>>611

造られたもの 生じたものは滅するという法則が説かれ 宇宙は誰かが造ったものではないという真理が説かれた

今いる宇宙が膨張と収縮を繰り返す性質のものであるとする時 そこに「あ・うんの呼吸」を観る

宇宙に内在する被造物が滅したとしても この宇宙の仕組み自体は被造ではないから永続される

この宇宙に付随する大我が被造かどうか迄は釈迦と同等の知見が無い限りは解らない

ただ仮説としてこの空性の大我の中に空性の自我を投げ入れた場合に自我は見分けが付かなくなって消える

この自我の消えた状態を維持出来るならば 釈迦の云う処の「迷いの生存」には戻らない

もし生存の世界に釈迦が戻るとするなら生まれた時から迷いの無い悟りの証を示し 生涯一度も迷わずに人生を全うするのではないか?
という仮説を立てた時に条件を満たした例はどの時代のどの国にも見られない

結論として 「少なくとも現在迄の間に釈迦は一度も転生していない」となる

おそらく その言葉通りに無漏となって空性の中に有無の無い状態で溶け込んだままの筈で有る

反論するなら現在誰にも発見出来ない「釈迦」を見つけるしかない