「色即是空」解釈の誤り4
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心経は多様な解釈を許すところがありますが、
では市販本に書かれてるような解釈は 本当に正しいのでしょうか?
個人的には、ブッダの「世間は陽炎の如し」の ”世間”を五蘊(の一つである色蘊)と言い換えた
無常と無自性が融合したイメージを喚起する 出世間のことばと理解していましたが、
実は、空の意味として、他にⒶ無実体Ⓑ幻想・夢幻 等をはじめ、様々な表現が有り得ると判り、
又たとえば空をシンプルに 唯心と解釈したり、非我、人無我、法無我を表すとか、(一即)一切、全、自他平等無私の境地、虚空やエネルギー、時空の歪み、スーパーポジション、
(有無を超えた)妙有、中諦、凄まじい多面性のあるもの・貪欲や怒りを完全に鎮める方法、形而上的背景に支えられたもの、梵我一如、生死輪廻を超越する技法、
心の中心に具わっているゼロ点、真実在、理法、清浄、万物を包み込む母胎、無所有、浄化力、迷妄を消す方便、仏菩薩の内証の一側面、
現象の三世に亘る全相貌、空無辺処定により生じる智、無垢、透明化、妄執を滅する神通力を秘めたシニフィエ、一瞬で無明を消し去る力を有するキーワード、
三界の自在な往来法、六神通の素、如実知見法、浄真如、
無明のまよいをクリアするワイパー、誤解錯覚を覆し喝破し覚醒させる智慧の働き、理性を呼び覚ます内なる声、誤った認識を断つパワー、滅諦の実性、
法則、宇宙の最上位階層に位置する「情報」、思想、一境性、三昧境、無分別な把握法、無執着、一切に囚われない心境、完全に執着を離した状態の実現、
仏智による世界の直観的認識術、高度な透視能力、全てを見通す性質、煩悩の滅尽、寂滅、一心縁起、宇宙、仏がいる処、仏そのもの
等々 幾らでも出てきます。(また全て、ブッダの心にある、言葉で表現される以前の無分別な究極のシニフィエとして
の真諦=仏教の真理に目覚めた人だけが知っている実相を指します) 大乗さん「悟りという概念までもがなくなるのが悟りと名付けられている境地だ」
賢者「他者という概念も消えるんだよね?」
大乗さん「お、おう…」
賢者「他者救済もなくなるね?」
大乗さん「いや、根本智を得た人が語る世俗諦は否定されない」
賢者「悟りは否定したのに、他者は否定しないの?」
大乗さん「…」
大乗さん、論理破綻してるなあ。 >>29
もう飽きたんじゃなかったのか?
22 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2020/06/24(水) 23:13:38.88 ID:99BsP2ue [8/8]
ま、このスレもバカな奴が、欠陥を指摘された主張を繰り返すだけだから、そろそろ終わりかもね。
飽きたわ。 >>29
そもそも、宗教に論理的整合性を期待するのは アホ じゃないか? >>31
お前、仏教徒じゃないだろw。
どこのカルト教団? >>32
父母ともに浄土真宗で、3年前に父親が死んだので、
浄土真宗の坊さんを呼んで葬式をした。
お経が何を言ってるかわからないので、
図書館で調べた。
伯母が1か月前に死んだので、葬式に出たら、
臨済宗なので、「般若心経」を読んでいた。
伯母には大変お世話になったので、
般若心経を学んでいる。
お前も、この程度のことは書けるよな? >>33
本を数冊読んで、そんな偉そうにしちゃうんだ。
だーめだ、こりゃ。 >>34
まあ、相手によりけりだよ。
お前は、中学生だろ? >>34
お前、高等教育を受けていないだろ?
中学何年生だ? >>37
どういう思考回路で、>>32の書き込みになるわけ?
お前が得意にしている対話形式で説明せよ。
31 自分:11 ◆OkhT76nerU [sage] 投稿日:2020/06/25(木) 12:43:28.16 ID:v7NtGcen [5/9]
>>29
そもそも、宗教に論理的整合性を期待するのは アホ じゃないか?
32 返信:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2020/06/25(木) 12:45:11.73 ID:Y3HxKtmL [3/5]
>>31
お前、仏教徒じゃないだろw。
どこのカルト教団? >>39
釈迦は妄信せずに、自分の頭で考えろ、と言ってるのに、
カルト教徒のお前は妄信してるんだなw。 >>39
論理的におかしい教義を押し付けるのはカルトの手口。
君はオウムかな? >>41
ワシは押し付けていないが?
>>40-41
お主の思考回路こそ、カルトじゃん。 >>42
お前に言ってないだろ。
出てくんな。
お前もお人形か?wwwwwww >>43
ワシは、11 ◆OkhT76nerUじゃ。
ID:v7NtGcen で識別できんようじゃな?
ワシらコテハンは、お主等のような名無しを ID:Y3HxKtmL で識別しておるのじゃ。
深夜の午前0時をまたぐと、数人の名無しを識別するのに一苦労するのじゃ。
だから、コテハンをつけている。 >>44
1=エロ和尚だったのね。
やっぱりお人形かよ。
紛らわしいからコテならコテで変えるなよ。 >>45
ワシらにとって、「名無し」は、毎日コテを変えるややこしい奴じゃ。
似たような書き方をする奴がいるからのう。
IDで識別するしかないのじゃ。
IDは、毎日変わるから、午前0時をまたぐと、カオスじゃ。
それと、お主の定義で言えば、宗教は皆カルトじゃな。
なんなら、カルトで無い宗派を挙げてみよ。 >>48
色んな神様を捏造した大乗はカルトだな。
初期仏教はカルトではなかった。 >>49
それをもっと早い段階で書けば、ここまで混乱しなかったようじゃな。
これで腑に落ちた。
では、ご自由に書き込みください。
さらばじゃ。 >>49
アンタは昔
大乗はウンコ
ってコテハン名乗ってた人? 空を無と訳すなんてのは論外だよ それだけは本当に幼稚で
バカ馬鹿しいので、もうやめてくれないか?
公然と痴を露出させるのは見苦しいし、そんなの読むにも
価しない >>53
言葉の解釈も、諸行無常ということじゃな
https://blog.goo.ne.jp/sin-masa/e/c14b533f76d7d53a535e35a346a2d83e
@無念
現在では、「無念な結果に終わる」とか「残念無念」というように、“くやしいこと。
また、そのさま”という意味で、“念が残る” という意味として使われることが一般的です。
しかし、元々は仏語として、“全くもって念が残っていない、念慮を持っていない状態の事を言い、
煩悩や雑念などの「念」がない、つまり、とらわれのない無心・無我の境地”を言うようです。
すると、「無学」「無事」と同じく、本来の意味は、現在の使用法とは全く逆な意味になります。 部派仏教は、釈迦仏教(阿含経)の内容を、かなり変えたりしている。やたらにややこしく、複雑怪奇なものにしたのが多い。
例えば、釈迦仏教で第一段階の悟りに達した預流果は三結煩悩を断じた者だが、俱舎論では預流果を見惑の八十八煩悩を断じた者とした。 >>54
念で思い出したけど八正道に正念というのがあるね
もともとブッダ は頭をカラッポにすることよりも
正しい意識を持つべきと考えてたんじゃなかろうか 部派仏教は、釈迦仏教を複雑怪奇に変えたりもしたが、その下敷きは釈迦仏教(阿含経)だ。だが、大乗経典は釈迦仏教とまるきり違う。
創作仏教と言われても仕方ない。 釈迦の教えはもっとシンプルじゃ
後世の人間があれこれ勝手に付け加えて
複雑怪奇にしたのじゃ 正念は八正道の一つだが、八正道は三十七道品と言われる釈迦仏教の修行法の八つだ。残りの二十九道品には、四念処、念根、念覚支、という正しい念の修行法がある。
釈迦仏教では、うわの空ではいけない。
念のあり方が重要なのだね。 確かに縁起説は韻文経典には無く、後代にできたものですね
ちなみに最古層においてはアートマンも違和感なく肯定されています。
マハルシの名が出てましたが、案外ヒンドゥー教の方にブッダの教えが遺ってる
のかも知れません 私は、約50年間、般若心経を読誦してきた。先祖代々の菩提寺が、般若心経を読誦していたからだ。解説書も何冊も読んだ、捨てた解説書の方が多い。変な解説だと、後で気づいたりしてね。今では自分で解釈した方がましだと思っている。その途中で、原始仏教を学んだ。 >>62
菩提寺の宗派をお伺いしてもよろしいですか? >>56
この際、本音を申し上げますが、
私は、お釈迦様は「宇宙の真実を知らなかった」と妄想しています。 50年間般若心経を読誦してきた私の先祖代々の菩提寺は、禅宗です。 >>65
私は浄土真宗門徒です。
本格的に無量寿経を研究し始めたのは3年前からですが、
私の解釈のほうが、親鸞聖人の解釈よりも、今の時代に合っていると
自負しています。 https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%84%A1%E5%AD%A6/
む‐がく【無学】 の解説
[名・形動]
1 学問・知識のないこと。また、そのさま。ぶがく。「無学な自分を恥じる」
.
2 仏語。煩悩を断ち尽くし、もはや学ぶべきもののない境地。阿羅漢果?(あらかんか)?。「無学位」「無学果」⇔有学?(うがく)?。 四諦も縁起も言葉で知っただけならブッダの悟りとは違い、まだ本当の等正覚では無いんだよというのが見道未満のビギナー向け
見道に達した段階向けには、役割を終えた筏にはもう執着せず、捨てよ と。
五蘊の中の十二縁起や四諦の中にも「我」は無い、
では何処に「如来」はいるのか? 空を照見した「我」は
完全に執着を手離した菩薩の覚りを得、
三世諸仏のように智慧方便によって無上正等正覚を得るのである。 般若心経は1〜2世紀に作成されたことが学問的にはっきりしている。釈迦が亡くなって500年は後だよ。
問題は、釈迦の教えを受け継いでいる経か?それとも釈迦の教えと違っているか?ということだな。私は違っていると思う。 >>70
お釈迦様が語った内容では無い・・・という学説が、主流派ですね。
私も、細かく検証していませんが、2〜3冊の本を読んで
その説を信じています。 >>67
続き
仏教用語の「無」と、一般的に使用される「無」の意味の違い
無学(読み)むがく.
https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E5%AD%A6-140246
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
部派仏教の修行者がいたる最高位である阿羅漢果のことをいう。
修行がすでに完成して,もはや学ぶべきもののない位。
一般的には,仏教用語とは逆に,学問の知識のないことを意味する。 無学そげん、さんが居た。
学問でないものが宗教である。 幻想の苦しみというけどさ、釈迦はそこまで極端なことは言わない。無常にして無我とは説くが、諸々の苦しみを地獄餓鬼畜生とも呼び、それを幻想と称したことはない。
それらの消滅を釈迦は涅槃と称した。
が、心経は消滅ではなく、空とした。 空を幻想と捉えてよいのならば、人生も幻想ということになる。借金苦の人や病苦の人に、それは幻想だから苦はない、と言えるのか?
あるいは首吊って人生終わりにしなさい、人生は幻想なのだから、と言えるのか?
ただの無責任ではないか。 >>2
ぶっちゃけますと、「空=無と有の間をゆらいでいる状態」は、
私にとっては第2候補です。
前スレ
894 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2020/06/26(金) 17:11:20.66 ID:m+SyzR2B [7/13]
>>889
>「無と有の間をゆらいでいる状態」
それいいですね。さっき帰宅して読んで「このスレ読んでよかった」と。
空の意味の第1候補それにしましょ次から
素粒子の世界もそれだし、人生だって長いようでも結局それでしょ
誰しも死に向かって歩んでるんだし、突然逝く人もいる、
全存在も、五蘊も、「無と有の間をゆらいでいる状態」にある!
それが正しい解釈に近いです!!! >>76
その通り。
空理空論を繰り返しても癌は治らんよ。 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>74
妙法蓮華経→maya(幻想) hari(苦しみを取り去る) om(聖音) kaah(一切) ya(空)
正法白蓮華経と訳すべき原題を妙法蓮華経と改題したのはインド人訳経僧のクマラジーヴァでその意図する所は創作真言の中に悟りの境地を隠し込む事に有った
空海は法華経開題で法華経は拔苦与楽であると述べている事からも妙法蓮華経を梵語として捉えていたと思われる
一切皆空ならば苦もまた空という事になり実在しない となる >>76
空性は真実 苦しみは一回性の人生に於ける現実
無明の一般人にいきなりそんな事を言って理解出来る訳が無い
命も借金苦も何時かは終わるとでも言っとけばいい 無量寿経って、法蔵菩薩や阿弥陀仏が出てくる経だっけか?
修行など不用という教えだよね。
心経より進んだ、優れた教えだよ。
一切が空ならば、般若波羅蜜多の修行も空、不用ではないか? 一切皆空を悟ってない人に
気付いてもらうためのお経ですよ 修行して空性を実感するか 理論だけでその気になるかは個々の器量次第だからご自由に >>83
実は、私は宇宙の始まりの視点から仏教を考察しています。
【疑問】阿弥陀仏の浄土は人が存在するはるか前から
あるんじゃないの。何かおかしくない?
https://kaxtukei.com/pureland-question
法蔵菩薩はあらゆる人が救われるお浄土の世界を建立するために
五劫という長い時間思惟し続けました。
劫の説明は色々あるのですが、
例えば、縦・横・高さが40里以上もある石が
100年に一度舞い降りる天女の羽衣一撫でで
消滅するくらいの時間の長さとも表現されます。
その途方もない一劫の時間の長さ×5倍の五劫を
法蔵は思惟し続けて極楽浄土建立の48の願いを誓われたのです。
私の感じる疑問。
阿弥陀仏は法蔵菩薩のころに、あらゆる衆生、すべての人を救いたいと願った。
しかしそれははるか10~15劫も昔のことである。
そんなときにあらゆる衆生・人はいたのだろうか? 仏の内証は時空の隔たりを遥かに超越したものなり
三世を超え、
未来世の衆生までをも救うのが本願である 色と一切諸仏の因とは本来別のものでは無い(色不異空)
一切諸仏の因と色とは同じものなのである (空不異色)
色とは成仏の因である、 (色即是空)
成仏の因より色を承けたのである (空即是色)
受・想・行・識についても全く同じ事が言えるのである(受想行識亦復如是))
色という因と道諦の実践という縁により成仏という果を得るのである(行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 法蔵菩薩は釈迦のリメイク版だよ。
違うのは、釈迦は48願など立てなかったこと。 釈迦は、五蘊も諸法も無常にして無我だと説き、空と同趣旨を説いたが、それを苦だと説いた。心経では一切空だから苦の実体はない、としている。釈迦は、苦も無常にして無我だがそれは苦だと説いたわけだよ。そこが違う。 五蘊を成仏の因と見る「空の境地」を得た人にとっては
客観的認識対象も
認識するための道具およびその認識自体、概念さえも
無に等しく意味は無いのである 釈迦は、諸法は、因縁に依って生じ、因縁に依って滅すると、阿含経で説いている。
苦も因縁に依って生じ、因縁に依って滅するわけで、それは無常無我=空性だからといって、苦ではないとはならない。それは苦だ。 心経では、是諸法空相不生不滅、と説くが、
釈迦は、是諸法は因縁に依って生じ、因縁に依って滅する、と説いた。
諸法の空相は不生不滅であるが、諸法は因縁に依って、生じ滅するわけです。その無常であることを、釈迦は阿含経で、苦と説いた。 ここは仏典に大変造詣が深いか、または高度な検索能力を持った人ばかりと
わかっていますので、ソースは示しません(間違うとイヤだし)
ですが仏典に「常」と説かれたものとして二種あって、それは
涅槃と虚空です。だから空を虚空とすると無常な色と対立するので、ダメですが
「我が無い、とすると全部通るのです。 >>95
いえ。私のような素人もいますし、見るだけの人もいますから、
ソース貼りを積極的にお願いします。
検索能力があっても、間違ったサイトを見る可能性もありますから。 阿弥陀如来の名号を十回唱えれば極楽往生出来ると聞いたことがあるが、それが本当なら心経も必要ないな。
心経では般若波羅蜜多で悟れると説いているが、釈迦は阿含経で智恵の修行で悟れると説いているから、その点は心経も阿含経と同じだよ 阿含経では、五根法(信根、精進根、念根、禅定根、智恵根)の修行で悟れる、と釈迦は説いている。
心経の六波羅蜜多は、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智恵、の六つだよね。釈迦仏教と似ていると言えば、似ているよ。 前スレ
> >>984
> 現象学的な意味で言ったんですよ。。w
> あるいは、心理学的な原理に過ぎません。。
無理しなくていいですよ。
そんなの全然関係ないし。 前スレ
>>975
> >その二つ(法体恒有ということと瞬間滅ということと)をそれぞれにはっきりさせないから
>と云うのもインド的唯名論の証左と言えるでしょう。
そうかな❓
はっきりさせた方が法体恒有だけど刹那滅なので無常だから実在してないということがハッキリしてよりインド的唯名論の証左とならない❓🤔 私も前スレへのレス
>>968
道元を祖とする曹洞宗では刹那滅論をとるので、その『刹那生滅の様子を「色即是空 空即是色」と表現している可能性』も曹洞宗ならあると思います。
(唯識法相宗なども刹那滅論なので法相宗でよく読まれる般若心境も同じ可能性はありますが、それ以上に唯識だと「色即是空空即是色」の詩句は色即是空の根本智と空即是色の後得智の方に比重が置かれている感じですね)
ただ「色即是空空即是色」のオリジナルの般若経を大智度論で解釈している龍樹は刹那滅を全く否定しているので、般若経の時点でも刹那滅を表現したというつもりは全く無かったのではないかと思います(^^;
「中論」第7章 つくられたもの(有為)の考察
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&id=9507454
ここで刹那滅は無限遡及になるからなどの理由で否定されています。
>>971
了解しました。私も勉強してみます。
>>973>>975
説一切有部の場合はアトムもイデアも認めているような感じですねw
>>974
そのスレに貼りました。
あと一応、中村元先生の「龍樹」の当該箇所も貼っておきますね。
http://s.kota2.net/1593252929.jpg
http://s.kota2.net/1593252930.jpg >>976
いえいえ、固定概念を打破するためにも色即是空スレには居続けてくださいお願いします。
>>978
中観だと有我・無我とか有自性・無自性とか常・無常とかの見解を手放して無分別になった時が悟りとしている感じですね。
そして見解を手放すには名(概念)を見ないこであり、それで無分別に至る、と。
例の「中論」第一八章 アートマンの考察w
五 業と煩悩とが滅びてなくなるから、解脱がある。業と煩悩とは分別思考から起こる。ところでそれらの分別思考は形而上学的論議(戯論)から起こる。しかし戯論は空においては滅びる。
七 心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&id=9529993
「見解を手放したところに解脱(悟り)がある」はスッタニパータの第4章のブッダの説法のメインでもありますね。
>>987
でも説一切有部って五百人も阿羅漢を輩出していますから部派仏教の中でもやはり凄いんですよね。
まあその教義自体は大乗ばかりではなく、経量部やテーラワーダからもやはり三世実有法体恒有が批判されていますが。
阿羅漢に重みをおかず菩薩に重みを置く大乗はともかく、経量部やテーラワーダから数百年の間に五百人もの阿羅漢が出たのかというとどうなんだろうと思いますね。 >>102
3 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2020/06/20(土) 12:38:09.18 ID:GKJYp2K/ [1/18]
このスレでは誰がどのように発狂してくれるのかな?
↑
前スレの彼の宗派を聞き出して、発狂させるという目的を達成したので、
スレを埋めて撤退する予定でしたが、月末まで、お邪魔します。
当方、酷い頭痛持ちなので、ご容赦ください。(長文を読むと、頭痛がします) >>101
唯識・法相宗は「色即是空空即是色」の詩句に根本智と後得智を見出した?だけではなく、円融の義もあるいは見出したのかもしれません。
これは空海の般若心経秘鍵からですが、
第二の密教以外の五乗・六宗を分類すると、五つある。
「建・絶・相・二・一」がそうである。
初めに、「建」というのは、いわゆる建立如来のさとりの境地。
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是」がそれに相当する。
建立如来というのは、普賢菩薩を呼んだ称号である。
普賢菩薩がさとりを得る理由は、『華厳経』の教えで説くように、宇宙万物は絶対的な実在であり、実在と現象は、本来区別あるものではなく、互いに融合しており、現象界はそのまま絶対の世界であるという三種のおしえを旨としている。(普賢の円因は、円融の三法を以て宗とす。)
そのゆえに、「建」と名づけたのである。
また、この菩薩は、あらゆる如来のさとりを求める心と、修行と本願を本質とする存在である。
詩頌に説いていう。
現象としての物質存在(色)は、実在的在り方である空と、もともと別のものではない。
現象と理法とは、本来的に同一である。
現象と理法、理法と理法、現象と現象の三者は、それぞれさまたげあうことなく融合しあっている。
『華厳経』にある金獅子や水波のたとえは、まさに根本理念を示したものである。
https://piicats.net/hikkenn.htm
空海は華厳経から「色即是空空即是色」の円融の義を説いていますが、唯識にも通じる部分がありそうです。
もっとも、空海は
「是故空中 無識無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色聲香味觸法 無眼界 乃至 無意識界」
に唯識の教えを当て嵌めていますが。
般若心経秘鍵は般若心経に色々な宗派の教えを絡めて解釈しているのが面白いですね。
ちなみに確か中国に唯識をもたらしたのは玄奘三蔵だと思いましたが、玄奘三蔵は大般若経六百巻を漢訳したことでも知られています。
でも一番好んで読経又は読誦していたのは大般若経のどこかではなく般若心経なんだそうです。 >>101
「色即是無」としない理由として、
「刹那生滅」において、「滅したように見えるのが真相」ではないか?と妄想しています。
>>ここで刹那滅は無限遡及になるからなどの理由で否定されています。
仮に、宇宙が無限循環しているならば、無限遡及を嫌がる必要は無いと思います。
無限遡及を嫌がった結果、竜樹の思想は難解になったのでは?と妄想します。
6歳の子供に「十牛図」を見せて、宇宙を説明できると楽しそうですね。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1582097265/264
264 名前:真理亜 ◆znR3Kf472w [sage] 投稿日:2020/06/27(土) 12:33:44.95 ID:t9iB5oZP [8/12]
6歳の子どもに説明ができないなら理解が足りていないということ。 >>104
>>97さんの書き込みを見て気づいたのですが、浄土真宗は、
「最初から救いが約束されている教え」なので、
般若心経の あら捜し をするのは、野暮なのでした。
大変、申し訳有りませんでした。
最初から救いが約束されている「絶対他力」の教え
https://taka-burari.com/2019/10/%e6%b5%84%e5%9c%9f%e7%9c%9f%e5%ae%97%ef%bd%9c%e6%9c%80%e5%88%9d%e3%81%8b%e3%82%89%e6%95%91%e3%81%84%e3%81%8c%e7%b4%84%e6%9d%9f%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e3%80%8c%e7%b5%b6%e5%af%be.html
阿弥陀如来を信じる心さえも、生まれもって阿弥陀如来から与えられているといいます。
つまりすべての人々は、最初から救われることが約束されているというわけです。
浄土宗を含め、多くの仏教諸派は『般若心経』をとなえますが、以上の理由から浄土真宗ではとなえません。 >>107
色即是空を6歳の子供にも分かるように説明しなされ >>106
ところで、他人のスレを同一掲示板に転載するのは、なんでアカンの? >>110
つまりお主は色即是空というものを理解しておらんということじゃな? エロ和尚が二人いると紛らわしだろう。
オレの知っているエロ和尚はどっちだw
追申
抗ウイルス薬は発症初期に処方されます。
五日分、その後抹消神経の修復を手助けをする薬と痛み止めの薬を処方されます。
エロ和尚へ、
偏頭痛は頸椎に神経が触っていてもなります。手術して頸椎を広げるとなおることもあります。父がそうでした。 パラレルワールドの話が出てましたが、シュレディンガーの有名な思考実験について。
あれは、雲のように重ね合わせられた複数の現実から確率的に縁起してるというか一つ
の現実を選び取ってると言えるかも知れません。高齢者が身近にいると、あの話の意味を
実感することがあります。シュレディンガーの意図には反する解釈ではあっても、実際
死んでるか生きてるか確率半々と感じたりすると、それを思い出します。でも誰でも
いつ死ぬかわからないし、実は生と死の間をゆらいでいるのでしょう >>101
>道元を祖とする曹洞宗では刹那滅論をとるので、その『刹那生滅の様子を「色即是空 空即是色」と表現している可能性』も曹洞宗ならあると思います。
よこスレすいませ。
道元は天台本覚思想に疑問を持って、
中国まで行った方です。
修証一等をいった方です。
それを「様子」という表現は適当ではないと思います。 空海は法華経を称して、薬の効能書きみたいだ、効能書きはあるが、薬の作り方はどこにも書いてない、と評したそうだ。
法華経のどこかに、仏になる方法が書いてあるかね?それがなければ、法華経は画餅だ。
役に立たない。空海の言う通りだ。 浄土真宗は、すべての人が救われる約束のもとにあるから、心経も必要ない、という。
大無量寿経が、本当に釈迦の言なら、それでいいだろう。
しかし、大無量寿経が創られたのは、学問的に1〜2世紀だとされている。問題ないのか? >>114
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/3665/1560853114/
↑
偽者には、このトリップは出せないのじゃ。
夕さんの帯状疱疹の治りが遅いような気がするのじゃ。
ワシの頭痛は、難解な長文を読むと発生するのじゃ。
世間話程度のレスだと、頭痛にならないようじゃ。 >>119
大無量寿経は、釈迦の言ではありません。
私は、永遠に輪廻転生しても、構わないと思っています。
また、永遠に輪廻転生したくても、出来ないと思います。(中断期間がある)
また、大無量寿経の親鸞聖人の解釈は、おかしいと思っています。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/3665/1560853114/ >>120
可愛い女医さんがいいうには、
重、中、軽があり、あなたのは中の下ですね。
だそうです。
ただ、親指の関節と肩関節は痛めているので、治りが遅いのでしょう。
女医さんに尋ねました。
おれ、どのくらいで直りますか?
女医さん、直る時直る。
おれ、えっ!
(^_^;) >>123
私の場合、後神経痛でしょう。
ここでの話題として、相応しくなのでのでこの話はやめましょう。 >>117
そうですね。
正法眼蔵 発菩提心 より
一昼夜を経過する間には、六十四億九万九千九百八十の刹那があって、物も心も共に生滅しているといわれます。
しかし凡人はそのことを一向に自覚しません。自覚しないために菩提心を起こすことはありません。
仏法を知らず、仏法を信じない人は、刹那生滅の道理を信じないものです。
しかし、もし如来の正法の真髄、悟りの優れた心を明らかにしたならば、必ずこの刹那生滅の道理を信じるようになるのです。
今我々は、釈尊の説かれた教えに会って、刹那生滅の道理をよく知っているようではありますが、それは僅かに無量の刹那からこれを知り、その道理はそうであろうと信じ受け取っているだけなのです。
略
このように、自分の意志ではなく、自らの行為に引っ張られて生死を流転して、一刹那も止まることはありません。
http://www.dogen-shobogenzo.com/hotubodaisin5.html
確かに道元は刹那生滅を信受しているに止まり如実知見できていたわけではないのに様子など見てきたかのような言葉は不適切なのかもしれません。
もっとも、如実知見できるのは道元が崇拝している法華経によると仏と仏のみであって、道元も
この刹那の量は、ただ如来だけが明らかに知っておられるのです。
「一刹那の心は一つの言葉を生み、一刹那の言葉は一つの文字を説く」 ということも、如来だけが出来ることであり、他の聖人には不可能なのです。
と上記正法眼蔵引用文の直前に説いて(書いて)いますが。
しかし
上座部(テーラワーダ)のアビダルマ哲学では、物質は17刹那の間だけしか存在しないと考えます。
1刹那で「生」じ、15刹那「住」し、1刹那で「滅」します。
通常の意識では1刹那の「滅」は認識できないのですが、「観」ではその「滅」を観察しなければなりません。
(1刹那の「生」は意識の上る前に終わってしまうので、認識できません。)
https://ameblo.jp/morfo/entry-10820378088.html
とあり、テーラワーダのヴィパッサナーだと刹那滅は観察できるそうです、信じ難いですがw
テーラワーダでは物質の17刹那間の生滅は原子のレベルつまり光のスピードで起きているらしいので尚更!
とはいっても生滅が原子のレベルつまり光のスピードで起きていると言われても何のことやら私にはよく分かりませんでしたがσ^_^; >>124
帯状疱疹後神経痛にはリリカはあまり効果ないみたいですね。 >>124
では、明日、「天邪鬼演出スレ」で逢いましょう
おやすみなさい >>105
色即是無としない理由
「中論」第一五章 <それ自体>(自性)の考察
三 自性が存在しないときに,どうして,他性(他のものに固有の実体)は,存在するであろうか。なぜならば,他の「存在(もの‧こと)」においての自性が,他性と呼ばれるのであるから。
四 さらにまた,自性と他性とを離れて,どうして,「存在(もの‧こと)」〔が成立するであろう〕か。なぜならば,自性または他性が現に存在しているときに,「存在(もの‧こと)」 は成立するのであるから。
五 有(存在するもの)がもしも成立しないならば、無もまた存在しない。何となれば、有の変化すること(異相)を人々は無と呼ぶからである。
六 <それ自体>と<他のものであること>と、また有と無とを(J註:実体あるものとして)見る人々は、ブッダの教えにおける真理をみない。
七 カーティヤーヤナに教える【経】において、「有り」と「無し」という両者が、有に無とを説き給う尊師によって論破せられた。
八 もしも本性上、或るものが有であるならば、そのものが無はありえないであろう。何となれば、本性の変化することはけっして成立しえないからである。
九 【物の】本性が無であるとき何物の変化することがあろうか。また本性が有なるとき何物の変化することがありえるであろうか。
一〇 <有り>というのは常住に執著する偏見であり、<無し>というのは断滅を執する偏見である。故に賢者は<有りということ>と<無しということ>に執着してはならない。
一一 <その本性上存在するものは、無いのではない>というのは常住を執する偏見である。<以前には存在したが、今は無し>というのは断滅を執する偏見となるであろう。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&id=9529952
これは龍樹の独創ではなくて、仏教では有無の二見は邪見とされます。
般若心経も仏教のお経ですから色即是無とはしないのです。
ちなみに是故空中無色は、色は無である、ではなく、空の中には色(色法)は無い、ですので、色の本性を無としているわけではないのが色即是無との違いです。
そして、龍樹の中論よりもアビダルマの論書の方が難解だと思いますよ。
逆に言えば、アビダルマの論書の入門用にも中論は最適なのではないかと思います。
倶舎論などのアビダルマ論書に興味があるならば、ですが。
また般若心経の元になっている摩訶般若波羅蜜経にしても最初からそれに手を出すよりは龍樹作の摩訶般若波羅蜜経の論書、大智度論から入った方がすんなりと入れそうです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています