アゴン宗は、どこをどうみてもモノマネ密教ごときです。
法と言えば、節操なく伝統仏教の法華や密教界から取り入れ、
また、ブータンだろうがチベットだろうが、何にでも金の力で表面だけ
着飾ろうとしてきたのが桐山さんです。
実のところ桐山さんの中身はゼロ、修行などしたことも無いでしょう。
五社の滝時代でも、何度か行ったら数年間修業したことになる。
一度知ったことは何年も前から知っていたという話、これをヨル公さんも
そっくり見習っています。
求聞持法であっても、いったいつどこで修行したかが提示されていません。
念力の護摩に至っては、手品の練習を艱難辛苦の修行だと言っていましたからね。
幸いにして真言密教の僧侶さんである八雲さんが現れて、
モノマネ密教の法のいい加減さ、が理解できることになった。
最初から、本尊はニセモノで教義は付け焼刃でしのいで変更・変形の連続です。
アゴン宗から本物を見つけるのは至難の業(ワザ)というのが、
ここ批判板全員の認識であり通説となっています。