そもそも論で言えば釈迦もカッサバも通力者同士なんだから以心伝心で死期を伝える事も出来た筈だがそれをしなかった

七日間の在家の葬儀が済んだ後もなかなか火は点かずに居たのが カッサバと五百人の弟子が到着して礼拝を一通り終えたら自然に発火した

という事は釈迦は彼等の参加を待っていて必要最低限の参加で良しとした訳だ

つまり釈迦に依って参加したと認められた事になる

阿羅漢達に対する最期の返礼が自ら燃え上がるという現象という事だろう

信仰者ならこういう解釈になるし 不信心者なら味わいの無い杓子定規な解釈になるというだけ

早い話 情緒が欠落してるんだよ