悟りというものに、明確な答えなどない、なんて言ってしまったけど、
最初はやはり答えを求めるべきなんだろうな。。

廓然無聖でも、不識でも、空でも、無でも、それが答えなんであって、
それがまず腑に落ちるかどうか?

ただ言葉の意味がわかっても意味がないんであって、それでもって自己を解決できるかどうか?

平等心是道でも、不思善不思悪でも、一句通ずれば、ぜんぶ通じるようなもん。。
それでほとんど終わり、ということになる。。

ただ、丁寧に看て参じなければならない。。
じゃないと、上っ面の知識だけ集めて、何にも肝心なことがわからない、ということになってしまう。。

逆に言うと、一句通じないから、あっちゃこっちゃ余計な知識を集めて回る、ということになるのだろう。。w

心がない、無心、これがわかるだけで、お終い。。w
それで納得して、疑問が無くなるわけだから、それ以外求めるべきもの、なんてなくなってしまう。。w
そうならなければ、何のために禅なんぞやっているのか、ということだ。。w

ただ、わかっただけでは、わかったという自分が残るので、最後は忘れましょう、というだけだな。。
で、わからんままで、平気になる、ただそれだけのことだ。。w