>>854
>四諦認識の直後に比丘(釈尊)による解脱の告白が出て来るのだからこれ以上の根拠はない。

補足しましょう。
三学経典において比丘(釈尊)が解脱し、解脱知見を得るのは以下の節であり、これより他にはありません。

「このように知り、このように見るかれには、
欲望の煩悩からも心が解脱し、生存の煩悩からも心が解脱し、無知の煩悩からも心が解脱します。
解脱したときには、解脱したという智が生じます。
『生まれは尽きた。梵行は完成された。なすべきことはなされた。もはや、この世に生まれかわることはない』と、知るのです。」
(沙門果経 第99節、大獅子吼経 第21節)

深山は比丘(釈尊)の言葉を全く無視しているのです。
そして経典の内容を自分好みに作り変えているのが分かりますね。