さて、桐山さんの法脈を検証する中で重要人物が、小田慈舟師だと思います。
小田師から、金剛界、胎蔵界を伝授され、伝法会でテープを流し、伝授の時の
写真を小田師没後から各書物に掲載して、小田師からの法脈を受けた、と
言っています。

桐山さんと小田師の出会いは、1970年の8月、護国寺における金剛頂経講伝の場と
されています。ここに、桐山さんは
S30 得度 戒師北野恵宝師に従って
S40 伝法灌頂 大阿北野恵宝師 大原最俊師に従って
と言う履歴書を提出しました。
ちなみに、1968年天台宗僧籍取得のために提出した履歴書には
S35年2月 真言宗金剛院派得度加行
S36年 四度加行 学識灌頂 講義講式
S41年 伝法灌頂
です。
得度や伝法灌頂の年代の食い違いは従来指摘されています。

いずれにせよ、偽りの履歴書で講伝の場に潜り込んだ訳ですが、
長髪であること、作法の中で明らかに灌頂未入壇の疑いがもたれ、途中で退出
させられています。
この時に最初に渡された、許可の印信を旅行カバンの底から出てきた、と皆の
前で見せびらかしていました。
本来であれば、許可も取り消されたのですから、返納すべきものですし、
印信を旅行カバンの下に放りっぱなしにしておく僧侶はいません。