>>598
> 信心により、阿弥陀如来に救われる

キリスト教の「信心」は、
父なる神エホバに対する「信仰」というよりも、

最後の審判の時にイエス様が
神の右に座す弁護者として「信頼」すると言う意味です。

> どういう状態をもって、「救われた」と

教会で洗礼を受け、
亡くなるまで神に礼拝し、キリストに寄り頼む事です。