ありのままに自分の心を観るならば
誰かを醜悪にみせていたのは
自分のエゴだったと知る
そのエゴこそが自分をいつまでも苛み、自分を被害者に仕立て上げる
それを観られることが「ありのまま」のマインドフルネス

そこを観られずに、スマは悪、自分は被害者とやっていたら
死ぬまで苦しむぜ

エゴの自分が自分だとしか思えないまま追い詰められたら死ぬこともあるだろう
テーラワーダは考え方が二重構造になってないから
死ぬことでしかエゴを消すことが出来ないと短絡してしまう人が居てもおかしくない
一重構造は日本人には合わないと思う
自分もキツイ時に関わっていたら死んだかもしれない