・中部経典 第37経 小愛尽経[チュッラ・タンハーサンカヤ・スッタ]
「第七 渇愛を尽くすことの小さい経[小愛尽経]
390.このように私は聞いた。
 あるとき先生はサーヴァッティの東の園、ミガーラマートゥの城[高殿]に住んでいた。
 ときに神々の王サッカは先生を訪ねた。訪ねて先生に敬礼して一方に立った。一方に立って神々の王サッカは先生にこう言った。
 「先生、略して言うならばどのようにして比丘は渇愛を尽くして解脱し[愛尽解脱]、究極に達し、究極の安穏と結合し、究極の梵行者となり、究極を完成させ、神々と人々の最勝者となるのですか」
 「神々の王よ、ここに比丘はこのように聞く。 『一切の法は住するのに十分ではない』と。
 神々の王よ、このように比丘が『一切の法は住するのに十分ではない』と聞くならば、彼は一切の法を超知する。
 一切の法を超知して、一切の法を遍知する。
 一切の法を遍知して、楽や苦や不苦不楽のいかなる感受を感受しても、彼はそれらの感受に無常を見て住し、離貪を見て住し、滅を見て住し、放棄を見て住する。
 彼はそれらの感受に無常を見て住し、離貪を見て住し、滅を見て住し、放棄を見て住して、世界のいかなるものにも執着しない。
 執着せず、怖れない。
 怖れず、自ら般涅槃する。
 『生まれることは尽きた。
 梵行は完成した。為すべきことは為した。
 さらにこのようになることはない』と知る。
 神々の王よ、略して言えばこのように比丘は渇愛を尽くして解脱し、究極に達し、究極の安穏と結合し、究極の梵行者となり、究極を完成させ、神々と人々の最勝者となるのだ」
 ときに神々の王サッカは先生が説いたことを喜び歓喜して先生に敬礼して右回りしてそこで消えた。