霊は実在であり、反発がゼロである故に空間上の制約を受けない。
霊には実体すなわち反発が存在していないが、光すなわち時間が存在している。
人は死ぬと肉体を失う。肉体とは空間のことである。人は例の姿になってもまだ時間を失わない。
人が滅びによって肉体を失うと、次いで空間と時間を接続し得る霊が滅びを迎える。
肉体の滅びとは、火と硫黄の池。
しかし、霊は空間という根拠なしに体を維持することが出来ない。
なぜならば、時間を司る体は、空間の実在を反証することなしに存在し得ないからである。霊は滅びを迎えて消滅すると、時間を司る霊の体に反転して新たな実在として出現する。その体とは「空間よ、お前は存在していない。世界に存在しているのは時間、すなわち光のみ。」
それゆえ、肉の滅びである火と硫黄の池は、同時に霊の体の死を意味すると言ってもよい。