>>927を読む限り、 ああ、やはりこちらが説明したことを全く理解していないなとわかるのだが、
それでもさらに説明してあげましょう。
あなたの誤解とは身命経が輪廻のすべてを説いた経典だとみなしたからです。
そうではありませんあれはすごく限られた場面の話なのです。
釈尊と話す相手はバッチャという出家でしたか 。
彼に対してお前は慢断ぜざるが故に 陰とともに相続する ると指摘した。
この陰とは五陰・五蘊であるわけです。
ところで これに対して深山さんは陰を説明するのにまあ肉体と考えればよいと言いました。
正しくは色受想行識なのだが要するに肉体と精神活動の総合体であるわけだから その辺は省略して肉体と言ったわけです。
まあはっきりいってバッチャさんは来世に人間になって生まれるでしょう。
なぜそんなことがわかるのか?
それは釈尊が指摘したのが慢だけだからです。
貪とか瞋とかそういう煩悩は指摘していない。ましてや地獄に輪廻するような人は慢ごときで地獄なんかに落ちやしない。
バッチャさんが慢しか指摘されなかったというのはこれは大した修行者と分かります。
解脱はしてないけれども、お前はまだ慢が残っているから来世また人間に生まれ変わるよ、五蘊をまた集めて。
そういう話にすぎないから輪廻の諸相の全てを説明したことにはならないのです。
だから世の中には肉段のような輪廻もあるし、地獄への輪廻もあるし無色界の輪廻もあるのです。
そういったことも含めて視野を広げないといけませんよ。