0419ハジ
2019/11/13(水) 13:48:48.68ID:2nOYVTSs己の静まって、それに、くっついていかないなら、それは事象の無常なる流れとして、
智恵の眼に照らされているのじゃ
智恵の眼に照らされていると、静かなること林の如くしていると、流れていくのだ透明な光の中を
しかし、この状態だと、ボケーっとしてるだけなのだ
気持ちがいいというやうだ
それで、この瞑目した我が、つまり、眼前世界を生きることが必要となるのだ
つまり、眼前世界瞑想こそが、悟りの世界、空なる世界と一つ、そのものなりの世界なのじゃ
しかし、それは、単に自己活動が静かになり、眼前世界の活動と一つになっとるという
つまり、三昧? とかたぶんゆわれてるものをしてるだけで、
特別なのことが、特にないのだ
なぜなら、見えないことが見えることだと、甚深なる経に解かれているからなのだ
また、真を求ることをせず、ただ、見を止むべしとも
これが悟りの世界なのだ