悟りには、こうだという形など無い
悟りには、究極的に、何も無いのぢゃ

悟りは、ハッキリしてない。と思うてしまうのも仕方ないが、そもそもぢゃ
それをハッキリさせようと「思い立ってすらいない」ところに、悟りがあるのぢゃ

だからこそ、悟りを勉学的な心境で学び探究しとる最中は、一向に見つからない
まったく悟りとは、凡夫の精神にとっては、とても意地悪なブービートラップぢゃ

ーーーーー

ある大人が、子供に対してこんなことを聞いていた。「将来は何になるの?」と
子供とは、ときに悟りの先生になることがある。よく観察すればそれが見えてくる
その子供はまず「どうして何かにならなきゃいけないのかな?」と思いつつ
大人に対して返した言葉が「お米大使になるんだよ」であった。・・・お米大使?
なんぢゃそれは。お米のキャンペーンでもする人か?それは意味不明な言葉であるが
意味不明であるからこそ、意味不明な言葉によって、心が動いとる大人に教えを促がす

http://imepic.jp/20190901/466270

(-人-)