>>94
勿論、梵天勧請とメッタスッタ、及び成道後の行履を見れば、
利己と利他は両輪であるべきなわけだが、
部派時代の仏教に利他はなかったかどうかなのでしょうし、
仮にあったとしても、「それは『利他』にならない」というのが大乗の論理。