>>901
>まるで私が「Aの人生→Bの人生の間には何も無い」と
書いたかのような言いがかりですね。
>こんなこといつ私が書いたか、引用してみなさい。

ーーーーーーーーーーーーー
215 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2014/06/25(水) 22:02:26.78 ID:FE62Knn8
>191 :神も仏も名無しさん:2014/06/25(水) 20:50:59.65 ID:PWniccIe
>A,B,Cはそれぞれの段階で人生が終わっていて、繋がりが無いので「断見」

生まれ変わりには霊魂など仮定しなくても、火の例えのように説明が付く。
ABCには共通した霊魂などない。
Aの行為がBやCに何の影響もないなら、輪廻したとは言えない。
だが、Aの為した行為の報いをBやCなどの人たちが受け取る。
ちゃんと関連しています。
その最大のつながりとは、
「慢断ぜざるが故に此の陰を捨て已りて陰とともに相続して生ず。」
という仙尼経の一文です。
Aは煩悩を断じなかったから、Bを生じさせたとある。
AはBを産み落とした本人ですよ。
これでつながりがないとはどういう意味ですか。
AとBの間に霊魂などという「常見」を仮定しなくても、火の例えどおりで、
Aに煩悩という火さえあれば、Bを産み落とすことは可能です。
ーーーーーーーーーーーーーーー

>AとBの間に霊魂などという「常見」を仮定しなくても、火の例えどおりで、
Aに煩悩という火さえあれば、Bを産み落とすことは可能です。

これはAとBの間には何も無いという意味ですよね。
それとも霊魂以外のものならあるということ?www
だが好戦経によればAとBの間には「肉段」があったのです。
説明してご覧なさい。