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[6]彼らは宗教的行為として火を供養していた(aggI paricarati)ことが
さまざまなと ころから知られる。  
まず『パーリ律』は、そのアーシュラマには火堂(agyAgAra)があったという(vol.T p.024)。
料理をしたり、風呂の施設という感じはしないから、おそらく火を祀る施設であっ
たのであろう。また、螺髻梵志らは火を供養しようとしたが、薪を割くことができなかった、
ともいう(vol.T p.031 以下)。
そして彼らは世尊のもとで出家したときに、事火具 (aggihuttamissa)を河に流した、とする。  
さらに彼らが釈尊の弟子になった後で王舎城の人々と会ったときに、釈尊とウルヴェーラ・
カッサパの間で次のような問答がなされたとされている。  
「ウルヴェーラーに住む者よ、(苦行によって)痩せた者と称される者よ、汝は何を
見て 火を捨てたのか。カッサパよ、私は汝にこの義を尋ねる。どうして汝は事火法を
捨てたのか(kim eva disvA uruvelavAsi pahAsi aggiM kisako vadAno. pucchAmi taM
kassapa etam atthaM, kathaM pahInaM tava aggihuttan ti.)。」  
「祭祀は、色、声、味、欲、女を説く。これは汚れであると根底から知ったので、
供犠を も献供をも楽しまなくなった(rUpe ca sadde ca atho rase ca kAmitthiyo
cAbhivadanti yaJJA. etaM malan ti upadhIsu JatvA, tasmA na yiTThe na hute araJjin ti.)」(vol.Tp.036)

http://www.sakya-muni.jp/pdf/mono07_r06_001.pdf
原始仏教聖典におけるバラモン修行者