?v=gaTql6kRcms&;list=RDgaTql6kRcms&start_radio=1&t=0

ミックスリスト - ♪スヴャトスラフ・リヒテル / J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1巻
https://www.youtube.com/watch?v=4Wt1eO1T0TE&;list=RD4Wt1eO1T0TE&start_radio=1&t=11
0063チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/11(日) 02:34:50.76ID:mhg4iTcq
ミックスリスト - J.S.Bach - French Suites
https://www.youtube.com/watch?v=0sDleZkIK-w&;list=RD0sDleZkIK-w&start_radio=1&t=6

ミックスリスト - J. S. Bach - Trio Sonatas BWV 525-530 - Holliger, Jaccottet, Zimmermann
https://www.youtube.com/watch?v=-fxorVN9tqg&;list=RD-fxorVN9tqg&start_radio=1&t=0

ミックスリスト - Bach - Violin Concertos BWV1041-1064 | Freiburger Barockorchester
https://www.youtube.com/watch?v=UBrkeYrXRas&;list=RDUBrkeYrXRas&start_radio=1&t=0

ミックスリスト - J. S Bach - The complete liturgical year in 64 cantatas - S. Kuijken (CD 16/19)
https://www.youtube.com/watch?v=OO4G0dSkLko&;list=RDOO4G0dSkLko&start_radio=1&t=13
0064チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/12(月) 18:00:17.29ID:jkhPzfch
碧巌録(へきがんろく) 第14則  雲門対一説(たい いっせつ)

舉。僧問雲門。如何是一代時ヘ。雲門云。對一説。

挙こす、僧そう、雲門うんもんに問とう、「如何いかなるか是これ一代いちだい時じ教きょう」。雲門うんもん云いわく、「対たい一説いっせつ」。
?
本則:
僧、雲門に問う、「如何なるか是れ一代時教?」  雲門云く、「対一説」。

本則:
ある僧が雲門に聞いた、 「ブッダ一代の教説はどのようなものですか?」
雲門は言った、 「相手の機根に応じて一つずつ説いただけだ」。

僧、雲門に問う、如何なるか、是れ一代時教、雲門云く、對一説」。
雲門禅師に弟子が、一代時教(釈迦の教え)とは何かと尋ねる。雲門禅師は「對一説(応えて言葉にせよ)」と答えた
 
本則での僧の質問「ブッダ一代の教説はどのようなものですか?」 は雲門に対し何か深く詳しい解説や返答を期待して聞いたものと思われる。
しかし、雲門の返答「相手の機根に応じて一つずつ説いただけだ」 と簡単で僧の期待に反するものだった。

雲門の返答「対一説」 (相手の機根に応じて一つずつ説いただけだ)。


注:
雲門:雲門文偃(864〜949)。雲門宗の祖。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→ 龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃
一代時教:ブッダの一生涯における教説。

対一説 :1つずつ答える。目前の機に応じ、方便に徹して1つずつ答える。

〇 Buddhaが一生かかってわたし達に説いたものは、いったい、何を説いたっものでございますか!?
   一人一人の疑問に答えていったんだよ。

如是我聞 にょーぜーがーもん
100人居れば、100通りの受け取りがある。
だが、それ以上の説き方、聞き方が、他にあるだろうか。
0065神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/10/12(月) 18:13:55.70ID:fFYD+n3W
ぼたこう、これ、さるなり。
0066チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/14(水) 02:41:40.86ID:zwMp1FzW
碧巌録(へきがんろく) 第15則  雲門倒一説(うんもん とう いっせつ)

本則

修行僧、雲門に問う、「これ目前の機にあらず、また目前の事にあらざるとき如何(いかん)?」
雲門云く、「倒一説」。

本則
ある僧が雲門に聞いた、 「目前に説法する相手がいないし、説法する課題もない場合にはどうしますか?」
雲門は言った、「引っくり返して説きなさい」。


雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864〜949)。雲門宗の祖。 法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→ 徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃
若くして出家し、刻苦精励して大悟されたが、更に境涯の円熟を期して幾多の名僧に歴参された。
「雲門天子」と称された高邁な宗風をもつ雲門宗の開祖であり、その「日々是好日」の句は一般にも良く知られている。
雲門文偃禅師は唐末から五代(864 ? 949)にかけて活躍された名僧である。
その伝記は、何といってもその言行録である『雲門広録』(とりわけ、その末尾の「雲門山光泰禅院匡真大師行録」)が基本となる。

雲門禅師は諱(いみな)が文偃といい、俗姓を張という。浙江省・嘉興の出身であった。幼時から俗世間を厭(いと)い、17歳の時、遂に嘉興の空王寺の志澄律師の弟子となって出家した。
禅師は生まれながら賢く聡明で、経典を読んでも一度で理解して再見を要しないほどであったので、律師も大層その器量を称(たた)えたという。
20歳にして江蘇省・毘陵(びりょう)の戒壇で具足戒を受け、再び志澄律師のもとに戻って、戒律を集大成した四分律(しぶんりつ)を学んだ。

これ目前の機にあらず、また目前の事にあらざるとき如何?: 目前に説法の相手もおらず、また説法する課題もない時どうしますか?
倒一説:一つずつ反転する。一切の定言を価値転換する。

問う、「説法の相手もいないし、テーマもない場合どうしますか?」

答える、「一説など蹴っ飛ばせ! 」


禅は何を伝えるのか。
主人公である、平等である。平等であり、主人公である。この事である。
これは、わたしが、と言うだけではない、全存在が、全宇宙が、主人公である。それぞれは違うが、違っていて同じ、平等である。
0067チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/14(水) 16:27:36.72ID:zwMp1FzW
学ぶと言う、 理解と記憶である。

誰であれ、下から↑に見上げるな。

肩を並べた、と言うな。

追いつき追い越せ、それをJesus、という 止揚する、と、言う。
0068ポッタン
垢版 |
2020/10/14(水) 16:45:26.66ID:gwlfYq/U
ポッタン師一世の公案に参ぜよ。
0069チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/14(水) 19:25:55.06ID:zwMp1FzW
碧巌録(へきがんろく) 第16則  鏡清(きょうせいおしょう)裏裏(そうり)の漢(かん)

本則
僧、鏡清に問う、「学人ソッす。請う師、啄せよ」。
清云く、 「還って活を得るや、也た無なや。」
 
僧云く、「もし活せずんば人に怪笑せられん」。
清云く、「也たこれ草裏の漢」。

本則
挙す、僧鏡清に問う、學人?(そつ)す、請(こ)う師啄(たく)せよ。
清いわく、還って活を得るやまた無しや。
僧いわく、若し活せずんば、人に怪笑(けしょう)せられん。
清いわく、また是れ草裏の漢。

本則
一人の僧が鏡清禅師の処にやって来て聞いた、「私は禅の修行を積んできたため、今や開悟の機が熟しています。老師、どうか1つ悟りを覆う殻をつつき破って悟りを開かせて下さい」。
鏡清は言った、「そうか、つついてやってもいいが、お前さんの命は大丈夫かな。」
 
僧は言った、「もし私が悟りを開くことができなければ、老師がかえって世間の笑いものになりますよ」。
鏡清は言った、「このたわけ者め!」。


鏡清:鏡清道フ(きょうしょうどうふ、868〜937)。雪峰義存の弟子で浙江省紹興府の鏡清寺に居住した。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 鏡清道フ
草裏の漢:妄想の草の中に埋まっているたわけ者。落ちこぼれ野郎。たわけ者
?啄同時(そったくどうじ)

ある僧が、鏡清和尚に【學人?す、請う師啄せよ】と問うた。
この鏡清和尚は日ごろから『行脚(あんぎょ)の人は、須らく?啄同時の眼を具し、?啄同時の用ありてまさに衲僧(のうそう)と称すべし』と弟子に教えていた。
だからその僧は「私は、内部からツツイテいます、どうぞ外からツツイテ下さい」と言ったのである。
鏡清和尚いわく【還って活を得るやまた無しや】ところで、その雛は生きているのか、死んでいるのか?と聞いたのである。
そこで僧は、生きておりますとも、死んだ雛が殻の中からものを言ったとしたら人から怪しまれ、物笑いの種になりましょうぞと答えたのである。
そこで鏡清和尚は、真に生きているのなら何のために外からツツイテ下さいなどと云う必要があるか『生きていると言っても、どうやら草葉の陰で生きているらしいぞ』と冷やかしたのである。【草裏の漢】である。
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2020/10/15(木) 23:52:12.01ID:s5a/vITy
碧巌録(へきがんろく) 第17則  香林坐久成労(きょうりん ざきゅう じょうろう)

本則
擧。僧問香林。如何是祖師西來意。林云。坐久成勞。
挙こす、僧そう、香林きょうりんに問とう、「如何いかなるか是これ祖師そし西来せいらい意い・」。林りん云いわく、「坐久ざきゅう成労じょうろう」。

本則:
僧、香林(きょうりん)に問う、 「如何なるかこれ祖師西来意?」。 林云く、 「坐久成労」。
香林のところにある僧がやって来て聞いた、 「禅の究極の本質とはどのようなものでしょうか?」。 香林は言った、 「長く坐っていてくたびれたなー」。


香林(きょうりん):香林(きょうりん)澄遠(ちょうおん)禅師(908〜987)。 雲門文偃の法嗣。四川省成都の香林寺の住職。 雲門四哲の1人。常日頃雲門の言葉を記録していて、 それが後に「雲門録」になったと伝えられる。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→ 龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃→香林澄遠
雲門四哲:雲門門下の四人の優れた法嗣。洞山守初(910〜990)、智門師寛(生没年不明)、
徳山縁密(生没年不明)、香林澄遠。

祖師西来意(そしせいらいい):元々は達磨大師が中国にやって来た意味だが 禅宗では禅の究極の所や本質をさす。
坐久成労:長く坐っていてくたびれたな。
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2020/10/15(木) 23:53:29.75ID:s5a/vITy
>>71

→ テレビで、もう10年以上も前になると思うが、現代の中国南方での禅宗寺院で、僧侶たちが銘々の城跡でもあるのだろうか、築山の岩の上や、庭の隅っこにある風通しの良い大きな木の下で、ゆったり座っている姿を見たことがある。
    南方地域なので、手に棕櫚の葉で作った団扇を持っていて、あおいでいる。
    日本の禅僧の腰を固めて背筋を伸ばして、眼は半眼で、手は親指を軽く触れた姿ではなかった。
    むしろ暑いので静かに坐って休んでいる、と言える。
    頭がばちん、と音をたてた。
    と言うのも、わたしは股関節を傷めて以来の椅子禅である、からである。
   いすに坐って頭のてっぺんを引っ張り上げられる、という思いで坐る。
   また、これは、黄檗宗の僧侶の話しだが、和尚は足が悪く、檀家まわりの時は、正座が出来る補助具を携帯して使っていた。
   死んだとき、坐禅の姿勢が出来るよう足の骨を折って坐棺に収まった。
   生涯の念願だった、坐禅の姿だった。
   こうあるべき、
   ほとけのおすがた、
   内外の統一、
   そんな事だったのではないか。
   わたしの椅子禅も2年以上が過ぎた。
   それは、木陰で棕櫚の葉の団扇をゆったり使う中国南部の禅僧のように坐る。
   疲れは無い、長く坐っての疲れない。
   18年の侍者としての修行、同行二人(どうあんふたり)のもう一人の真人、を看たか!?
   香林(きょうりん)澄遠(ちょうおん)禅師
   師家は遠侍者、と、と呼び、はい!と18年間、答え続けた、と言う。
   そして、大悟した。
   真理(さとり)とは!?と尋ねられて、必ず、あなたもさとるよ、わたしがさとったのだから、と優しい。
0074チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/16(金) 00:12:23.49ID:YI8J46og
碧巌録(へきがんろく) 第17則  香林坐久成労(きょうりん ざきゅう じょうろう)

本則
擧。僧問香林。如何是祖師西來意。林云。坐久成勞。
挙こす、僧そう、香林きょうりんに問とう、「如何いかなるか是これ祖師そし西来せいらい意い・」。林りん云いわく、「坐久ざきゅう成労じょうろう」。
僧、香林(きょうりん)に問う、 「如何なるかこれ祖師西来意?」。 林云く、 「坐久成労」。
香林のところにある僧がやって来て聞いた、 「禅の究極の本質とはどのようなものでしょうか?」。 香林は言った、 「長く坐っていてくたびれたなー」。
祖師西来意(そしせいらいい):元々は達磨大師が中国にやって来た意味だが 禅宗では禅の究極の所や本質をさす。坐久成労:長く坐っていてくたびれたな。

→ テレビで、現代の中国南方での禅宗僧侶たちが銘々、岩の上や、庭の風通しの良い大きな木の下で、ゆったり座っている姿を見た。
    南方地域なので、手に棕櫚の葉で作った団扇を持ち、あおいでいる。
    日本の禅僧の腰を固めて背筋を伸ばして、眼は半眼で、手は親指を軽く触れた姿ではなかった。
    むしろ暑いので静かに坐って休んでいる、と言える。
    わたしは股関節を傷めて以来の椅子禅である。
   いすに坐って頭のてっぺんを引っ張り上げられる、という思いで坐る。
    また、これは、黄檗宗の僧侶の話しだが、和尚は足が悪く、檀家まわりの時は、正座が出来る補助具を携帯して使っていた。
   死んだとき、坐禅の姿勢が出来るよう足の骨を折って坐棺に収まった。
   生涯の念願だった、坐禅の姿だった。
   こうあるべき、ほとけのおすがた、内外の統一、   そんな事だったのではないか。
   股関節を傷めて以来のわたしの椅子禅も20年以上が過ぎた。
   それは、木陰で棕櫚の葉の団扇をゆったり使う中国南部の禅僧のように坐る。疲れは無い、長く坐っての疲れない。
    18年の侍者としての修行、同行二人(どうあんふたり)のもう一人の真人、を看たか!?
   香林(きょうりん)澄遠(ちょうおん)禅師に 師家は遠侍者、と、と呼び、はい!と18年間、答え続けた、と言う。そして、大悟した。
   真理(さとり)とは!?と尋ねられて、必ず、あなたもさとるよ、わたしがさとったのだから、と優しい。
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2020/10/17(土) 03:34:46.60ID:MOX1BjYJ
碧巌録(へきがんろく)  第18則  忠国師無縫塔 (むほうとうみることかえってかたし)

本則
粛宗皇帝、忠国師に問う、「百年の後所須何ものぞ」。
国師云く、「老僧のために箇の無縫塔を作れ」。

帝云く、「請う師、塔様」。
国師良久して云く、「会すや」。

帝云く、「不会」。
国師云く、「吾れに付法の弟子耽源というものあり、却ってこの事を諳(そら)んず。請う詔して之れに問え」。
 
国師遷化の後、帝耽源を詔してこの意如何と問う。
源云く、「湘の南、潭の北」。
 
雪竇著語して云く、「独掌みだりに鳴らず。中に黄金あり一国に充つ」。
雪竇著語して云く、「山形(さんぎょう)のシュ杖子(しゅじょうす)。無影(むよう)樹下の合同船」。

雪竇著語して云く、 「海晏河清。瑠璃殿上に知識無し」。
雪竇著語して云く、 「拈了也」。

本則
粛宗皇帝が慧忠国師に聞いた、「国師の死後、こうして欲しいというものが何かありますか?」。
国師は言った、「そうじゃな、老僧のためにひとつ縫い目に無い塔を作って下さい」。
 
帝は言った、「国師よ、その塔は五輪の塔ですか、それとも卵塔でしょうか?」 具体的に塔の様子を図面などで示して下さい」。
国師はしばらく沈黙した後言った、 「分かりましたか?」。
 
帝は言った、 「いえ、分かりません」。
国師は言った、 「私の嗣法の弟子に耽源(たんげん)という者がおります。彼はこの事を良く分かっています」。 彼を詔して聞いて下さい」。
 
国師が遷化した後、帝は耽源を詔して、この事について聞いた。
耽源は言った、 「湘の南、潭の北」。
 
雪竇は著語して言った、「片手だけでは音も出ない。中に黄金があって一国に充ちている」。
雪竇は著語して言った、「山形(さんぎょう)のシュ杖子(しゅじょうす)。無影樹下の合同船」。
 
雪竇は著語して言った、「海は安らかで河は清らかである(天下泰平)」。 この極楽世界の瑠璃殿上(悟りの世界)にはあなたの知り合いは誰もいない」。
雪竇は著語して言った、 「話はこれでおしまい」。

→ 問う、真理(さとり) とは!? 答える、縫い目のないお墓だ。死期を目前にして問われた問いと答えである。色即是空。悟前(ごぜん) 未悟(みご)の人に問う。
0076神も仏も名無しさん
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2020/10/17(土) 04:31:45.77ID:vL0YfNyT
寂しいシコシコさるだ!!
0077チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/17(土) 19:40:28.90ID:MOX1BjYJ
碧巌録(へきがんろく)  第19則  倶胝(ぐてい)只(た)だ一指(いっし)を(た)堅つ  

本則
倶胝和尚、凡(およ)そ所問あれば、只だ一指を堅つ。

本則
倶胝和尚はいつも何を尋ねられても、一本の指をさっと立てて答えた。


倶胝和尚:馬祖下の大梅法常(752〜839)の法嗣 天竜禅師(生没年不明)の法を嗣いだ人。馬祖の孫弟子に当たる。
はじめ浙江省の金華山にいたが後に福建省の倶胝寺に移ったと伝えられる。
いつも「七倶胝仏母所説准提陀羅尼経」を誦したので倶胝和尚と呼ばれた。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道→大梅法常→天龍→倶抵

倶胝和尚は臨終を迎えた時、門下の修行僧達を集めて「わしは天竜和尚の処で「一指頭の禅」を得たが、一生かかってもそれを使い切ることができなかった」 と言ってすぐに息を引き取ったと伝えられる。
この公案の主題は倶胝和尚が天竜和尚の処で得た 「一指頭の禅」とは何かということである。
倶胝和尚の「一指頭の禅」 はなかなか理解されなかったようであるが「心境一如」の状態をさすと考えれば良い。
禅者は真の自己を「仏性」、「如来蔵」、漆桶(しっつう)(5則)、 眉毛(8則)「無縫塔」(18則)、「シュ杖子(しゅじょうす)」(18則)、 「蓮花」(21則)、 「説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう)
(説似すれども一物として中(あた)らず、何かと言えばもう的を外れているという意味)」(南嶽懐譲)、 「無一物」(六祖慧能)、無字(無門慧開、「無門関」第一則)、 「般若の体」(90則 )など種々に表現する。

→ この公案は、庭前柏樹子(ていぜんのはくじゅし)、と言う公案の後に続いて透った。
  もちろん言うまでもないが、わたしは師独悟(むしどくご) 独覚(どっかく)である。
  問う、如何なるか是れ祖師西来意!? 答える、庭前柏樹子(ていぜんのはくじゅし)
0078チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/17(土) 21:42:05.73ID:MOX1BjYJ
以前 わたしは二人のイスラエル人と知り合うことがあった。

一人は空手家で、もう一人は柔道家であった。

空手は日本人の妻をめとりイスラエルで盆栽家となる。

柔道家は、指圧師で、帰国後、開業した。

そのイスラエル人が、言う。

Jesusと言う人物はかって存在しなかった。
存在していた、という証拠がない、と言う。

死後、5年後から、12年後の書かれた数冊の本があるだけである。

ヨーロッパの科学、文化芸術は全てイエスの存在証明であり、200年間続く宗教哲学がある。

そfれはいまだに、解 を得ていない。

永遠の証明問題である。

曰く、無いものの証明は出来ない、それは悪魔の証明、と言う。

また、Jesus自身はユダヤ教徒である。
0079チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/17(土) 21:57:16.34ID:MOX1BjYJ
>>78
以前 わたしは 二人のイスラエル人と知り合うことがあった。

一人は空手家で、もう一人は柔道家であった。

空手は日本人の妻をめとりイスラエルで盆栽家となる。

柔道家は、指圧師で、帰国後、開業した。

そのイスラエル人が、言う。

Jesusと言う人物はかって存在しなかった。
存在していた、という証拠がない、と言う。

死後、50年後から、140年後の書かれた数冊の本があるだけである。

ヨーロッパの科学、文化芸術は全てイエスの存在証明であり、2000年間続く宗教哲学がある。

そfれはいまだに、解(かい) を得ていない。

永遠の証明問題である。

曰く、無いものの証明は出来ない、それは悪魔の証明、と言う。

また、Jesus自身はユダヤ人であり、ユダヤ教徒である。
0080チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/18(日) 01:09:31.31ID:2s4VfBvU
>>61
ミックスリスト - クラシック人気曲メドレー (48曲)
https://www.youtube.com/watch?v=jikKjpfnyE8&;list=RDjikKjpfnyE8&start_radio=1&t=636

ミックスリスト - 最も有名なクラシック音楽50選
https://www.youtube.com/watch?v=ZKFwQFBwQFU&;list=RDZKFwQFBwQFU&start_radio=1&t=7

ミックスリスト - Most Iconic Classical Music
https://www.youtube.com/watch?v=-7jjo8UICjQ&;list=RD-7jjo8UICjQ&start_radio=1&t=5

ミックスリスト - 100 Most Famous Classical Pieces
https://www.youtube.com/watch?v=ntKeICIXKsw&;list=RDntKeICIXKsw&start_radio=1&t=6
0081チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/18(日) 01:34:53.45ID:2s4VfBvU
>>80
「精進おでん」 - 3.00
https://www.youtube.com/watch?v=qB1roHCZ6yU

精進料理 日記「冬のご馳走」 - 1.00.00
https://www.youtube.com/watch?v=azMH0-IOjOg

趣味Do楽「いただきます お寺のごはん」01【粥】 - 24.25
https://www.youtube.com/watch?v=zMZHhlKUQlQ

精進料理 日記「霜月 あれこれ漬け」 - 30.01
https://www.youtube.com/watch?v=0ZpUZk79JVU
0082神も仏も名無しさん
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2020/10/18(日) 05:00:02.83ID:rh5q5qK0
寂しいシコシコサル日記だ。
0083チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/19(月) 21:53:31.94ID:CyADJVqz
碧巌録(へきがんろく) 第20則?   龍牙西来意(りゅうげ せいらいい) 龍牙が翠微(すいび)と臨済(りんざい)に祖師西来意を問う

本則

龍牙が翠微に聞いた、 「禅の本質とはどのようなものでしょうか?」。 翠微は言った、「私にそこの禅版取ってくれんか」。
龍牙は禅版を取って渡した。 翠微は、禅版を受け取ったとたんに龍牙の横っつらをぶんなぐった。 龍牙は言った、「なぐるのはあなたの勝手です。しかし、そこには禅の本質はありませんね」。

その後龍牙は河北の臨済を訪ね臨済に同じことを聞いた、「禅の本質とはどのようなものでしょうか?」。 臨済は言った、「私にそこの坐蒲(蒲団)を取ってくれんか」。
龍牙は坐蒲を取って臨済に渡した。 臨済は坐蒲を受け取ったとたんに龍牙の横っつらをぶんなぐった。 龍牙は言った、「なぐるのはあなたの勝手です。 しかし、そこには禅の本質はありませんね」。

禅版:木板の一端があごを乗せて休むように丸くくりぬいてある。 長時間の坐禅で疲れて来た時坐睡するため使う木板。
蒲団:坐禅の時に尻に敷く坐蒲。 要且つ:結局。

→ 修行僧、龍牙(りゅうげ)が翠微(すいび)禅師(ぜんじ)に真理(さとり)とは何ですか、と問う。そこに在る禅板(ぜんばんを取ってくれ、と答えた。
   龍牙(りゅうげ)は言われたまま禅板(ぜんばんを取って手渡した。翠微(すいび)は間髪を入れず龍牙(りゅうげ)の横っ面を毛加減せずひっぱたいた。
   殴られましたが、真理(さとり)は受け取っていません、と言う。  
   納得のいかない龍牙(りゅうげ)は次いで臨済(りんざい)に同じことを問う。臨在は。そこに在る蒲団(坐禅の時に尻に敷く坐蒲)を取ってくれ、と答えた。
   龍牙(りゅうげ)は言われたまま坐蒲を取って手渡した。翠微(すいび)は間髪を入れず龍牙(りゅうげ)の横っ面を毛加減せずひっぱたいた。
   殴られましたが、真理(さとり)は受け取っていません、と言う。 

悟前(ごぜん) 未悟(みご)の修行僧、龍牙(りゅうげ)が二度にわたって二人の禅師に同じ問いをしたのである。
答えは、おまえはどこに目を向けて問うているのだ、お前の中の仏性を見よ、叱咤激励すると言う懇切丁寧さである。

   
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2020/10/21(水) 01:09:35.22ID:sCzD5iY5
碧巌録(へきがんろく)  第21則  智門蓮花荷葉(ちもん れんげ かよう)

本則

修行僧、智門に問う、「蓮華、未(いま)だ水を出(い)でざる時 如何(いか)ん?」。
智門云く、「蓮華」。

修行僧云く、「水を出でて後 如何ん」。
門云く、「荷葉(かよう、ハスの葉)」。


智門:智門光祚。雪竇重顕(980〜1052)の師。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→・・・雪峰義存→雲門文偃→香林澄遠→智門光祚→雪竇重顕

水を出でざる時:成仏前の俗人の時。
蓮華:仏の比喩表現。
荷葉(かよう):成仏前の俗人の比喩表現。
水を出でて後:見性成仏した後。

本則

智門光祚禅師に僧が聞いた、「蓮華が未だ水の上に出て咲いていない時は一体何と呼んだら良いのでしょうか?」。
智門は言った、「蓮の華だ」。

僧は聞いた、「では、水の上に出た後は一体何と呼んだら良いのでしょうか?」。
智門は言った、「蓮の葉だよ」。

→ 色即是空は、空即是色へと還(かえ)る。である。
   聖体長養三十年。である。
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2020/10/21(水) 19:10:13.10ID:sCzD5iY5
碧巌録(へきがんろく)  第22則  雪峰鼈鼻蛇(せっぽう べつびじゃ)

本則
雪峰義存禅師、衆(しゅ、修行僧たち)に示して云く、「南山に一条の鼈鼻蛇(べつびだ)あり。汝等諸人、切に須(すべか)らくよく看るべし。」
長慶云く、「今日堂中、大(たしか)に人の喪身失命(そうしん しつみょう)するあり」。
僧、玄沙に挙似(こじ)す。
玄沙云く、「須らくこれ稜兄(長慶慧稜)にして始めて得べし。然もかくの如くなりと雖(いえど)も、我は即ち不恁麼」(ふいんも)。
僧云く、「和尚そもさん」。
玄沙云く、「南山を用いて何かせん」。
雲門柱杖をもって雪峰の面前に付き付けて怕(おそ)るる勢いをなす。


雪峰:雪峰義存(822〜908)法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峰義存

南山:雪峰山
鼈鼻蛇(べつびだ):鼻のひしゃげた毒蛇(コブラか?)。「真の自己」を毒蛇に譬えている。
長慶:長慶慧稜(854〜932)。
玄沙:玄沙師備(835〜908)。出家前は釣りを好んだことで知られる。
雲門:雲門文偃(864〜949)。
長慶慧稜、玄沙師備、雲門文偃は雪峰義存の法嗣である。
本則は雪峰義存と3名の弟子の問答になっている。

本則
雪峰義存禅師がある時、大衆に示して言った、「この雪峰山には一匹の毒蛇がおるぞ。お前さん達、その毒蛇に呑み込まれないよう気を付けるが良い。」
すると長慶が進み出て言った、「いや、たしかに堂中の雲水達はその毒に当てられて一人も生きていませんよ」。
ところがその時側にいた僧にはこの問答の意味が分からず、玄沙師備禅師にその話をした。
玄沙師備はそれを聞くと言った、「なるほど、さすがに長慶慧稜兄だ。彼だからそういう答えができた。しかし、わしだったらそうは言わんな」。
僧は言った、「和尚だったらどう言われるのですか?」。
玄沙師備は言った、「その蛇は何も南山(雪峰山)だけにいるわけじゃない」。
雪峰義存禅師と長慶慧稜が交わしていた問答を聞いていた雲門文偃はいきなり柱杖を雪峰の面前に投げ出し、「そりゃ、出たぞ!」 とぶるぶる震えて恐ろしいといった様子をした。
この公案は禅の中心課題は「真の自己を明らかにすること(己事究明)」にあると言っている。

〇 分別しない。
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2020/10/22(木) 23:51:30.18ID:lUXx1oYM
碧巌録(へきがんろく)  第23則  保福長慶遊山(ほふくちょうけい ゆさん)

雪峰義存(せっぽう ぎそん)0歳の頃
その弟子達三名・・長慶慧稜(ちょうけい けいりょう38才頃) 鏡清道?(きょうせいどうふ24才頃) 保福従展(ほふく じゅうてん22才頃)の、雪峰山、禅院での遊山問答

本則

保福従展、長慶慧稜、遊山する次(つい)で、福、手をもって指して云く、「只8tada)這裏(しゃり) すなわちこれ妙峰頂(みょうほうちょう)」。
慶云く、「是なることは即ち是なるも、可惜許(かしゃくこ)」。

雪竇(せっちょう)著語(じゃくご)して云く、「今日この漢とともに遊山して、箇(こ)のなにをか図る」。
また云く、「百千年後無しとはいわず、ただこれ少なし」。後 鏡清道フに挙示(こじ)す。

清云く、「もしこれ孫公(長慶慧稜の俗姓)にあらずんば、すなわち髑髏(どくろ)、野にあまねきことを見ん」。

本則
ある日の薬石(夕食)後のこと、保福と長慶の2人が、連れ立って近くの山に散歩に出かけた。
太陽が西の山々を照らしながら沈んで行く頃で夕日が暮なずむ山々の稜線を照らしこの世のものとは思えない絶景が展開していた。
保福はこれを見て指さしながら云った、「ああ、何と素晴らしい景色だ!まるで天上界のようだ。華厳経に説く徳雲比丘が住む妙峰頂とはこのような処だろうか」。保福はこう言って「自分の悟りの境地」を匂わせた。
長慶は言った、「そりゃそうだな。しかし、悟りくさくて鼻もちならん。ちょっと違うのが惜しいな。」。
後に雪竇はこれに著語して言った、「今日この二人はせっかく遊山したというのに、悟り臭いこと言っていったい何をしにいったのか」。
雪竇はこれでは言い足りなかったのかこれに付け加えて言った、「しかし、そうは言うものの、「這裏これ妙峰頂」と言えるような者は百千年後といえども少ないだろうな」。
後にこの話を聞いた鏡清は言った、「もしこれが孫公(長慶)がいなかったならば、そのまま悟りの死人禅で、地球は埋まってしまっただろう」。
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2020/10/24(土) 02:51:13.32ID:jgHVmVeo
碧巌録(へきがんろく)  第23則  保福長慶遊山(ほふくちょうけい ゆさん)

雪峰義存(せっぽう ぎそん)70歳の頃、その弟子達三名・・長慶慧稜(ちょうけい けいりょう38才頃) 鏡清道?(きょうせいどうふ24才頃) 保福従展(ほふく じゅうてん22才頃)の、雪峰山、禅院での遊山問答

本則

保福従展、長慶慧稜、遊山する次(つい)で、福、手をもって指して云く、「只(た)だ這裏(しゃり) すなわちこれ妙峰頂(みょうほうちょう)」。

慶云く、「是なることは即ち是なるも、可惜許(かしゃくこ)」。

雪竇(せっちょう)著語(じゃくご)して云く、「今日この漢とともに遊山して、箇(こ)のなにをか図る」。また云く、「百千年後無しとはいわず、ただこれ少なし」。後 鏡清道フに挙示(こじ)す。

清云く、「もしこれ孫公(長慶慧稜の俗姓)にあらずんば、すなわち髑髏(どくろ)、野にあまねきことを見ん」。


→ 同じ師家の若き3人の修行僧たちの一番若い保福が美しい景色を見て悟境を言った。真理(さとり)とは、一の如し、である。見る、見られるが無い。看るもの看られるものが無い。浄土教典に西方の浄土を思って日が没する様子を見詰める「日想観」がある。
  西日に向かって正座するのである。。「一切衆生(いっさいしゅじょう)、みな日の没するを見よ。まさに想念を起こして正座して西に向かい、あきらかに日を観(かん)ずべし」
  夕陽に照らされる風景は、あかね色に染め上げられる。
  何もかもが、あかね色、一色(いっしき)である。
  阿弥陀仏に手をあわせ、阿弥陀仏が手をあわせている。
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2020/10/24(土) 16:01:42.01ID:jgHVmVeo
ミックスリスト - 反日教育に洗脳された韓国人の私が親日になった理由
https://www.youtube.com/watch?v=oS1v6QMdhlA&;list=RDCMUCriDZwQxo_26HiVB1Fwjx1Q&start_radio=1&t=401

WWUK氏にインタビュー 日韓の若者に正しい歴史を伝えたい - 56.29
https://www.youtube.com/watch?v=f5XHnyQCLfI

【櫻井よしこ】反日教育を受けた韓国人が親日になった理由. ベストセラー『反日種族主義』を読み解く【呉善花】 - 16.43
https://www.youtube.com/watch?v=_nysI5-O9FY

韓国人が日本で10年住んだら変わったこと|全部正直に話します - 17.20
https://www.youtube.com/watch?v=AVCPhn4REmk
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2020/10/25(日) 02:47:29.99ID:AK0thtDS
碧巌録(へきがんろく)  第24則  鉄磨到イ山

本則

劉鉄磨、イ山(いさん)に到る。

山云く、 「老ジ牛、汝来たれり」。
磨云く、「来日、台山に大会斎あり、和尚還って去るや」。
イ山、身を放って臥す。
磨すなわち出(い)で去る。


劉鉄磨:イ山霊祐、仰山慧寂に参じた尼僧。
「鉄磨」は鉄の臼にも喩えられる風格に対するあざ名。
彼女はイ山の近くに庵を構えて住んでいたと伝えられる。
イ山:イ山霊祐(いさんれいゆう)禅師(771〜853)。 百丈懐海禅師(748〜814)の法嗣でイ仰宗の開祖。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道→百丈懐海→イ山霊祐→仰山慧寂

老ジ牛(ろうじぎゅう):年をとった雌牛(めうし)。
台山:五台山。山西省の東北部にある。 文殊菩薩の霊地とされる中国仏教の三大霊山の一つ。
五台山の地形は「釈迦の掌」に比喩される。 5本の指に対応する五つの嶺(最高峰は標高3,000mもある) に囲まれた手の掌に当たる所に百カ寺と言われる多数の寺が点在する。
我が国の慈覚大師円仁(794〜864、第三代天台座主)が ここを訪れ「入唐求法巡礼行記」を著している。
大会斎:大勢の僧衆を集めて供養する法会。

本則

劉鉄磨がイ山(いさん)に来た。
イ山(いさん)は劉鉄磨がやって来るのを見て言った、「年老いた雌牛がやって来たな」。
鉄磨は言った、「明日五台山で大会斎があります。和尚さん、お出かけになりますか」。
これを聞いてイ山は大の字になってゴロリと横たわった。
これを見ると、鉄磨は、サッサと後も見ずに帰って行った。

→ 法戦の様子である、と言う。
  内と外を分けない、である。
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2020/10/25(日) 03:14:05.55ID:AK0thtDS
>>89
碧巌録(へきがんろく)  第24則  鉄磨到イ山

本則

劉鉄磨、イ山(いさん)に到る。

山云く、 「老ジ牛(ろうじぎゅう)、汝来たれり」。
磨云く、「来日(明日)、台山(五台山)に大会斎(だい さいえ)あり、和尚 還(かえ)って去るや」。
イ山、身を放って臥す(みをはなって がす)。
磨すなわち出(い)で去る。


劉鉄磨:イ山霊祐、仰山(ぎょうさん)慧寂に参じた尼僧。 「鉄磨」は鉄の臼にも喩えられる風格に対するあざ名。彼女はイ山の近くに庵を構えて住んでいたと伝えられる。

イ山:イ山霊祐(いさんれいゆう)禅師(771〜853)。 百丈懐海禅師(748〜814)の法嗣でイ仰宗の開祖。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道→百丈懐海→イ山霊祐→仰山慧寂

老ジ牛(ろうじぎゅう):年をとった雌牛(めうし)。
台山:五台山。山西省の東北部にある。 文殊菩薩の霊地とされる中国仏教の三大霊山の一つ。
五台山の地形は「釈迦の掌」に比喩される。 5本の指に対応する五つの嶺(最高峰は標高3,000mもある) に囲まれた手の掌に当たる所に百カ寺と言われる多数の寺が点在する。
我が国の慈覚大師円仁(794〜864、第三代天台座主)が ここを訪れ「入唐求法巡礼行記」を著している。
大会斎:大勢の僧衆を集めて斎食(さいじき)(午前中の食事)を供養する法会(ほうえ)。

本則

劉鉄磨(老尼僧)がイ山(いさん)に来た。
イ山(いさん)は劉鉄磨がやって来るのを見て言った、「年老いた雌牛がやって来たな」。
鉄磨は言った、「明日五台山で大会斎があります。和尚さん、お出かけになりますか」。
これを聞いてイ山は大の字になってゴロリと横たわった。
これを見ると、鉄磨は、サッサと後も見ずに帰って行った。

→ 法戦の様子である、と言う。
  内と外を分けない、分別(ふんべつ)しないである。
0092チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/26(月) 22:24:09.87ID:pVOERm60
碧巌録(へきがんろく)  第25則  蓮華峰(れんげほう」)拈シュ杖ねん しゅじょう)

本則
蓮華峰庵主(あんじゅ)、シュ杖(しゅじょう)を拈(ねん)じて衆(しゅ、修行僧たち)に示して云く、「古人(こじん)這裏(しゃり)に到って、なんとしてか敢(あ)えて住(じゅう)せざる?」。
衆 無語(むご)。
自(みずか)ら代わって云(いわ)く、「他の途路(とろ)に力を得ざりしがためなり」。
また云く、「畢竟如何(ひっきょう いかん)?」。
また自ら代わって云く、「シツリツ、横に担(にの)うて人を顧(かえ)みず、直(じか)に千峰万峯に入去(はい)る」。


蓮華峰庵主:蓮華峰祥庵主。雲門文偃の法孫に当たり、浙江省天台山の別峰蓮華峰の庵主。蓮華峰に草庵を結んで住んでいた。雲門の法孫という以外よく分からない。
シュ杖(しゅじょう):シュは体を支えると言う意味。徒歩で旅行する時に使う杖のこと。禅ではシュ杖は「真の自己」の象徴として用いられることが多い
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峰義存→雲門文偃→道チン→蓮華峰庵主
這裏(しゃり):普通「ここ」と言う意味だが禅では「悟りの世界」を意味する。
他の途路に力を得ざるがためなり:古人は杖を使いこなせなかったからだ。
途路:現実の社会。
途路(読み)とろ。 行く道。途上。道。
シツリツ:天台山に生える杖を作るのに適した木の名前。杖のこと。

本則
ある日蓮華峰の祥庵主はシュ杖を拈じて修行僧達に言った、「昔の禅僧は「悟りの世界」に到っても、どうしてその真っ只中に住んでいなかったのだろうか?」。
修行僧達はこの問いかけに無語だった。
そこで蓮華峰祥庵主は自ら代わって言った、「彼は現実の社会で悟りを使いこなす力量がなかったからだ」。
ある日蓮華峰の庵主はシュ杖を拈じて修行僧達に言った、「昔の禅僧は「悟りの世界」に到っても、どうしてその真っ只中に住んでいなかったのだろうか?」。。


   
0093チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/26(月) 22:45:03.06ID:pVOERm60
>>92
→ 悟後(ごご)の修行、聖体長養(せいたい ちょうよう)30年の修行、と言って、一切、人々に触れる事が無く修行専念する年月が30年間、必要である、と聞く。
   わたしは師独悟(むしどくご) 独覚(どっかく)であって、この事を誰かに話しても、理解される事は無い。なので、私以外にこの事は知らないのだ、と思っていた。
   片手の音を聞いて、この鳴り響く拍手は過去においてはともかく、今は、わたしだけが聞いている、と言う思いである。

   だが、ある修行僧が、皆に久しく遅れて隻手を聞いた。
  お師家様に喜んでいただこうと廊下の板を踏み鳴らして室へ踊りこんだら、隻手は聞こえないよ、と色即是空から、空即是色へと還(かえ)った。
  わたしも色即是空から、空即是色へと還(かえ)る。
   片手の人が叩く拍手の音を聞き、片手の人が叩く拍手の音は、聞こえない、になった。
  
独坐大雄峰 どくざ だいゆうほう
これは坐禅の姿を言ったもの、であるけれど、その坐ったままが天であり、地であり、人である。宇宙である。

公案は、師家と修行僧の真理(さとり)の受け渡しである。
法施(ほうせ)
師家と修行者の亜k打だけではなく、法、真理(さとり)を受け取った僧は、また、次へ手渡していかなければならない。
この手渡しを、
蓮華峰庵主(あんじゅ)、シュ杖(しゅじょう)を拈(ねん)じて衆(しゅ、修行僧たち)に示して云く、「古人(こじん)這裏(しゃり)に到って、なんとしてか敢(あ)えて住(じゅう)せざる?」。
と、言う。
0094チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/26(月) 23:00:35.19ID:pVOERm60
碧巌録(へきがんろく)  第25則  蓮華峰(れんげほう」)拈シュ杖ねん しゅじょう)
本則
蓮華峰庵主(あんじゅ)、シュ杖(しゅじょう)を拈(ねん)じて衆(しゅ、修行僧たち)に示して云く、「古人(こじん)這裏(しゃり、ここ)に到って、なんとしてか敢(あ)えて住(じゅう)せざる?」。
衆 無語(むご)。
自(みずか)ら代わって云(いわ)く、「他の途路(とろ)に力を得ざりしがためなり」。
また云く、「畢竟如何(ひっきょう いかん)?」。
また自ら代わって云く、「シツリツ、横に担(にの)うて人を顧(かえ)みず、直(じか)に千峰万峯に入去(はい)る」。


蓮華峰庵主:蓮華峰祥庵主。雲門文偃の法孫に当たり、浙江省天台山の別峰蓮華峰の庵主。蓮華峰に草庵を結んで住んでいた。
シュ杖(しゅじょう):シュは体を支えると言う意味。徒歩で旅行する時に使う杖のこと。禅ではシュ杖は「真の自己」の象徴
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峰義存→雲門文偃→道チン→蓮華峰庵主

他の途路に力を得ざるがためなり:古人は杖を使いこなせなかったからだ。
途路とろ。現実の社会。 行く道。途上。道。
シツリツ:天台山に生える杖を作るのに適した木の名前。杖のこと。


ある修行僧が、皆に久しく遅れて隻手を聞いた。お師家様に喜んでいただこうと廊下の板を踏み鳴らして室へ踊りこんだら、隻手は聞こえないよ、と色即是空から、空即是色へと還(かえ)った。
わたしも色即是空から、空即是色へと還(かえ)る。片手の人が叩く拍手の音を聞き、片手の人が叩く拍手の音は、聞こえない、になった。
 独坐大雄峰 どくざ だいゆうほう。これは坐禅の姿を言ったもの、であるけれど、その坐ったままが天であり、地であり、人である。宇宙である。
 公案は、師家と修行僧の真理(さとり)の受け渡しである。
法施(ほうせ)。師家と修行者の亜k打だけではなく、法、真理(さとり)を受け取った僧は、また、次へ手渡していかなければならない。
この手渡しを、蓮華峰庵主(あんじゅ)、シュ杖(しゅじょう)を拈(ねん)じて衆(しゅ、修行僧たち)に示して云く、「古人(こじん)這裏(しゃり)に到って、なんとしてか敢(あ)えて住(じゅう)せざる?」。と問う。
0095チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/28(水) 02:27:50.68ID:si5bU3Dr
碧巌録(へきがんろく)  第26則  百丈大雄峰(ひゃくじょう だいゆうほう)

本則
修行僧、百丈懐海禅師に問う、「如何(いか)なるかこれ奇特(きどく)の事?」。
丈云く、「独坐大雄峰」。

修行僧 礼拝(らいはい)す。
丈 便(すなわ)ち打(う)つ。


百丈:百丈懐海禅師(720〜814)。禅門の規則である「百丈清規(じんぎ)」を制定したことで有名。法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →百丈懐海

奇特 きどく:特別にすぐれていること
大雄峰 だいゆうほう:百丈が居住した百丈山のこと。

本則
ある僧が百丈に聞いた、「このうえなくすぐれている事とはどのようなことでしょうか?」。
百丈は言った、「わたしはこの百丈山(大雄峰)に坐っている」。

これを聞いた僧は礼拝した。
百丈は打った。

→ これは 二つの公案である、と言える。
独坐大雄峰とは、一如である。

僧が礼拝し、師が打つ。
色即是空は、空即是色へと還(かえ)る、である。
0096チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/28(水) 23:29:50.88ID:si5bU3Dr
碧巌録(へきがんろく)(碧あおい巌いわお の記録) 第27則  雲門体露金風(たいろ きんぷう)

本則
修行僧、雲門文偃(うんもん ぶんえん)禅師(ぜんじ) に問う、 「樹(き)凋(しぼ)み葉(は)落(お)ちる時(とき)如何(いかん)?」。
雲門云く、 「体露金風(たいろ きんぷう)」。


雲門:(うんもん ぶんえん)禅師(ぜんじ)(864〜949)。雲門宗の開祖。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃

樹凋み葉落ちる時:ブッダが沙羅双樹(さら そうじゅ)の下で涅槃に入った(入滅)時、沙羅双樹の1本が枯れ、樹皮も枝葉も抜け落ち、唯真実のみが残った、という「大乗涅槃経」に見える喩えを踏まえている。
ここで樹の葉は煩悩妄想を象徴している。
体露:真実ありのままに打ち出す。
金風:秋風。陰陽五行説より来ている。
木(春)火(夏)金(秋)水(冬)の対応関係で金は秋に対応している。

本則
秋が深まって冬に入ろうとするある日、一人の僧が雲門に聞いた、「樹木の葉が紅葉した後、凋み落ちつくした冬景色の時はどうですか?」。
雲門は云った、「体露金風」。


六祖(ろくそ)慧能(えのう)には「葉落帰根(ようらく きこん)」と言う言葉がある。

六祖慧能は晩年になって弟子達に別れを告げ、故郷(ふるさと)に帰ろうとした。その時、弟子達が「何時戻って来られるのですか?」と聞いた。
これに対し慧能は「葉は落ち根に帰る(「葉落帰根」(ようらく きこん))。何時戻るかは言えない」と言ったと伝えられる(六祖壇経)。

→ 諸行は無常である。
  この体には、宇宙を吹き渡る風である。
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2020/10/28(水) 23:46:47.47ID:si5bU3Dr
>>96
訂正
 この体には、宇宙を吹き渡る風である。

 この体は、宇宙を吹き渡る風である。  この体を、宇宙を吹き渡る風が吹き抜けていく、である。
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2020/10/29(木) 00:15:15.56ID:RiUiq8bP
>>96
碧巌録(へきがんろく)(碧あおい巌いわお の記録) 第27則
雲門(うんもん)体露金風(たいろ きんぷう、ごんぷう)

本則
修行僧、雲門文偃(うんもん ぶんえん)禅師(ぜんじ) に問う、 「樹(き)凋(しぼ)み葉(は)落(お)ちる時(とき)如何(いかん)?」。
雲門云く、 「体露金風(たいろ きんぷう)」。


雲門:(うんもん ぶんえん)禅師(ぜんじ)(864〜949)。雲門宗の開祖。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃

樹凋み葉落ちる時:ブッダが沙羅双樹(さら そうじゅ)の下で涅槃(ねはん)に入った(入滅)時、沙羅双樹(さら そうじゅ)の1本が枯れ、樹皮も枝葉も抜け落ち、唯(ただ)真実のみが残った、
という「大乗涅槃経(だいじょうねはんきょう)」に見える喩(たと)えを踏まえている。ここで樹の葉は煩悩妄想を象徴している。

体露:真実ありのままに打ち出す。
金風:秋風。陰陽五行説より来ている。木(春)火(夏)金(秋)水(冬)の対応関係で金は秋に対応している。

本則
秋が深まって冬に入ろうとするある日、一人の僧が雲門に聞いた、「樹木の葉が紅葉した後、凋み落ちつくした冬景色の時はどうですか?」。
雲門は云った、「体露金風」。


六祖(ろくそ)慧能(えのう)には「葉落帰根(ようらく きこん)」と言う言葉がある。

六祖慧能は晩年になって弟子達に別れを告げ、故郷(ふるさと)に帰ろうとした。その時、弟子達が「何時(いつ)戻って来られるのですか?」と聞いた。
これに対し慧能は「葉は落ち根に帰る(「葉落帰根」(ようらく きこん))。何時戻るか 言えない」と言ったと伝えられる(六祖壇経)。

→ 諸行は無常である。
 
 この体は、宇宙を吹き渡る風である。 この体を、宇宙を吹き渡る風が吹き抜けていく、である。色即是空は空即是色へと還(かえ)る、である。
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2020/10/29(木) 19:50:55.80ID:RiUiq8bP
碧巌録(へきがんろく)  第28則  南泉不説(なんぜん ふせつ) 
? 百丈涅槃和尚は 百丈懐海禅師ではない。

〔本則〕
挙南泉參百丈涅槃和尚。丈問従上諸聖還有不為人説底法麼
泉云、有。
丈云、作麼生是不為入説底法、
泉云、不是心、不是佛、不是物。
丈云、説了也
泉云、某甲只恁麼言、和尚作麼生
丈云、我叉不是大善知識争知有説不説
泉云、某甲不會
丈云、我大タダナンジ為説了也。

挙す、南泉、百丈の涅槃和尚に參ず。丈問ふ、従上の諸聖、還って人の為に設かざる底の法あり麼や。
泉云く有り。
丈云く作麼生か是れ人の為に説かざる底の法。
泉云く不是心不是佛不是物。
丈云く説了也。
泉云く、某甲は只恁麼和尚作麼生。
丈云く、我又是れ大善知識にあらず、争か説不説あることを知らんや。
泉云く某甲不会。
丈云く我太だなんじが為に説き了れり。

本則
南泉普願、百丈の涅槃和尚に参ず。丈問う、「従上の諸聖、還って人のために説かざる底の法ありや?」。
泉云く、「あり」。
丈云く、「そもさんかこれ人のために説かざる底の法?」。
泉云く、「不是心、不是仏、不是物」。
丈云く、「説き了れり」。
泉云く、「某甲はただ恁麼、和尚作麼生?」
丈云く、「我れまたこれ大善知識にあらず。いかでか説不説あることを知らん」。
泉云く、「某甲不会」。
丈云く、「我はなはだ汝がために説き了れり」。


南泉:南泉普願(748〜834)。馬祖道一の法嗣。
百丈の涅槃和尚:百丈惟政(いせい)。常に「涅槃経」を講誦したことから涅槃和尚と呼ばれた。
有名な百丈懐海禅師ではない。
図5に28則に登場する南泉と百丈の涅槃和尚の法系図を示す。

→ 真理(さとり)は不立文字(ふりゅう もんじ)である。
  真理(さとり)は言い表せない、
  この言い表せない真理(さとり)を、どう言い表すのだ。
  この言い表せないものを、空(くう)と言う。
  空とは、
  両手で打てば、音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
0100チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/29(木) 21:44:30.74ID:RiUiq8bP
>>99
碧巌録(へきがんろく)  第28則  南泉不説(なんぜん ふせつ) 
※ 百丈涅槃(ねはん)和尚は 百丈懐海(えかい)禅師ではない。

〔本則〕
挙南泉參百丈涅槃和尚。丈問従上諸聖還有不為人説底法麼
泉云、有。
丈云、作麼生是不為入説底法、
泉云、不是心、不是佛、不是物。
丈云、説了也
泉云、某甲只恁麼言、和尚作麼生
丈云、我叉不是大善知識争知有説不説
泉云、某甲不會
丈云、我大タダナンジ為説了也。

挙(こ)す、南泉、百丈の涅槃和尚に參ず。丈問ふ、従上の諸聖、還って人の為に設かざる底の法あり麼や。
泉云く有り。
丈云く作麼生か是れ人の為に説かざる底の法。
泉云く不是心不是佛不是物。
丈云く説了也。
泉云く、某甲は只恁麼和尚作麼生。
丈云く、我又是れ大善知識にあらず、争か説不説あることを知らんや。
泉云く某甲不会。
丈云く我太だなんじが為に説き了れり。

本則
南泉普願’なんぜん ふがん)が、百丈惟政(ひゃくじょう いせい)の涅槃和尚に参ず。丈問う、「従上(じゅうじょう)の諸聖(しょせい)、還(かえ)って人のために説かざる底の法(真理)ありや?」。
泉云く、「あり」。
丈云く、「そもさんかこれ人のために説かざる底の法?」。
泉云く、「不是心(ふぜしん)、不是仏(ふぜぶつ)、不是物(ふぜもつ)」。
丈云く、「説き了(おわ)れり」。
泉云く、「某甲(それがし)はただ恁麼(いんも)、和尚作麼生(そもさん)?」
丈云く、「我れまたこれ大善知識にあらず。いかでか説不説あることを知らん」。
泉云く、「某甲不会(ふえ)」。
丈云く、「我 大(はなは)だ汝がために説き了れり」。


南泉:南泉普願(748〜834)。馬祖道一の法嗣。
百丈の涅槃和尚:百丈惟政(いせい)。常に「涅槃経」を講誦したことから涅槃和尚と呼ばれた。
有名な百丈懐海禅師ではない。

→ 真理(さとり)は不立文字(ふりゅう もんじ)である。
  真理(さとり)は言い表せない、
  この言い表せない真理(さとり)を、どう言い表すのだ。
  この言い表せないものを、空(くう)と言う。
  空とは、
  両手で打てば、音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
0101チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/31(土) 00:53:11.97ID:QixORuxc
碧巌録(へきがんろく) 第29則  大隋劫火洞然 (だいずい  ごっか とうねん)

本則
修行僧(経文戒律に凝り固まった義学の僧)が、大隋法真(だいずい ほうしん)」に問う、「劫火洞然として、大千(だいせん 、三千大千世界)ともに壊す。未審(いぶか)し、這箇(しゃこ)、壊するか、壊せざるか?」。
隋云く、「壊す」。

僧云く、「恁麼(いんも)ならば他に随(したが)い去るや?」。
隋云く、「他に随い去る」。


大隋:大隋法真禅師(834〜915)。百丈懐海の法孫に当たる。法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一→百丈懐海 →長慶大安→大隋法真

劫火:古代インドの世界観では宇宙は成(生成)・住(保持)・壊(壊滅)・空(無)の四期間を周期的に繰り返し変化すると考えた。
地球も壊(壊滅)の時期になると、大風が吹き、大洪水起こり、太陽が七つも現れ、終末火災である劫火によって壊滅すると考えた。

大千:三千大千世界。三千大千世界は須弥山説に基づいている。
須弥山説は古代インド人の考えに仏教的教理を加味して出来上がった世界観である。
洞然:世界の終末火災である劫火によって激しく燃えるさま。
這箇(しゃこ):これ。このもの。心の本体、仏性。

本則
大隋法真禅師にある僧が聞いた、「この世界が終りを迎える時、劫火が激しく燃えて破滅すると言われます。
その終末の時、我々の心の本体は一体破壊されてしまうのでしょうか、或いは、破壊されないでしょうか?」。
大隋は言った、「破壊されてしまうよ」。
僧は聞いた、「そうなら、世界が滅亡する時一緒に滅亡するのでしょうか?」。
大隋は言った、「そうだ、世界が滅亡する時一緒に滅亡してしまうよ」。

→ 塵が集まり、重合し、衝突し、そして集積していったものは、また、もとに戻る。
  これは物質、三千大千世界である。色である。
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