「水は枯れ全ての清らかなものが汚される
形あるものは邪まな汚れとしての存在に覆いつくされ食い尽くされる」
(『アゴンマガジン』102号、36頁)

不浄というなら、根拠もなしに死者たちを邪軍など罵る行為のことです。
信者さんたちは霊視能力なんてない。
桐山さんの霊能力を信じていただけです。
桐山さんの霊能力もインチキであることがこのスレで何度も指摘された。
ましてや、自動書記なんて、どこの馬の骨かわからんような信者の
タワゴトを元にして、死者たちを侮辱するのはやめたほうが良い。
それは死者を救うどころか、死者への冒涜という立派な悪業ですよ。

神軍と邪軍に分かれて戦うなんて、まるで映画かドラマです。
自分たちを神軍など称して、自惚れという煩悩の妄想を膨らませ、
煩悩を減らすどころか、増やしている。
信者さんたちには興味がないようだが、釈迦仏教には他者との戦いはありません。
他者とは死者を含めた意味です。
あえて戦いというなら、自分の煩悩との戦いのみで、これ以外の戦いはありません。
自分の煩悩との戦い以外の戦いをする宗教は仏教ではない。
それこそ邪教です。