>>176
如意宝珠法に関しては、どうやらなんらかの伝授らしいものがあったと
元脇導師さん(勝手に呼んでます)が指摘下さいました。
仮に伝授を受けられても、如意宝珠法を教わり、如意宝珠護摩法をやらかした
桐山さんは越法になるのですが。
何の本だったか忘れましたが、仏舎利をもらってきて、如意宝珠護摩法をやったら、
その余りの力に感激した。
みたいな事を言っていましたね。

ここで問題になるのは、護摩法を伝授されたのか否かになるかと。
もし護摩法を伝授されていないのに、如意宝珠護摩をやったら、それは由々しき
事態です。

「如意宝珠法(にょいほうじゅほう)」
 真言密教において、最高最奥義とされる秘法です。
この法を修するためには真身舎利が必要です。
真身舎利を奉安して如意宝珠法を修すると、
真身舎利変じて如意宝珠となるのです。
如意宝珠法とは、願うがままに、福徳宝生・因縁解脱の功徳を
与えてくださる秘法です。

阿含宗HPではこの様に書かれていますが、
解脱宝生行のため、初護摩などでも如意宝珠法が修されています。
しかし、ちょっと待て?
桐山さんは全ての護摩は念力護摩次第だったはず。
ならば如意宝珠護摩にはならない。
護摩法のない如意宝珠法だけならば、護摩は不要になります。
が、護摩をやらない修法は盂蘭盆か総本殿落慶の入仏法要の時くらいでは?
それほど桐山さんが修法する時は、護摩がセットです。

もし、如意宝珠法だけで如意宝珠護摩法を伝授されていないのならば、
阿含宗の修法で如意宝珠法を修する事は無理なのでは?
と思うのです。
結局、小田師に習った、事が大切で、法の中身などなんでも良い
としか思っていない気がします。