>インド最古の文字史料であるアショカ法勅(紀元前3世紀頃)にはスッタニパータに含まれる経が示されていますし、この物的証拠を無視することはできないでしょう。

”若干の文献的史実”とは、スリランカの歴史書に「〇〇〇バーンナカは一部の経を誦出するのを拒否した」という記述があり、
その拒否した経がスッタニパータやダンマパダだったという記述のことです。

>※バーンナカー(bhāṇaka)
https://www.wisdomlib.org/definition/bhanaka

「バーンナカが拒否した」ということは、経がある、あるいは経を知っているがあえて唱えないという意味を含意しています。
その唱えなかった理由が問われる必要があります。
様々な要因が想定できます。

>職業集団としてのバーンナカ―・コミュニティーの立ち位置とは、これらの拒否された経典が含む教えが相容れない面があったのではないか?と推測しています。
部派仏教時代は、ブッダの教えが仏教化し、ある意味で”雇用を伴う職業化”した時代
>その教えを伝える人たち(出家者だけとは限りません)にとっては、スッタニパータやダンマパダは昔から伝わっているニカーヤ(口伝の教え)だけれども、
これを説くのは差し障りがあると考えられた

>紀元前後からニカーヤが筆記され始めて、5世紀には現在まで伝えられる”決定版”に近いトリピタカが整備されましたが、
経の文章から推測するに、これらの経を編纂した人たちも「現代で言うところの”仏教学者”」だった
※私見では、バーンナカとは世俗の人で、世襲で経の誦出の技を受け継ぐ人たちであり、ギルドを形成していたと考えています。大乗経にある「法師」と同じです。

その根拠は、ヒンドゥー文献にある、「ヴェーダを説く輩」です。
インドでは、ヴェーダの教えを担い、学び、伝えるのはバラモン階級者の特権でありましたが、実は、低階級者にもヴェーダの教えを説く人たちがおり、
彼らは現代語で言うところの「吟遊詩人」だったと思われます。

日本史で言えば、太平記を面白おかしく説くことを職業としてた琵琶法師のようなもの