>>31
言葉の意味はひとつだけですよ。言葉の意味は不変ですよね。複数の意味があると口にしたら必ずそこから争いの原因となります。
複数持っていると我が全ての考えだ認識する必要もありません。もし複数あるなら個人の境地によって様々な使い方を知っているのであろうと思います。
故に心を乱せば、言葉を複数の境地から、現に持ちえてしかいない言葉の中から引用し無意識に乱用するに至ります。
結果、双方の言葉同士が互いが不変であるひとつの意味を持った言葉であると理解するに至るまで争いは続きます。
怨恨だけを残す会話がそれです。我が儘に言葉を押しつけ、乱用する感情論は退転した言葉として見ることも出来ます。
さらにこれを逆観視すれば争いを避ける事も出来ます。俗に言うこちらから降りるという振るまいが出来ますよね?
具足として必ず正法で慈悲の心です。
これもひとつの言葉であり、相手からしたら腰抜けと謗られたりするのも、その人の言葉であり、これもまた逆観視したら、やがて十如是があることに気づきます。巡って原因を考えるように至ります。
なので、もし言葉を乱用するような人がいたら貴方が正しい知識(善知識)と正しい言葉を持って注意してあげればよいと思いますよ。
自我の妄執でないか?己の境地は何処にあるのか?身口意から出る言葉に慈悲が具足しているか?を逆観視すれば、やがて自行化他による慈悲のある言葉が出生していくのに繋がるのだと思います。
法華七喩の三木二草がありますが、少しずつ言葉を授持していけば法華経が広く高く疑う事の無い唯一無二の大慈悲の実相実体の教義であり、異体同心
も実に理解する事が出来ると思います。