慈悲もブッダじゃなきゃないんだよ。
遺伝子は利己的に振る舞うんで
怒りじゃなく慈悲を持てと言われても
元来利己的に作られた遺伝子の乗り物である人間が慈悲なんか持てない。

しかし潜在意識に怒りは利益にならないと叩き込むと利己的な遺伝子はマズイと察知する。
利益にならない怒りは排除しようとする。

その結果として相手の怒りとかを察知する余裕が生まれて
怒ってる人に同調したりして相手の怒りを許容するだけの器ができるわけで

それはブッダの慈悲ではないけど、人タラシ能力的な似非慈悲として使える(笑)