深山にとって肉段の存在は非常に都合が悪い。
彼の考える身命経の世界では肉段をうまく説明することが出来ないからです。
彼は出来ることなら肉段の存在を闇に葬りたいと思っている。
その証拠に、彼が好戦経の話を持ち出すときはいつも決まって
「釈尊は自ら肉段を説かなかった」
ということばかりを強調する。
そして肉段を説かなかった理由は、経典にちゃんと書いてあるのに、それには全く触れない。
これではまるで釈尊が弟子に訊かれて渋々、肉段の存在を認めたように見えるではないか。
その結果、肉段の存在感は大分薄くなるのです。
こうした印象操作をしなければならぬ程、肉段の存在は彼にとっては目の上のタンコブなのです。
何しろ説明出来ないのだから仕方がない。
桐山氏は、肉段を霊障の仏の根拠にしたと批判しながら、彼自身は逆に肉段の存在を隠蔽しようとしたのです。