>  うん うん、何を言おうとか考えず,その時その時勝手に出る 』

その勝手口を戸を開けず、出たり入ったりしている奴が、要る。会すや!?

むかし、むかし、あるところで
厳しい昼間(ひるま)の作務(さむ)の疲れから夜坐(やざの(おり、
坐睡(ざすい)してしまった修行僧を見て如浄禅師(にょじょう ぜんじ)は履いている皮のスリッパを脱いで手に持ち 激しく打擲(ちょうちゃく)した。

この雷音を聞いた道元は頓悟(とんご)した。

国費留学の修行を2年で切り上げ帰国した道元は問い詰められて、言う、『 空手(くうしゅ)にて帰国しました 』、と。

巷間(ちまた)に伝えられる 眼横鼻直(がんのうびちょく) は、後世の弟子たちの誰かの加筆、と言う。

道元は幼少時から、中国人たちと会話し、書く事が出来た。ほとんど不自由が無かった。

道元の説法の座で話すことの手控えが死後、発見され、弟子たちはやがて体裁を整え編集し、本に仕立てた。
もとは説法の手控えである。
経題も無かったのである。

二歳年上の弟子、懐弉 (えじょう)も同じく死後、手控えが見つけられた。
これも題を正法眼蔵随聞記と付けられて、編集製本された。

道元のありようはむしろ正法眼蔵隋聞記に記されているようだ。