NHK 心の時代から

中村
 これは、ここに私なら私という生きる者がいるけれども、実はこれは仮の存在に過ぎない。いつかは構成要素が分解して消えて無くなる筈だと、そこまでついているわけでございます。
草柳
 ですから常住不変の存在として、その実体としてはあるのではない、ということをきちんと知らなければいけないということを言っているわけですね。
中村
 これは仏教の立場からそのように理解しているわけです。
 それで仏教が興る前には、正統バラモンの方では、ウパニシャッドの哲学というのがございますね。アートマン(ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。真我とも訳される)を追求したわけです。
 そのアートマンというものを何かこう実体的なものとして捉えようとした。 それに対して仏教は反対したわけです。
 例えばここに机がございますね。ここに確かに見えるものがあり、触れれば感触が起こります。
 けれど真実の自己というのは、そういうようなものではないということを、仏教では言いたいわけなんでございます。
草柳
 じゃ、真実の自己というのは一体何なのか、というふうに説いているんですか?
中村
 これはこういう具体的な、あるいは具象的なものとして、物体として、あるいは実体として示すことはできない。けれども、我々人間が、人間として自覚して道を追求し生きていく。その生きていく実践の中に真の自己が現れるというんですね。