経典は書かれたことが全てなのです。

経典の或る箇所に「かれは解脱します」と書かれてあれば、かれが解脱するのはその箇所だということになります。

経典の何処にも「釈尊は霊障を全面否定した」と書かれていなければ、釈尊は霊障を全面否定した事実は無いことになります。

経典の記述を無視して、いくら理屈を並べたところで、それは個人の独善的な解釈と見なされます。
当たり前の話です。
深山ユビキタスなどの主張などは正にその独善的な解釈に該当します。
その解釈には客観的な根拠は皆無です。