如来蔵思想は仏教ではない
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>>101
は?
どの宗派も上座部教典の研究始めてるけど? >>103
我空法有だとどうして小さな乗り物で 我空法空だとどうして大きな乗り物なの?
思想と名称の関係を詳しく >>106
小乗仏教 我空法有
でググるとその関係性が詳しく説明されているサイトがけっこう見つかりますので、時間があるなら検索してご自分でそのサイトをお読みになってそこに書いてあることの是非を考察されるのもよろしいかと思います。
まあ端的にまとめると我空法有のグループはだいたいが個人の悟りを優先、我空法空のグループは大衆とともに悟ることを目標としていた、
ので我空法有派は小乗仏教で我空法空派は大乗仏教派ということになります。 小乗仏教 我空法空
でググって分かりやすいのは簡潔にまとめられている下記サイトですかね。
空の思想 1.なぜ、空の思想が生まれたか
http://www.obpen.com/essay/20151208_01.html >>107
我空法有の場合何故出家者のみでなければならないのかがよく解らないけど 上座部側の言い分として自らが悟らないのに他者を導ける訳が無いという事に対する返答はどのように?
大乗派生以降も覚者を最も多く輩出したのは最初期のサンガだから 上座部も大乗も共に成功したとは言えないのでは?
「我々に本物のブッダを見せよ」という大衆からの問いかけに答えられる部派は有るの? >>104
このスレで一番レベルの低い書き込みだね タイミャンマースリランカ等の土人の教義に執着するのは何故か? ときいてるだけだよ
思ってもいないことと関係ないこと書いたら嘘つきだと思った方つい感じたままを書いてしまった
日本人(かどうかわからんけど文章から見てそうと判断した)が東南アジアの
しかも分別説部の流れの枝葉末節に固執する意味がわからん
それも因縁であろうが、有部はレヴェル高いよ
倶舎八年だよ、理解できてる? >>109
ダンマパダ
157 もしもひとが自己を愛しいものと知るならば、自己をよく守れ。賢い人は、夜の三つの区分のうちの一つだけでも、つつしんで目ざめておれ。
158 先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。
159 他人に教えるとおりに、自分でも行なえ──。自分をよくととのえた人こそ、他人をととのええるであろう。自己は実に制し難い。
160 自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。
http://hosai.world.coocan.jp/dammapada-01/damma-all-text.htm
この辺の教えには部派仏教(小乗仏教)は忠実と言えるかもしれませんね。
ただその成れの果てが本当に部派仏教の目指す灰身滅智であるとしたら個人的には虚しいとは思いますが。 >>112
出家だけが成仏出来るという事の明確な根拠は?という大乗側からの問いかけに対する答えとしては弱いよね?
ゴータマの教えを聴いて即座に悟った在家の話はどうなるのかも含めて… >>111
>それも因縁であろうが、有部はレヴェル高いよ
>倶舎八年だよ、理解できてる?
倶舎論は経量部の一派(唯識思想を偽装した架空学説)と有部思想の合成だけど
有部そのものじゃないな
大毘婆沙論とか阿毘曇心論が有部 今あるパーリ五部ってたまたま分別説部がまとめて所持していたものが残ったにすぎず、
実際には部派ごとに所持している経典はみんな違ったんだから、
原始仏典にしろどこまで仏説かわからないし、失われた原始仏典もたくさんあったんだろうな >失われた原始仏典もたくさんあったんだろうな
所属部派はそれぞれ異なるけど非分別部伝承の原始仏典が漢訳四阿含経として保存されてるよ >>116
でも例えばスッタニパータは4章しか漢訳されてなかったと思った >>117
四阿含は完訳だよ
いわゆる「スッタニパータ」は阿含外で伝承されてたから他の部派では雑蔵とか別のカテゴリーに入れられてる
分別説部は四部(四阿含)に加えて小部を作って五部(≒五阿含)体制にしてそこにスッタニパータを放り込んだだけ
ついでに言えば「波羅延経」と「義足経」が特に重視されたのであって
これを他の小経典群と合体させて「スッタニパータ」というアンソロジーにしたのはそれこそ分別説部の伝統 パーリ四部と四阿含は大体重なるけど、片方にしか含まれていない経、結構あったような 増広はあるけど概ね諸部派で4アーガマの内容はは一致してる
だからインド語そのままで保存されているパーリ経蔵は仏説を知りうる最重要の資料とされてるわけで アーガマ・ニカーヤの同質性は律蔵が諸部派でけっこう異なるのと比較すればよりいっそうはっきりする 漢訳でも大衆部所有と言われていた増一阿含経は声聞、縁覚、菩薩の三乗が説かれていたりして、かなり後代の成立か、大乗仏教徒による改ざんの可能性が指摘されていたと思った。
もっとも対応するパーリ増支部もパーリの中では後代に成立したと言われていたと思ったが、流石に三乗までは説いてはないですね。 増一阿含経は一度漢訳されたものがあったのを
再度別本(?)によって再漢訳した経緯があるから大衆部かどうかすら怪しいと思う
そこだけが阿含経の残念な所だね >>123
そうでしたか、それは存じませんでした。
それは残念ですが、ただ大乗仏教の草創期に触れる手掛かりとなる経典かもしれないという部分では興味深いかもしれませんね。 日本てなんで原始仏典は小部経典ばかり読まれて四部は注目されないのか もともと構造上語形が変わりにくい韻文の方が散文よりも古いって説が固定化しちゃって
さらに天下の岩波書店と中村元がスッタニパータを翻訳してそれが大ヒットしたってのが大きいと思う なるほど!
スッタニパータ、ダンマパダばかりがメジャーになって
四阿含はマハーパリニッバーナ経以外見向きもされないのはそういうことか
岩波のあれだけじゃ四諦、五蘊、八正道、十二因縁とかわからんと思う >>125
テーラワーダ過激派の集いとしか思えん
全日仏青とかか
知恵袋でもsanとか暴れてるのがいるし
四ニカーヤ狂信者で分別説部の徒だな と言われていたとか
テーラワーダ過激派が言うのは、またまた論拠があやふやで
願望優先で主観的過ぎて偏向セクト主義というか、それこそ妄想分別のデタラメ
独善の輩、悪覚の極み 阿含経を否定してもいいんだけど
じゃあ日本の大乗仏教徒がもはや大乗経典を仏説と思ってないし信仰もしてなくて
ただ分別説部を叩いてるだけなのが不思議でしょうがないんだよな
チベット仏教なんて大乗経典はバリバリの仏説だと信じてるし自分たちの教えに誇りをもって大乗者やってるのに
この大乗非仏説を認めながら阿含経も否定してる謎の人たちの意図が不明すぎて怖い 「××は異端だ」という志向性は、キリスト教的な、絶対優位の善と滅びるべき悪の両概念の実在視に由来してないか?
仮にも中観の末席に連なる者ならば、外道の論を否定すべきで、凡俗である個々人の蒙昧をあげつらうのは如何なものかね。(笑)
(^。^)但し、バカカルト信者は、仏教とは縁のない売国テロリスト団体の構成員なのでこの限りに非ず。(笑) >>130
まさにこれ。
どの出版社の四阿含も一冊一万円前後のが十数冊。
高すぎ。
テーラワーダはもちろん、大乗にしたってチベット仏教にしたって基本は四阿含。
せめて完訳を文庫化してくれないと困る。
大乗仏教徒だが、四阿含→般若・龍樹→宗派によって法華・浄土・華厳・密教等へ進むのがやはり正解に思える。
日本・中国・チベットのどの宗派も四阿含→般若・龍樹まではやはり基本。 ここに書き込む人はスッタニパータをパーリ語で読むレヴェルやないの?
三蔵の原文(第六回結集版 Chaṭṭha Saṅgāyana Tipiṭaka)。
https://www.tipitaka.org/ >>135
>日本・中国・チベットのどの宗派も四阿含→般若・龍樹まではやはり基本。
完全に同意 『バラモンよ。木片を焼いたら浄らかさが得られると
考えるな。
それは単に外側に関することであるからである。
外的なことによって清浄が得られると考える人は、
実はそれによって浄らかさを得ることができない、
と真理に熟達した人々は語る』
(サンユッタ・ニカーヤ) 日本の上座部→小部のみ
日本の大乗→初期大乗のみ
日本の密教→中期密教のみ 日本の上座部→小部のみ
日本の大乗→初期大乗のみ
日本の密教→中期密教のみ 大学の講義を受けようと足を運んだら幼稚園レヴェルの授業しかやってなかったら
がっかりしますよね 人生でたまたま遭遇してきた情報によって、各人の価値観が形成されてきただけかもしれない
カルト宗教や上座部テーラワーダによって世界観が左右されるのも
それと同じ事では?
【苫米地英人】99.99%が勘違いしているお釈迦様の悟り。
https://www.youtube.com/watch?v=HoQBiPd3BOs 仏滅後七百年後に魔波旬が現われ仏の正法を壊乱する、という話が
大乗涅槃経にあるようで日蓮も引用してるのか、そっち系の方に詳しい人が多いようですが
そもそも
パーリ三蔵等に700年後という数字が出てくるのですか? スッタニパータ
ダンマパダ
相応部経典
中部経典
大部経典
増支部経典
ジャータカ
ミリンダ王の問い
般若経
維摩経
法華経
華厳経
大乗涅槃経
大日経
金剛頂経
秘密集会タントラ
時輪タントラ
大体こんな順番かな >>148
維摩経が大乗最古の経典じゃなかったかな? >>145
パーリ三蔵等に700年
とかいう数字は無いよな。
天魔云々はあるにせよ。そういう年代指定とかが後からとってつけた加上増広というやつかな
ただそうやってみてくと
ウパニシャッドについてはスルーでもサンヒターは批判するとかも
三蔵編纂者の見解が混じったもんだったとかって見えて来ない? >>149
維摩経や金剛般若経にはまだ空という言葉は出てこないんだよね 金剛般若経(般若経の中でも古層)→維摩経→法華経でいいと思う。
般若経は種類が多いので、維摩経や法華経より後に成立したものも多いが、金剛般若経は古層に属する。
ここで注目はスブーティ(須菩提)の扱い。
金剛般若経では重要な存在だったスブーティが、維摩経では軽んじられ、法華経において授記され成仏を約束される。
これが上座部と大乗の関係の変化をそのまま表してるような気がする。
一時期、大乗仏教は大衆部から派生したと言われていたけど、今はむしろ上座部(おそらく法蔵部?)からの派生と言われている。
大乗仏典最古層の金剛般若経の成立時点ではまだ大乗仏教は上座部の内側にあったんじゃないかな。 ブッダの本当のオリジナル仏説のうち
往時の小乗を牛耳っていた分別説部などの不純な輩によりパージされ
大乗だけに残されている部分もある
んじゃないかな 法蔵部所依の大部経典、大衆部所依の増支部経典は、有部所依の中部経典、相応部経典に比べると比較的大乗寄りかな。
般若経より古いとされる法蔵部所依の大乗経典菩薩蔵経とか、もう散逸してしまって内容もわからない。 漢訳大蔵経、チベット大蔵経、パーリ語南伝大蔵経とあるけど、サンスクリット語版が残存するものだけを集めた梵本大蔵経も編纂するべきじゃないか 般若経は般若心経、金剛般若経、小品般若経、大品般若経、善勇猛般若経と主要なものはほとんど梵本が残っているし、華厳経は中核となる十地品と入法界品が単独経典として梵本が残っている。
日本で尊重される法華経、阿弥陀経、無量寿経も梵本が残っているし、維摩経も近年になって梵本が発見された。
密教タントラ、仏伝、龍樹や世親の論書、原始仏典のうちサンスクリット語版も存在するもの含め、これらサンスクリット語版が残存するものだけの大蔵経が作られてもいいと思うのだが。 Un balcon sur les Pyrénées - Émission intégrale
https://www.youtube.com/watch?v=-eOK7LloUv8 『勝鬘経』なんて完全に在家信者が説いた教説でしかなく、
ブッダが説いた教えではない 勝鬘経より
https://i.imgur.com/TvGLAk0.jpg
阿羅漢、声聞、縁覚は完全ではないとするのが勝鬘経 二乗作仏を説いた法華経の後で、勝鬘経など中期大乗経典でまた二乗否定に戻ってるのが退化にしか思えない
法華経の価値は阿含と大乗を統合しうることにある >>162
統合なんかしなくても大乗に根本仏教を内包すれば済む話でしょ?
小乗=部派仏教の一切有や法有人無我の考え方は大乗とは合わないから 根本仏教+大乗で良いよ Henry Litolff, Concerto symphonique No 3 in E Flat Major, Op 45
https://www.youtube.com/watch?v=y8dO04wPhEA 勝鬘経は声聞という呼称は使って無かった😅
声聞ではなく阿羅漢を使ってた 中谷英明氏の
『スッタニパータ』について とか
読んだ方はいますか? ッタニパータは四章が最古で、次が一章、五章の順序と
いう理解でよいですか? >>166
四章 五章が最古だって仏教学者は言ってるみたいだよ >>166
こういうのはどうでしょう。その他の論文でもPDFで読めるものがあります。
ブッダの認識論、あるいはこころの可能性について ― 「闘諍篇」中核部(862-874)訳注
中谷英明(著)
http://classics.jp/HN/ 中谷英明氏の説
・『スッタニパータ』の成立時期は三層に分かれる。
・第四章「八頌品」、第五章「到彼岸品」ならびに第一章における「犀角経」が最古層。
・八頌品と到彼岸品・犀角経とのあいだにも若干の相違あり、八頌品がブッダの在世当時、
到彼岸品・犀角経がブッダ逝去直後の編纂と推測される。
詳しくは>>169であげた論文ならびに以下をどうぞ。同じところでPDFが参照出来ます。
「洞窟八詩篇訳注 −八頌品(はちじゅぼん)の研究 −」
中谷英明(著) 『奥田聖応先生頌寿記念論集』, pp534-550 (2014)
http://classics.jp/HN/ 日本は呪われてる
真敵・職人気質が格差の根元である。
ヤンキー、過激思想、サイコパス等の成れの果てが職人・職人気質です
その職人・職人気質が新たなヤンキー、過激思想、サイコパス等の悪種を生み出すのです。
職人、職人気質が格差をつくり、イジメを生み、犯罪を生み、戦争を生み、地域振興を阻害し、治安が悪化し国力が低下する。
職人気質を廃してこそ日本は平和かつ生産的かつクリエイティブな国家になれるのだ
職人気質は存在自体がパワハラです。緊急事態です。
職人気質は悪しき文化
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1573270987/755
dzf 増谷文雄なんかはどうなの?
カルトに
利用された口
だけど 真我覚醒後の方へのメッセージ
https://www.youtube.com/watch?v=Un4sKIIHHgU
無我とは、サンスクリットのアナートマンの訳です。直訳すると「アートマンの否定」です。
アートマンは、インド思想の根底にある思想なので、インド人にとっては馴染んだ言葉です。
しかし、中国や日本では、アートマンという思想はありませんから、理解しがたい言葉です。
アートマンは、「我」と訳されます。通常、我は、自分のことを表す言葉なので、多くの人たちは我=自分だと受け取っています。
だから、「無私とか私心が無い、我執を捨てた境地といった意味」だと誤解します。
我とは、アートマンのことなので、アートマンとは何かをきちんと学ばなければなりません。
アートマンとは、個の原理・個の主体・個の主宰・個の実体のことです。個の最も奥にあって、
常に観ているものです。それを霊魂のことだととらえる方もいますが、アートマンと霊魂とは異なります。
日本人の多くは、アートマンを理解していないのですから、それを否定するアナートマン(無我)は理解できません。
> プルシャ
アートマンとプルシャを同一だと観る人もいれば、異なると観る人もいます。プルシャについて考える前に
アートマンについて、深く理解しておいた方がいいと思います。
> 真我が覚醒すると現象世界は幻想と気づける
真我というものが何なのかが分かりませんが、仏教では、個の実体を否定して無我を説いています。
真我とか神我とか仏性というものは、あるのは言葉だけであり、有ると断定できないし、無いと断定できません。肯定する対象ではありません。
仏教では、現象世界を仮(概念)だと説いています。色即是空・空即是色というように、
現象は概念であり、概念は現象です。仏教をある程度学べば、現象世界は概念だと気づけます。
それほど、高い境地でなくても、そのことには気づけます。 >>176
自分のフィーリングで後代の増広とか決めちゃう人だから微妙
正法眼蔵でも原始仏典でも自分で編集しちゃう超人 昔は中村元の岩波文庫訳を除くと
増谷文雄の「阿含経典 全四巻」しかなかったが
残念なことに
1.抄訳・・・増谷さんの好みで一部だけの訳
2.重訳・・・漢訳阿含経典に影響されすぎた訳
だった。信頼度がイマイチだった。 テーラワーダ過激派の方で「大乗仏教はヤージュニャヴァルキヤのアートマン思想を拝んでるようなもの」と
言う方がいたけど、
ブッダのヤージュニャヴァルキヤに対する態度は
実際どうだったのかね 寧ろ日本に伝わった漢訳経由の大乗モドキで問題なのは
長部 三明経等で斥けられたサンヒターとかの祭祀主義と重なる部分じゃ
ないのかとも思えるのだが
どうなんだろ >>183
如来蔵を常住の実体と思ってるのってチベットのチョナン派他空説(gzhan stong pa)くらいじゃないの
大乗はなんでも空だ、空だ言いまくってる印象 阿頼耶識は実在であるとする有相唯識も常住?の認識主体を認める点でアートマン論に近い、のかも?
有相唯識の法相宗の僧侶は多分否定するとも思いますが。 有相でもアーラヤ識は瀑流の如く無常だから実在とは言いにくいのでは T1600_.31.0465a05: 依識有所得 境無所得生
T1600_.31.0465a06: 依境無所得 識無所得生
T1600_.31.0465a07: 論曰。依止唯識有所得故。先有於境無所得
T1600_.31.0465a08: 生。復依於境無所得故。後有於識無所得生。
T1600_.31.0465a09: 由是方便得入所取能取無相。
辯中邊論 (No. 1600 世親造 玄奘譯 ) in Vol. 31
「唯識無境」 : 一切は唯だ識のみであるとされることによって、境が存在しないことを理解する。
「境識倶泯」 : 境が存在しないことを理解することによって、識もまた存在しないことを理解する。
唯識という状態になりきってしまうと、唯識ということすらも知覚しなくなる。
参考
『唯識における無相・有相の問題』
高岡 善彦(著) 龍谷大学大学院文学研究科紀要 28, 67-81, 2006
https://ci.nii.ac.jp/naid/110006607763 >>183
原始仏教聖典における“attan”、“brahman”などウパニシャッド的表現については
こちらをどうぞ。
『原始仏教聖典におけるattanとbrahman』
西 昭嘉(著) パーリ学仏教文化学 17(0), 29-36, 2003
https://ci.nii.ac.jp/naid/110002912913
原始仏教の悟りの境地とウパニシャッドの悟りの境地の類似を認めざる得ないが、
原始仏教が説く悟りへの道は実践道であり、それに対してヤージュニャヴァルキヤの
それは形而上学的考察に基づいて悟りを求めるものであり、両者の悟りに到る道は
区別して理解すべきとのこと。 >>187
説一切有部の五位七五の法は実在はするけど刹那滅故に無常 >>190
過去の法は作用を失うだけで存在自体はしてるよ
未来もそう
有部の法は文字通り存在し続ける >>192
七十五の法体はど作用を失った後はどこかに存在する(笑)
それが不条理だから有部は批判されるわけで >>194
そして有部も無くなって 有部の律だけがチベットに残った 笑 有部の法相は過未無体になって倶舎教学として北伝仏教に大きな影響を残した
東アジアで言うならその倶舎教学にも大毘婆沙論と順正理論が影響を与えてるし >>196
龍樹が何を小乗としたのかが正確に伝わって無かったんだね? >>194
不条理じゃないよ
その刹那刹那の法の組み合わせが「過去」に変わらずに存在するからこそタイムマシーンで過去に行けるのだよ
まだタイムマシーンは発明されてないけど 個人的には「南方仏教基本聖典」が上座部日常読誦経典の小部クッダカパータや初期仏伝の中部聖求経、最初の説法であり教えの中核でもある相応部転法輪経、無我相経などが含まれていておすすめだな
これと岩波から出ている中村元先生のスッタニパータ、ダンマパダ、大般涅槃経などを合わせれいいかなと 今は四部ニカーヤの翻訳もタダで読めるし、いい時代になったよ
光明寺経蔵
https://komyojikyozo.web.fc2.com/ 新説!所JAPAN【謎多聖徳太子10人同時の話はウソ?年1日だけ公開(秘)仏像】★1 >965 神も仏も名無しさん2020/02/22(土) 07:13:55.93ID:1/P/xFjC
>部下がここの信者なんだが、怒られてる時に真顔で何かを呟く
南無真如一如大般涅槃経:ナムシンニョイチニョダイハツネハンキョ〜 って
呟いてるんじゃないでしょうか。
本来の仏教ってのは、そういう、呪文とか儀礼とか焚き火してどうにかするっていう
「宗教」を否定してるんですがね だからそこが凄いんですが
結局、【集客のために】仏教はその否定したものを
あとから取り込んじゃったんですよ・・・・・・・┐(゚〜゚)┌ こういう 大乗の涅槃経のいやらしい点は
カルトに利用されてしまうことだが
大乗涅槃経が改竄した事がらのうち最大の問題点は
何でしょうか? 人間が御飯を食べて満腹感を得るには糖質の摂取が必要だが、各人の耐糖能を超える糖質量を摂取すると
「糖毒性」が身体の組織を末端に至るまで破壊し、健康を損う結果を招きかねない。また多量の糖質を摂取しても
身体を動かさず消費しないでいると糖尿病の症状があらわれることもある。人によって差はあるが、日本人には糖尿病のDnAを
抱え持つ人が多いとされる。ブッダの修行で断食は、体を動かさない者には理に叶っていると言える。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています