それは幼児退行ではない、それは童心の信奉でもない。持ち合わせの知恵や
学んできた知識を失うことでもない。それは、ただの「気付き」ぢゃ

その気付きによって、人の心は、生きてるだけで楽しく在れた、無垢の心境に立ち還り
見るものすべてが新鮮で、空間全体が放つ独特の匂いをその都度に感じれていた
懐かしい心境に戻ることができる。それは幼い子供のころの感覚と同じぢゃ

練りに練った知恵や、収集に明け暮れて積み重ねてきた知識は、同時に「穢れ」も
多く掻き集めてきたであろうが、仏の智慧は、その穢れを生じさせぬものぢゃ
何故ならば智慧には、囚われが無いものであり、如何なることも穢れにならぬ心境ぢゃ

(-人-)