一読して呆れたのは 戦いに敗れた少数民族をに対しても哀悼の意を示すだけならばまだわかるのだが、
それを自分の考えとして示すのではなく、 戦国武将だの彼ら少数民族そのものを 自動書記みたいな形で 出してまで
語らせるせるというのは、
その実在もしたであろう少数民族に対する侮辱以外の 何ものでもありません。
ましてや阿含宗が中心になって神軍を率いてこれを鎮めようというわけです。
鎮めるというのは 昔の平定と同じではないですか?
2度にわたって平定してやろうと言う。

千数百年前の話に対してですよ。
だから実は国津紙の味方などは少しもしていないのです。
桐山さんはちょっと私の記憶が曖昧だが、最後は天津神が国津神を平定するのが正しいみたいな発言をしたと思う。