>>850 神も仏も名無しさん 2019/08/30(金) 14:42:01.65 ID:S6Uixw1v
>それは違うね。
>悪魔というものが自分の煩悩以外に実際に存在する場合もある。

そうですよ。仏教経典には 自分の煩悩とは異なる波旬という名前の悪魔が出てくる経典もちゃんとあるのです。

>悪魔=煩悩ではない。
>深山さんは全くデタラメを言う人です。

これがあなたの頭の単純なところで、深山だってそういう外側の悪魔と呼ばれるものが説かれてもいる経典を知っています。
しかし仏教において自分が克服すべき対象の悪魔とは自分自身の煩悩以外はないということです 。
だから自分以外の外側の悪魔が存在しても、それは自分とは関係ないのです。
もちろん悪さをしてくるかもしれないが、私はもう何度も言っているでしょ?
霊障というものがあるかもしれない、しかしそんなものがあってもそれよりも当時のインドで怖いものは何ですか?
象に踏み潰されることではないですか?ライオンに食われることではないですか?毒蛇に噛まれることではないですか ?
今で言うならば車にひかれるような話ですよ 。
そんな悪魔なんてなかなかお目にかかることができないものが襲いかかってきても 、それを防ぐだのそういう教えは仏教にはないのです。
象に踏み潰されないためにはどうしたらいいか?ライオンに食われないためにはどうしたらいいか?毒蛇に噛まれないためにはどうしたらいいか?
そういうことを真面目に説く経典なんてないでしょ?
もちろん今回の九州北部の大雨洪水の被害みたいな ものから身を守ること指定などはしません。
しかしそれは現実努力ではないですか?
およそ宗教という心の問題ではありません。
心の問題としての宗教としては、いかなることがあっても 自分自身の 心の平安をと言うか 勇気と言うかそういったものを失わないというだけであって、災害そのものを無くすなんてことは不可能なんです。これはもう受け入れるしかないのです。
だからもっぱら 仏教修行者、仏教信仰者が考えねばならない悪魔というのは、自分自身の煩悩だとそういう意味です。