山下良道 アンチスレ Part.2
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正確に言うと、シンキングマインドと呼ばれる頭でわかるものではない
というのが正しい >>141
シンキングマインドではない
頭での理解はできる
ということですか >>142
まあそうだね
そこに立たなければ観察もできない慈悲もわからない只管打坐も出来ない >>145
言葉の用いかたによって
本当の自分は
シンキングマインドではない
頭での理解ができるということですか
頭での理解ができると 良道さんは本物なんだろうなと思ってるけど
アスペさんは頭で考えたことだけだから
言ってることが穴だらけだし
ニセモノ感しかない >>120
機能的識字能力、中二レベルですねあなた
機能的非識字とは、日常生活において、読み書き計算を機能的に満足に使いこなせない、文字自体を読むことは出来ても、文章の意味や内容が理解できない状態を指す。機能的文盲、機能性文盲とも。 >>146
頭での理解なのかというとそれは正確なことは言えないね
脳科学とかでは「それはすべて頭の中で起きてる」とかいうことになるだろうな
例えば手が切り落とされた人は、失った手の指先などに痛みなどを感じる
体と言っても感じているのは脳だと言える
だから、客観的に正確には言えない
チベットやテーラワーダの人や山下がわかることが
「わからなくていいんだ」としたのは一照なんだよな
わからなくていいんだ、わからないものなんだ、という思い込みでは
宗教性は復権できないな
神学者たちはこういう
「神を語ることは不可能だ。しかし不可能の可能性に挑戦しなければならない。」
わかんねーからいいや、ということなら宗教性は復権できないからね 慈悲なり智慧なり、大乗解釈での涅槃、
青空、第五図、本当の私、、、
厳密には一照さんも触れてるのは間違いないよ?
けれど、そちらが本当の人間なのだという認識には至っていない
それがジャンプしていないということだ
だから言うことは全て酸っぱい葡萄になる >>120
全方向に頭悪いと言うヤツは、本当に頭悪い。
中二病アスペの標準的態度。
だから一照さんでも誰でも5chでは無敵状態を気取って
マウントとったつもりになって自己陶酔出来る。
本物の頭悪いヤツ 大乗解釈での涅槃が人間みんなの姿なんだということが確信できなくて
なんで只管打坐の指導ができるんだね?
「厳密に言えば一照さんだって慈悲に触れてるんだ、他力に触れてるんだ
だって呼吸がみえてるんだからな
だからジャンプと同じなんだ」
それは気持ちはわかるけど、違うんだよ
これは山下もずーーっと話してることなんだよね
体験しないとそこは話にならない
だから「一照さん一緒に坐りましょ」と呼びかけてるんだ >>151
酸っぱくなってるのはお前の脳味噌
腐った葡萄を1人でありがたがってろ。
仮想有能感に浸って ここがわからないなら、坐っても意味ないじゃんよ
私は昨日書いた通り、ワンダルマでなければいけないということはない、
慈悲の瞑想は必ずしも必須ではないと思っているんだが
しかし、一照さんは35年位坐ってるんだろ?
そして、やっぱり慈悲にも触れてない、トンレンで気分悪くする、何となく他力が現れた気がするだけ
という程度のところで留まってる
そして「わかるもんじゃない」「わからなくていい」「出ちゃいけない」
というエゴを張る >>156つづき
山下さんがジャンプと呼んでることがなんなのか分からずに否定し続けてる
けど、それは仏教理解に必須のことじゃないか
そうでなかったら仏教理解は単なる道徳規範でしかなくなる
アップロードして3.0として目指してることはそんなことではなかっただろうに
あれから六年経ってるんだよ
ワンダルマやってみる以外に無いんじゃね?
と言ってるんだ 私は私の言うこと信じて欲しいとか一切思わないんだよね。
唯一信じて欲しいのは、実践者本人が実践から得られる確信(確信は敢えて信じる必要はないけれど)
逆に言うとそう言うものを積み重ねないことには仏教って全く意味がない。人の言うことを聞いて上手くいくって言う教えじゃないからね。 >>159
基本的には全くあなたの仰る通りだと思いますけどね 一照さんの場合、積み重ねが飛躍するポイントが見つからないことが問題なんだ
理知的な研究の積み重ねも経験も全てを投げ捨てて飛躍しなければ
宗教性は復権できないですよ
一照さんはもうそれをおよそ35年くらいに渡って努力なされてきたわけだ
しかしその末に「わかるもんじゃない」「わからなくていい」
という投げやりな言葉を吐き捨てるのはあまりにも悲しいことじゃないですか
目の前に山下良道という、飛躍をやった人が立っている
そして「一緒にやりましょう」と手を差し伸べてくれてる
そういうことですよ 仏陀は、自ら確かめたことを信ぜよ、と仰ってる
経験できないとし、経験しなくていいとしてしまうならば
それは仏教ではないだろう >>164
何故そこに戻るんだ
信じないのは良い、しかし否定することも出来ない
信じるには体験するしか無い わからないことを信じろなんてことは言ってないし
チャレンジしろなんて教えでもないね 私は信じることは出来てないが、否定もしない、嘘だとも思わないことは沢山あるよ
例えば、預流果は七回までしか生まれ変わらないとか
過去世について語られたことも言葉通り解釈して信じることは出来ない
しかし、否定もしない、嘘だとも思わない
わからないものだと決めつけることも、わからなくていいものだとも思ってない
きっと自分にまだ煩悩が強すぎるから見えていないことなのだろう 山下良道vsスマナサーラで
仏教3.0について詳しく検証してもらいたいな >>166
それならずっと「わからないねー」「わからなくていいよねー」
という立場で仏教を語り、坐禅を指導することになるな
一照さんは >>168
昨晩も言ったがスマナサーラ長老は大乗が間違いだと思ってらっしゃるから
それは無理
3.0は大乗の人でないと受け入れられない
靴箱氏もそうだろう 門前の小僧なら「わかんねえって」「わかるもんじゃねーなw」でいいさ
けど、今はわたしみたいな門前の小僧共がジャンプしてしまうんだよ
2.0の時代を通過したというのはそういうことなんだ >>170
スマナサーラさんは山下良道さんの言ってることを間違っていると言うという予想かな?
確かめもしないで、そう信じなくてもよいのでは 私達みたいな門前のハナタレ小僧共が、噂に聞いた瞑想を試してるうちに
なんとジャンプしてしまう小僧が多発してしまってる
ところが門の中、曹洞宗国際センター所長は
「ジャンプなんてキケンです」「出るなんていけません」
「わかるものではありません」「わからなくてよろしい」
「凡夫の我々がアタマに展開する限りのことしかわからなくてよろしい」
とやってる 煩悩は消さなくていい、二重構造なんだというのは、すべての人間にとって普遍的だというのが、あなたの主張ではないんですか
それともその国の文化(第四図)によって変わってしまうようなもの? >>175
根本的な世界観というのは一法庵的には第四図でしょう >>176
何を言ってるのかな?そんなわけないんだけど
それは揶揄をしたいということかな?違うの? >>177
煩悩は消す必要がなく、ジャンプして至る場所があるというのはスマナサーラさんには適用されませんか
すべての人間にとって普遍的なことではなく、単なる物語でしかないの? >>178
議論が錯綜しているね
スマナサーラ長老は般若心経を否定なさってるからね
二重構造否定なんだよ
山下さんの世界観からすれば長老も二重構造だろうが
しかし長老は説明をするためには二重構造の立場は取らない
言葉の上では平行線の議論にしかならないと思うね
しかしどちらも指し示しているところは同じだ >>179
同じじゃないでしょう
スマナサーラさんが煩悩を消さなくても良いなんて言いますか? 山下さんは二重構造だからジャンプが大事なんでしょう
そこ否定されたら山下さんの言ってることは間違いだということになる 二重構造が普遍的なものではなく山下さんが見ている世界観で、スマナサーラさんが見ている世界観とは違うんだというなら、それはそれぞれが個別に見ているVRでしかないということになる
二重構造は人間にとって普遍的なものではないんですか? >>182
あ、それは全然違うw
妄想から妄想を結論づけてるだけだなw >>183
世界観というのは概念のことだ
言葉の上での説明のことだよ >>185
実際には二重構造なんですか
違うんですか 体験してないことは信じなくてもいい
けれど、否定もできないからね
>>186
君はどう思う? >>187
わからないから、二重構造について語り続けているあなたに聞いているんですよ
スマナサーラさんと山下良道さんのどちらが間違っているんですか 私には人間は二重構造にしか見えない
凡夫である限り煩悩だけしか無いなんていう風にはみえないよw
>>188
どちらも間違えていない >>189
じゃあスマナサーラさんも煩悩を消すなんて言う必要はないということですね
ジャンプだけすればよいのだと >>191
じゃあ煩悩は消さなきゃいけないわけですか 単純な話ではないので、想像で考えて質問することが無駄なんだけどね
もしかすると、それ散々靴箱氏に言われてないか?あなた >>192
彼らにとってはそういうことになるね
そこで考えの世界が全て幻想と見える、ジャンプが起きる
と聞いたよ >>193
スマナサーラさんが二重構造を否定してるのは、スマナサーラさんが間違ってるんですよね >>194
つまり煩悩を消さなくとも二重構造だからジャンプさえすればよいというのは人間にとって普遍的なことではないということですか >>195
そうしたいのは君なのでは?
全く話が通じてないと思うのですが
>>196
全然違います
そんなに興味津々なら体験してみたら良いですよ >>197
いやいや、二重構造が人間にとって普遍的なものなら、それを否定しているスマナサーラさんは間違っているということでしょう そもそもの話、長老にとって3.0は眼中にないではないかなぁ
大乗否定なのだから >>198
メソッドと世界観込みで、長老が観ている世界が仏陀の教えでしょう
それも一つずつ確かめて信じておられる
話を聞いているとそのようです
だから間違っていないのです
否定する必要もないのです >>200
個人によってぶれるようなものであるなら二重構造は人間にとって普遍的なものではないんですね 仏陀は対機説法をされた
相手に適した説法をされた
ある人には白い布を渡して揉むようにと仰った
その人は午前の間に阿羅漢に悟ったといいます
けれど百人も人を殺してしまったという人が来た、
その人にも白い布を渡して揉みなさいと言ったわけではない また例えば、クリスチャンを捕まえて二重構造が普遍的真理であると説いても
上座部の世界観が真理であると説いても無駄ですね
仏教こそ真理であってキリスト教は間違いだと説くことも無駄です
それと同じですね 二重構造は特定の人間にしか適用できない白い布にすぎないのか >>205
白い布と違って、二重構造を信じようと出来るのなら適用できますよ >>206
人間はすべて二重構造になっているというわけではなく、信じる対象の概念でしかないわけですか ものすっごく単純なことなんだ
ちっとも複雑なことではないですよ
けれど第四図からでてあなたの本当の姿が青空であるとわからないと
ちっともわからないのかもしれない >>207
無理に分別を付けようとするならそう見えるのかも知れません >>209
人間が二重構造なのは普遍的なことなのか違うのか、どっちなの >>211
スマナサーラさんも二重構造を否定するなら二重構造かどうか確かめるべきなんですかね >>212
どこに「べき」が生じるのかわかりませんね >>213
ではスマナサーラさんは二重構造は確かめなくても否定してよい
もしくは
スマナサーラさんは確かめた上で二重構造は否定していると >>215
何が良いんですか
スマナサーラさんは確かめもせずに二重構造を否定してもよいということですか
確かめもせずに二重構造を否定しているんだと どうでも良いことを自分の立場も明らかにしない人に詰問されて答える義務あるんだろうかw
アホらしくなってきたぞ
>>216
良いだろ別に
山下やわたしは大乗警察かなんかなのかな?
君のアタマの中では >>217
いや、あなたはつまりスマナサーラさんは確かめもせずに否定するような人間であると言いたいわけですね
スマナサーラさんの批判は間違っていると 私は二重構造は普遍的なものだと確信してるけどね
しかし山下さんがスマナサーラ長老に説明しても仕方がないだろう
望むべくもないことだ
長老も今更、二重構造で捉え直して修行体系を変えるなんて言うことも出来ないだろう
今まで通りにやっていれば悟っていく人が居るのならそれは大変結構なことなんだ
スマナサーラ長老が指し示してるのも真理だと言えるのではないのかね
そこに意見の対立を生じさせる意味が私には全くわからない >>219
つまりスマナサーラさんは普遍的ではない間違った世界観の中で仏教をやっているわけだ >>221
魚川さんが言うにはそうではないらしい
テーラワーダであっても二重構造の意識はある
しかし言葉の上では二重構造の立場は取らない
ということだな >>222
しかしスマナサーラさんはそんな立場をとっているわけではなく
二重構造否定してるんでしょ 一照さんは、身心脱落した世界を知っている。
良道さんは、知らない。
一照さんにマウントかけるには、別のキラキラした異世界を作り出すしかない。 アスペさんは頭で考えたことだけだから
言ってることが穴だらけだし
ニセモノ感しかない 流石アスペ
山下の劣化コピー
繰り返し無機質な糞話するだけ (・∀・)イイネ!!
一照さんは頭で考えたことだけだから
言ってることが穴だらけだし
ニセモノ感しかない >>206
二重構造というのは普遍的なものではなく信仰の対象なんですか どの世界観からアプローチするかで修行の難易度は変わる
シンキングマインドで仏典を解釈した上で、全ての煩悩を滅尽するのが上座部
ハードコースだがメソッドは豊富かつ詳細にある
山下さんは涅槃の体験から二重構造であると見て取ったし
煩悩残しで二重構造の本当の私を体験したならそれは涅槃であるという
ジャーナに入れれば、そこからは悟りへと一繋がりの道が見えるように
大乗の世界観を説いている
ハードルは低いが、ジャーナはハードル
禅定は悟りではないから、ジャンプ=悟りとはいい難い
しかし本当の自分には出会っている
その出会いを手放さないために二重構造を強調しているんだと思うよ
そして、ジャーナに入る条件づくりとして微細感覚と慈悲の瞑想が協力なメソッドだから
これらをアナパナの前にやっている
私の理解だとそういうことになる
間違ってたらすまんけど >>231
つまりスマナサーラさんは涅槃を体験していない、もしくは体験してるけど二重構造とは気づいてないレベルだということですか スリランカ人が山下さんのところに修行に来たら混乱するだろうな >>234
二重構造が普遍的なものであり真理ならスマナサーラさんはそこに気づけてないレベルだということですよね 山下良道さんとスマナサーラさんで仏教3.0を検証する対談を是非ともやってほしいなあ 大乗否定vs大乗、マハシvsパオだし文化背景も違うからね
決して噛み合わない喧嘩になるな
それを面白がりたいというのは悪趣味 パオの人と山下さんでそれをやるならまだ分からなくもない アスペさんの大嫌いな一照さんはやったよね
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