苦悩しておる無明の世界ー脳裏の闇夜というものは、表面的なことなのだ

己の静まって、それに、くっついていかないなら、それは事象の無常なる流れとして、

智恵の眼に照らされているのじゃ

智恵の眼に照らされていると、静かなること林の如くしていると、流れていくのだ透明な光の中を

しかし、この状態だと、ボケーっとしてるだけなのだ

気持ちがいいというやうだ

それで、この瞑目した我が、つまり、眼前世界を生きることが必要となるのだ

つまり、眼前世界瞑想こそが、悟りの世界、空なる世界と一つ、そのものなりの世界なのじゃ

しかし、それは、単に自己活動が静かになり、眼前世界の活動と一つになっとるという

つまり、三昧? とかたぶんゆわれてるものをしてるだけで、

特別なのことが、特にないのだ


なぜなら、見えないことが見えることだと、甚深なる経に解かれているからなのだ

また、真を求ることをせず、ただ、見を止むべしとも

これが悟りの世界なのだ