--佛教論議の伽藍スレ-- 第五巻
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仏教に関するKeyword 「無我」と「アートマン(我)」、「輪廻」や「涅槃(ニルヴァーナ)」などについて、 原始経典(「パーリ五部聖典」や「漢訳四阿含経典」)に説かれているブッダからの教説を中心にして、 激しく議論したり、または有益な情報を互いに交換するためのスレです。 尚、自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されますよう宜しくお願いします。 基本的に仏典(原始経典)の記述を根拠にしていることが大前提ですが、 もし、そうでない場合には明確な理由を必ずしっかりと説明して下さい。 -------------------当スレの戒律(マナーとルール) ------------------- 条項 1.アスキーアートは原則禁止(議論に使用する為の真面目な図解については可) 2.文章、三行以下の投稿は連投を禁止します---落書き帳やメモ帳ではない (チャットような使い方はすぐ1000レス使い切るので辞めて下さい。内容を一つに纏めてから投稿しよう) 3.コピー転載やリンク貼りのみの投稿は慎んでください。 4.一行明け投稿や無駄な空間を使用した投稿は遠慮願います。 5.意味の無い無駄な投稿は完全な犯罪級の荒らしです。スレ主の判断で即刻、退場してもらいます。 6.南伝仏教(または上座部仏教/南方仏教..)を「小乗仏教」と呼称することは差別用語なので使用禁止です。 (1950年の世界仏教会議にて決議した) 7.議論でヒートアップしても相手を不当に侮辱した言葉を使わないこと(節度ある態度で接しよう) 8.仏教徒として当り前の話ですが、ブッダを侮辱する意味の言葉は厳禁です。即刻、退場してもらいます。 9.次スレを立てる際は、勝手に「スレタイ」や「テンプレ」(及びレス番2/資料リンク)を変えないこと。厳守!! 10.円滑な議論のために、当スレでは「コテハン」(固定ハンドルネーム)の使用を推奨します(ただし、強制ではありません)。 以上ですが、基本的には参加者皆さんの良識に期待します。 >>535 >外見似てたら同一人物かよw 見た目だけではなく、肝心なのはその中身の本質だ! 逆にあなた方こそ、ただの見た目だけのウワベだけの浅はかな判断しかできてないでしょ。 >>538 自然科学ではないけれども、 現象界(自然)の性質とその本質について述べたものが縁起の教えであることに間違いがない。 そして、ニルヴァーナ(涅槃)とアートマン(及びブラフマン)だけがこの縁起に拠らないものだ。 まっ、この私の目から見れば、 この今の投稿者の中ではパーピと紐だけが飛びぬけて先頭を進んでる。 後の全員は残念ながら、五十歩百歩のどんぐりの背比べ状態で遥か後方を亀の歩みだ。 >>526 承狂 >仮にも亡命政府代表の立場の人を呼び捨てとか、 > 一体、何様のつもりなんだろうね?(笑) はぁ? 私はちゃんと「法王猊下」と御呼びしたでしょ!! これ以上の尊崇呼称はない。 「ダライ・ラマ」という呼称自体が、 大海を意味するモンゴル語の「ダライ」と、師を意味するチベット語の「ラマ」とを合わせた意味の“称号”であり、 チベット仏教界の最高位の化身ラマを指すものだ。だから、普段は「ダライ・ラマ」云々と呼称して話をしても (これ自体が敬意を表する呼称なので)何ら問題ではないから。そして、チベットではまた、「クンドゥン」などとも呼ばれている。 もちろん直接、呼掛けるような場合には、「ダライ・ラマ猊下」「ダライ・ラマ法王猊下」、 もしくは単に「猊下」「法王猊下」などと及びするでしょう! 本名(ラモ・トンドゥプ)や法名 (テンジン・ギャツォ)を呼び捨てにしたのとはわけが違うから。 >>529 承狂 確かに、 チベット仏教は土着信仰のボン教との融合なのだろうけれども、 それは日本仏教が神仏習合の長い歴史を抱きつつ、神道からの良きエキスも取り込んだのと意味的には大して変わらない。 まっ、いずれにせよあなたの過去からの発言から見て、ボン教含みだからとチベット仏教を軽視しているのは明白だ。 しかし、この私の目からは現存する仏教諸派の中で最も優れているのが彼らチベット仏教であり、 そして、世界中で最も優れた意識を持っている僧侶がダライ・ラマ法王猊下だ。 それから、あなたが馬鹿にしたくてしょうがない「神智学」についても、 現・仏教僧侶の中で最もこの神智学に理解を示されているのもダライ・ラマ猊下であり、 神智学運動に対しては大きな御協力を頂いていることをここに附け加えておく。 >>514 承狂 >因みに過去の七仏さんが「何教で解脱したか」なんて問も馬鹿げてるし。(笑) いやいや意味不明。 あなたは伝統仏教以外は断固として認めず、私の主張についても個人仏教のデタラメと嘲笑する。 ましてや、他の宗教などはすべて非真理に過ぎないという立場でしょう! だから、仏教発生以前の過去仏は一体、何教の教えによって解脱したのかを説明しろといってるのです。 それとも過去仏の話はあり得ない嘘だとでもいいたのか? 全然、馬鹿げた問いなんかじゃない。矛盾がないならば明確に回答できる筈。 しかし、ホントあなたは他の方々からも指摘されてるように精神が腐ってるな。 まだ七セブンは、ある意味で自分にとても正直で真っ直ぐだ。そういう意味ではとても真面目な姿勢にある。 けれど、あなた(の精神の不誠実さ)はいったい何なんだ!!! それに、 ここ最近はまた随分と元気を取り戻したものだね。 ついこの前まであなたは、泣きべそかいて姿をズ〜とくらましてたんじゃなかったっけ??? あの時、この私に何ていってか忘れたようだから、それをここに公開しておくね!! >へぇ?(笑) >釈尊は「真実の自己の追求と具現の必要」なんて説かれたんだ?(笑) > (^。^)釈尊の説いた教えとしてデタラメを言うだなんて、宝珠も堕ちたもんだ。(笑) >じゃあ、釈尊は当然、弟子に「仏陀は本当の自己の追求方法を説く」と何度も強調して説かれたんですね? >「サトリとは、本当の自己の実現である」と。 >(^。^)へー、仏教ってそんな教えだったんだー。 > 「言説不可得」だなんて意地悪なデタラメだったんだー で、すぐにあなたの無知が私によって露呈されてこのザマでしょ!!! どう? 思い出しましたか??? https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1548698413/581-583 >>542 訂正: ×「及びするでしょう!」 〇お呼びするでしょう!」 >>543 また得意の脳内変換か。(笑) (^。^)お前らには付き合いきれんよ。(笑) >>541 > この私の目から見れば、 > この今の投稿者の中ではパーピと紐だけが飛びぬけて先頭を進んでる。 それ、本人たちにとって名誉なことなのか、むしろ…… 545.悟れないバカバービマンである。 バカ宝珠も同じ仲間である、か。 大爆笑である。 >>542 >この私の目からは現存する仏教諸派の中で最も優れているのが彼らチベット仏教であり、 >そして、世界中で最も優れた意識を持っている僧侶がダライ・ラマ法王猊下だ。 そして、 過去スレ四巻 583 >私は、龍樹がブッダの教えの最高の理解者であるとか、 >『中論』はブッダの教えと同じであるとしてはみていません。 >むしろ逆であって、ただ勘違い者を増やし続ける迷惑なものであって弊害ばかりの産物です。 >従って、私は『中論』の記述をブッダの教えの根拠としてみていないし、まったく評価もしていません。 これ、ダライ・ラマやチベット仏教徒に対して言ったら、どう思われるんだろう? 色々と首尾一貫してなくて、支離滅裂な気がするんだよね。 要するに、エキノコックス獣よろしく、虎の威を借るためにダライ・ラマやチベット仏教を出してるんじゃ? >>548 瞋痴に「理解を示して」「協力」してるそうだから、ダライ・ラマ氏は宝珠同様に何らかの普遍の存在や輪廻転生してる個人主体を認めてるんじゃないかな? そーゆー話だよな?(笑) (^。^)ハリウッド映画を引用するまでもなく、西洋人のイメージする仏教ってそんなのだし、 亡命政府代表としては、当然仏教云々よりもチベット存続の方が重要なんだよね。 こうした汚い現実によって、同氏が活佛という文化を廃止しようとするのもやむを得ない話だろうね。 要するに、チベット仏教以外の他宗派に対して権威を振りかざすためにダライ・ラマやチベット仏教の名を出す その実、中観思想のことは馬鹿にする 地面師が他人の土地を使って巨額詐欺事件を起こすのとどう違いがあるというのか Wikipedia >ブラヴァツキーは……、活動の場をインドに移してからはヒンドゥー教や仏教の教えを多く取り入れた。しかしそれらの東洋思想の理解には限界があり、…… >西洋のインド思想・仏教の理解は誤解に満ちており、理解できない部分を「西洋思想」で補って解釈しているため、 >「カルマ」や「輪廻転生」などの解釈は引用元のものとは相当に異なる。 Wikipedia >近代〈神智学〉では、東洋の哲学・宗教の多くの教えが改変されたが、特に「輪廻転生」の理論は根本的に改変され、元来の教義からはるかに遠ざかっている。 要するに偽物・紛い物・捏造品ということじゃん Wikipedia >フレデリック・ルノワールは、「仏教はそこでは、根本的に西洋的な、わけてもキリスト教的な伝統の刻印を残したままの教義を表現するための、一種の口実でしかなかった」と述べ、 >神智学協会が主導した企てを「自身の教義の本体や自身の神話をでっちあげるために仏教を横取りする」意図的な同化の企てであると批判している。 地面師確定! (文句・反論はWikipediaにどうぞw) セブンなんかは、 エキノコックス星人が支離滅裂なのを見て、 理解力が低いからとか、実情をよく知らないとか、 そういう憐れみの心から色々と教えてやろうと10年以上も対話を続けてきたのかもしれないけど 実際、支離滅裂なのは、要するに、 権威を利用するため 中身は馬鹿にしてるんだから もともと他人の土地で金を騙し盗ろうとしているわけだから 全く整合性がないのも、むしろ当然、意図的なものだったと それが実はエキノコックス星人個人の問題ではなく近代神智学の伝統だったと 日蓮宗が開祖から排他的なナショナリズム体質でありそれが創価に至る現在まで受け継がれているように イスラームが開祖からジハーディストでありそれが現在に至っても原理主義者のテロリズムの種となっているように >>548-551 今は時間がないので放置しておくけれど、 あなた方がこの私(宝珠)の見解と相反してぶつかり合う時、 その原因のすべてがあなた方側の“無知”に原因がある。 それ以外にはあるか? そして、無知な者というのは 自分が無知だから私(宝珠)の見解に反発してしまうのだということを理解できない。 そして必ず、己の無知を棚上げしておいて相手側を非難してくる...。 それが“無知”というもの。 山の頂上からは下がよく見えて、そこまでの道程と状態を把握している。 しかし、まだ遥か下を登っている最中の者には山頂までの道程と山頂からの眺めを知ることは決してできない。 そうではなかったことがあるのか? いや、ない! 勉強してから鯉w エキノコックス星人さん、スレ民たちをジャングルジムから睥睨するの図 そりゃ腐卵投げつけられても仕方がないw 片山先生も奈良先生も水野センセも森センセも 馬場センセも村上センセも前田センセも 高楠センセも平川センセも、 み〜んな無知かw 何様か、つー話でね・・・。 >>554 この私の仏教理解は仏教学的根拠に拠るのが殆どだと何度もいっている。 その指摘を認めないのがあなた方でしょ? 簡単なことです。 大基本、まずは仏典の記述に従え! それができないのならば、自称仏教徒を名乗るな! 仏教の看板は外せ!! 私は、仏典の記述に従ってないのが伝統仏教だといってる。 そして、七はその伝統仏教のレベルすらも従わない愚か者だということだ。 ある意味では、紐のいうように部分的には伝統よりも自己の見解に従ってるとは言えるけれどw 以上. w 私の意見は、(細部はともかく、、大枠で) イコール片山先生奈良先生水野センセ森センセも 馬場センセ村上センセ前田センセ 高楠センセ平川センセ なんだけどね・・。 これらと大枠で相反してるのが貴方ですよ。 >>555 また少し落ち着いたら、逐文レスしてあげるから。 ノシ >>556 いやいやもう結構ですよ。七セブンよ! そうじゃ〜なくて、あなたもそろそろここ(このスレ)を去る時がきてるのではないのかい? 『物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、 消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。』(Sn.754) まずは、 これくらいは理解できてからここにおいで。 これすら分からない者にそれ以上の話は絶対に無理だから。 この当たり前の小学生レベルの常識中の常識くらいはだ! でないと、私はとても相手できないな。 以上だ. 取りあえず、 TV番組「ぶっちゃけ寺」の内容で苦情(いつも神社ロケと戦国武将ばかりの内容に対して)をテレビ朝日に送信した。 そして、これから仏教界に対して、 仏事作法から着火物のマッチを根絶してガスライターで統一、一本化できないものかを進言する予定。 何故なら、大アマゾンの森林破壊を少しでも食い止める必要があるから。 この大破壊の主な原因は、日本人の割り箸の使い捨て、爪楊枝、そしてマッチ棒だからだ。 あなた方もアホなことはかりでなく、 どうしたら世の中が少しでも改善されるかを考えるべきです。 >>557 それは、一代と一緒に、 細部まで明確に、 一在家の読みが誤読だと論証した筈だが? 流石鳥頭、忘れるの早いなwww >>555 地面師詐欺、看板ドロボーの外道にそれを言われてもーw 内道者同士でしかそんな批判は有効じゃないよ 昨今の流行で言えば、 ガスライターの方が、 石油製品・プラ製品として罪が重くなるかもしれんがなw つか、 割り箸にしろマッチにしろ(塔婆にしろw)、間伐材等、 「必要と思われる伐採で生じた木材でもある」という側面は無視か・・。 いつもながら視野狭窄だな・・・ >>宝珠 ま、そんな中、こんな呟きもあるが・・・ https://www.zourin.com/2016/07/09/kanbatu/ ガスライティングが好きなんだろうねw 詐欺師だけに >>558 > 何故なら、大アマゾンの森林破壊を少しでも食い止める必要があるから。 > この大破壊の主な原因は、日本人の割り箸の使い捨て、爪楊枝、そしてマッチ棒だからだ。 アマゾン森林破壊日本人(それも割り箸・爪楊枝・マッチ棒限定)主犯説wwwww https://www.hopeforanimals.org/environment/211/ >森林破壊の主因は牛だ。伐採の70%近くが牛のための牧草地に変わっているという。 武田邦彦氏によれば太陽光発電は無駄であり、スーパーのレジ袋有料化も無駄との意見でw 総じて日本のエコ政策は全くダメとの御意見だ。(また彼は地球温暖化は全く問題ない〜とも 言っているw) まあ、宝珠がいくら頑張っても仏典からアートマンの肯定を導き出すのは無理だろうなあ。 我の所有物は例え我が体と言えども我が物ではない〜のならば突き詰めて我は無い〜 となるのが仏教の無我だろう。 だが、いくら無我とは言えどもそれは死んだ後の世界の事で生きている間は我は間違いなく有る。 これを「空」だとか分かったようなことを言う阿呆は実は何も分かっていないw >>566 ジャングルジムの王者のライバルくん来たね。 その低レベル理解での「我」は繰り返し再生されちゃんだよね、残念でした〜w >>566 アートマンではなく五蘊仮和合による自己は無性であるが故に空性である 昨夜は満月に合わせて、MY施餓鬼供養を終了! そして、本日は菩提寺での盂蘭盆施餓鬼大法要への参拝参加、最後に自宅で精霊棚の片付けと送り火となっている。 どう? ここに集うペーパー仏教徒よりは遥かに日本仏教徒らしいでしょうがw とにかく、 適当にアシラッテいるとあなた方はすぐにつけ上がるから、 最近は、思い直して徹底的に間違いを叩き潰すことにしたからw それが逆に、あなた方のためになるものと思うのでね...。 >>564 かつてはアマゾンの樹木伐採の主な原因に日本の割り箸が上げられていたものですが、どうやらそれは何十年か前の古い話だったよう です。それについてはここに訂正します。 しかし、アマゾンではなくても日本が何十年以前から世界における木材輸入大国の殆どトップ〜3位だったことは事実であって、要す るに充分にある国産の森林からではなく、実に木材の80%を発展途上国から格安(場合によっては違法による)の木材を大量輸入してきた。 そして、フィリピンの森林を伐採し尽くしてから、今度はインドネシア、マレーシアと取引の相手を変えてきたのです。割り箸は間伐材 を使用しているから木材を無駄にしないエコ利用だと思っている人も多いのでしょうが、現実には殆どすべてが中国から輸入された割り 箸を使用しており、中国の工場では原木(間伐材ではない)から日本行きの割り箸を製造しているのです。 ということで、マッチ棒も使わない済むならば、やはりそれに越したことはない筈です。 >>562 確かに、ガスライターよりマッチ棒の方が伝統的な和式仏壇には雰囲気としてはマッチwしてるようには見えるけれども、しかし、 ただそれだけのことであって、それ以外はただの弊害しか生んでいないものと思います。 先にまず森林破壊のことを上げましたけれど、その他にも、マッチは亜硫酸ガスが生じて人体に有害(近年は改良されているタイプ もある模様)です。また、マッチはボヤボヤしていると火が近づいてきて指の火傷も起きやすく、それからマッチ棒の使い捨てがいち いちゴミとなっている。そして更には、使用済みマッチ棒によるボヤ火災の原因にもなるのでといいところがまったくありません。 日本中でなされるお盆や彼岸の習慣と毎日の仏壇参りでこのマッチの使用からライターへと切り替わるならば、その効果は大きいも のと思います。僧侶からそのように指導しないから、大衆は“お参りというものはマッチでなければならない”ものだと勝手に思い込 んでいるのです。だから、マッチの需要がいつまでも無くならないのです。 もちろん必要な伐採があることは理解もするし、それについては承知しているけれども、しかし、別に無くても困らないもののため の伐採がなくなって、その分の樹木が助かるのであればそれに越したことはないでしょうが! ガスライターには“補充タイプ”もあるし、また仏檀向きのデザインタイプすらかなり出回っている。それから、プラスチックとい うものは“再利用”も可能であるし、地殻内からの原油抽出(プラスチック製品への変換製造)の行為そのものは生きた樹木の森林伐採 ほどの害悪ではないと思いますが...。 それから蛇足になるけれども、この私は若い頃には林業へと携わっており、山々に分け入って植林〜チャンソーを握って除伐〜間伐 をしてきた。そしてまた、製材工場にも勤務して丸太から製材加工〜チップ製造を経験してきた。一応、いっておくけれども普通は、 植林〜間伐という作業は人口林のことなんですよ。要するに、勝手に人間が利用する都合によって商業的な種類の木だけを植えてそれ を管理してるのです。だから、大自然のアマゾンの樹木保存などとはまったく意味合いが異なる。それらの商業植林などでは決して自 然の森林復活とはならないから。失ったら最後、決して取り戻すことはできない。 それから一応、私は高野山の森林を維持保全する活動も支援しています。 >>559-560 ホント.糞坊主だなぁ〜w いやいや.だからそうじゃ〜なくて、 あのね...悪いけれども、在家さんなんか(何でもアートマン視する癖)とこの私を一緒にしないでもらえます? そして、そんなもので勝ち誇られては困るから。「消滅」とは「涅槃」のことだなんてのは百も承知なの。 その一代の解説すべてはこの私の見解とはまったく無関係だから!! どうやら、やっぱり分からないようだから面倒だけど、ちゃんと説明しますよ! 『物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、 消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。』(Sn.754) だから、「再びこの世の生存に戻ってくる」といってるでしょ。当然、これは輪廻における転生のことであり、来世の生まれ変わりを いっている。その来世に転生してくるものは二つのタイプだと説いているのです。その一つは当然、今の我々であり、肉体を持って生存 している人間のことです。そして、これから生れて来る子供たちのすべてです。そして、もう一つはこれが特にあなたに分かって欲しい 部分なのであって、それが「非物質的領域に住む諸々の生存者」のことですよ。 (意識が在って)生きているのだけれど、それは“非物質的領域”で生きているといっている。これが何かをあなたは理解してるのか? と、この私はいってるわけだ。 先に、輪廻において来世に転生してくるこの現世(それが「物質的領域」)での生存者のことをいったのだから、もう一つは当然、死後 において“肉体無き後の霊存在”のことをいってるのです。あなたのレベルではトンチンカンだろうけれども、一応、簡単に説明してお くから、今度こそしっかりと覚えるように! 人間の意識レベルというものは大きく四階層となっていて、その第一は普通に生存中の通常意識のこと。第二は死後にも一定期間残存 を続ける意識。そして、第三に輪廻主体(基体)である「魂」(jIvAtman/ジーヴァ)があり、更には第四として、究極である縁起しない恒 常にして永遠の「真我/パラマートマン」(paramatman)、通常、ウパニシャッドでいうところの「アートマン」。 神智学分類とヒンドゥーでの呼称はこの通りです。 【神智学】 「1.エゴ(自我)」-「2.マナス/アストラル体(情緒想念形体)」 -「3.アートマ/ソウル(魂)」-「4.モナド/スピリット(霊)」 【ヒンドゥー】 「1.アハンカーラ」-「2.プラーナマーヤコシヤ(カーマローカ)」-「3.ジーヴァ」-「4.アートマン」 このSn.754での再び転生してくる非物質的領域に生存している存在とは、当然、第二階層のアストラル想念形体であり、これが異常 状態にあるとその領域に永く留まることになってしまう。それがカーマ・ローカであり、一般においては幽霊や心霊存在だということに なる。これを仏教では「餓鬼」といっているのです。質問があるならば、いくらでも説明しますよ! だから、あなたは仏教の看板を偉そうに掲げているけれども、私と議論するようになってあれから十年を経て、そろそろこの心霊存在 くらいは理解できるようになったのか?と、聞いてるのです。 まだ、分からないなら、それ以上の難しい話をしても理解できるわけがないでしょう。ということをいってるわけだ。 どう? わかった??? もし、まだ分からないんだったら仏教の看板をせっせと下ろすか、 ボヤボヤしないで何処かへ勉強に行け! 宝珠愚者のころは、もう少し他人の話を聞いてたように思うが、本当に因業爺になったよなぁ。(笑) 仮に、人の本質が魂みたいなものとしてだ。(笑) それは生物進化のどこで肉体に寄生するようになったんだね?(笑) 我々の本質は寄生虫みたいなものだと、本気で信じてるのかね?(笑) 釈尊は、修行者には常に煩悩を払えと説かれたが、 瞋痴の珍説が本当なら、釈尊は弟子にワザと解りにくい説明しかしなかったと、 釈尊は性格が悪かったんだと、そう言いたいのかね?(笑) 或いは瞋痴が上だとでも?(笑) (^。^)畜生道を行くのも一興だろうが、他人様に迷惑を掛けちゃあ、ダメだよ。(笑) 572.573.バカ宝珠の迷信を述べたものである。 大爆笑である。 救いようが無いバカ宝珠である。 大爆笑である。 >>548 >これ、ダライ・ラマやチベット仏教徒に対して言ったら、どう思われるんだろう? >色々と首尾一貫してなくて、支離滅裂な気がするんだよね。 >要するに、エキノコックス獣よろしく、虎の威を借るためにダライ・ラマやチベット仏教を出してるんじゃ? その『中論』についての評価はこの私個人による仏教理解であって、神智学とはまったく関係がない。神智学側からは仏教に対しては 何ら批判するものではなく、すべてに対して敬意を表するでしょう。そのことに間違いがない。 この私はチベット仏教を高く評価しているし、ダライ・ラマ法王猊下のことは心から尊敬している。実際、猊下のことは35年以上も前 から最高の仏教僧として敬意を申し上げてきた。2015年には、ダライ・ラマ法王14世来日法話 『般若心経・菩提心の解説・観音菩薩の 許可灌頂』の講演チケットを購入して拝聴した。また、最近は猊下の生誕〜インド亡命までの半生を描いたドキュメンタリ映画『Kundun』 のブルーレイを購入して、すでに3度拝聴している(素晴らしいものなので1度、家族にも一緒に見てもらった)。 私の評価としてはまちがいなく、ダライ・ラマ法王猊下が世界中における仏教僧侶の中のトップレベルに進化した方であると思う。我々 のグループから提供されたMaitreyaのメッセージからも、全世界はダライ・ラマ法王とローマ法王の二人の声にもっと耳を傾けるべきだ として称賛されています。そして、法王猊下からはいつも神智学運動については暖かいご理解とご協力を頂いています。神智学協会の創立 者であるブラヴァツキー著『沈黙の声』は、パンチェン・ラマ9世からは菩薩道の理想を正しく解説したものとして、また法王猊下からは 初版百年記念にて言葉を寄せて頂いており、この本を高く評価して頂いています。 『ダライ・ラマ法王は、2011年7月17日にワシントンD.C.からシカゴへ移動後、「信仰の架け橋(Bridging the Faith Divide)」と題して神智学協会が主催する2日間のプログラムを行なう予定。』 (ダライ・ラマ法王、ワシントンD.C.にて長寿祈願法要とオバマ大統領会談/ダライ・ラマ法王日本代表部事務所) http://www.tibethouse.jp/news_release/2011/110803_WashingtonDC.html しかし、だからといって、法王猊下が神智学の内容すべてを理解しているとは私は思いませんし、決してそうではないでしょう。猊下は 神智学運動による世界平和への貢献活動を喜ばれているのです。そして、私個人の見解としては、ダライ・ラマ法王とてただの一仏教徒で あり、その理解は伝統仏教の枠を超えたものではないということ。つまり、仏教の説く「一切」についての理解を間違っており、「空」を 誤解していると(私は猊下の著書も所持している)。もちろん、『中論』についてもその他の仏教徒たち同様、素晴らしいものとして絶賛され ていることでしょう。 ということで、この私の理解とは異なる部分はあるけれども、それでも法王猊下の素晴らしさがそれで霞むことはないということ。チベッ ト仏教徒とダライ・ラマ法王のレベルが高くて、神智学とも親和性が強いことの理由の一つが“シャンバラ”の理解にあるのだというのが私 の見方です。シャンバラというのは完成された超人たちの住む永遠なる理想郷であり、彼らはこのシャンバラの実在を強く信じているのです。 何故なら、歴史的にシャンバラの物理的な影響化と霊導が伝統チベットにはあったからなのです。このシャンバラの超人達が全人類を見守り、 そして、導いていることを。それから事実として、人類の歴史における科学の発展と世界中の伝統宗教の発生に関わってきたことを知ってい ます。尚、神智学の場合は彼らの持つ伝説伝説レベルなどとは違って、シャンバラと人類との関係の事実についてその詳細を知っています。 あなた方も仏教徒を自認するのであれば、このシャンバラについては知っておくべきです。 >>549 承狂 >こうした汚い現実によって、同氏が活佛という文化を廃止しようとするのもやむを得ない話だろうね。 いやいや.そんな勝手なデタラメをいわないで貰いたいね。 https://www.sankei.com/world/news/190715/wor1907150021-n1.html あくまでも中国共産党によるチベット侵攻と実行支配の影響下において、 決して紛争を望まれない法王猊下は、もしもダライ・ラマ継承制度が問題であるというのならば これの存続維持には固執しないということをいったまでです。 ただし、チベット国民がこれを必要とし、それを望んでいるのならば、 自身は恐らくインド国内において次の15世として転生するだろうということ。 中国政府が勝手に指名する偽15世などは、決して誰も後継ダライ・ラマ法王として支持しないということ。 >>550-551 >その実、中観思想のことは馬鹿にする > >中身は馬鹿にしてるんだから いや、別に馬鹿になどしていない。 『中論』も真理について述べたものだということはこの私も認めますよ。ただし、それはゴータマ・ブッダの教えとは異なるということ です。ゴータマ仏は決してあのような勝義諦の、すなわち一元論などというものは説かなかった。「輪廻と涅槃に違いがない」などとは説く ことがない。縁起している輪廻現象である「有為」とは異なる世界が「無為」なる涅槃であると、ハッキリと述べているのが『ウダーナ』 ですから。 そして事実、弊害を産むような読まれ方ばかりされているのが『中論』なのです。仏典があれば、『中論』などは不要です。あなた方は 天才ナーガールジュナによる高度な文面を目の当たりにして、ただ手放しで称賛している。ただそれだけです。これをブッダの教えの最高 の理解者などというアホなことをいう者が多いから、正直に「ブッダの説いたものとは違う」と指摘するまで。 それからいつものように繰り返しいっておくけれども、ブッダが『ウダーナ』において違うと明言された通り、「涅槃」も、そして、そこ に住する完成者たる「如来」も「空」などではないから。 >「カルマ」や「輪廻転生」などの解釈は引用元のものとは相当に異なる。 >近代〈神智学〉では、東洋の哲学・宗教の多くの教えが改変されたが、 >特に「輪廻転生」の理論は根本的に改変され、元来の教義からはるかに遠ざかっている。 >わけてもキリスト教的な伝統の刻印を残したままの教義を表現するための だから、私は最初から何度も神智学は仏教ではないといってる。 仏教はブッダによって2500年も古い時代に説かれたものであり、そして、永い年月において内容も変質した。しかし、神智学は違う。神 智学はゴータマ仏とは異なる覚者によって、この近代に直接提供されたまったく新しいものです。従って、それは本来のブッダの教えを含め た、そして、更にこの時代に相応しい新しい内容がそこに加味されている。 現在、これを超えるものは世界中どこを探しても決して見つけることはできない。ただ何も分かってないアホ評論家どもが、勝手に仏教 やその他の諸宗教から都合のイイところだけを拾い集めた紛い物だというのです。 >わけてもキリスト教的な伝統の刻印を残したままの教義を表現するための いやいや.冗談じゃないから! 神智学から見て、もっとも真理から遠いのがキリスト教だ。 神智学普及運動の最大の敵者(邪魔をしてくる)が彼らキリスト教徒たちです。 ブラヴァツキーはクリスチャンの洗礼を受けていたが、教会には無関心であり、キリスト教を信じることはなかった。 そして、若い頃の彼女が敬意を抱いて心から憧れを持ち続けたのが仏教徒になることだった。 その理由は当然、ブッダの教えを奉じるものだと見なしていたからに他ならない。 そして事実、その後に彼女はスリランカ仏教にて受戒を受けた。 >それが実はエキノコックス星人個人の問題ではなく近代神智学の伝統だったと > >>574 承狂 >釈尊は弟子にワザと解りにくい説明しかしなかったと、 >釈尊は性格が悪かったんだと、そう言いたいのかね?(笑) >或いは瞋痴が上だとでも?(笑) 仏教、その他を馬鹿にしているということはない。 唯一の違いはただ一つ。神智学以外の世界の諸宗教は発生から膨大な時間を経ており、内容が変色しているということ。 しかし、神智学は違う。本物のヒマラヤの覚者方からこの近代において直接に伝授された教えです。 従って変色がまったくないということ。だから決定的にそこが違う! その違いが大きい。 >>556 都合よく「センセ」利用してるのは七ではないのか? 多くの仏教学のセンセたちが伝統仏教の無我の間違いについてハッキリと指摘してることを再び羅列してあげましょうか! 全員、同一内容で完全に同じ発言をされているというのに...。 >>571 え? 林務課の人? 聞きたかったんだけど 高野山で伐倒する時は供養的な事はするんですか? >>580 「バカにはしてない」けど、「内容が変色し」たのか。(笑) つまり、「内容」である釈尊の教えを、仏教の先達が正しく伝えてない、「変色させた」という事だが、 それは「バカにはしてない」と。(笑) (^。^)なるほどねぇ。(笑) で? 我々人類はホモサピエンスに寄生してんの?(笑) それとも生物すべてが似たような寄生虫に利用されてんの?(笑) (^。^)対人恐怖症の白色なんたら団さんは何て説かれてんの?(笑) >>574 承狂 >宝珠愚者のころは、もう少し他人の話を聞いてたように思うが、本当に因業爺になったよなぁ。(笑) 進化したのか、それとも退化したのか? ただ老化が進んだことだけは間違いない。 白髪もシワも増えましたわw >仮に、人の本質が魂みたいなものとしてだ。(笑) >それは生物進化のどこで肉体に寄生するようになったんだね?(笑) >我々の本質は寄生虫みたいなものだと、本気で信じてるのかね?(笑) はい、神智学の説くところによれば、 肉体人間に魂が投下されたのが1850万年前のことでした。 肉体というものは所詮、魂にとってはただの乗り船に過ぎません。 使い物にならなくなれば、また新しい船を見つけるまでまでのこと。 こうして、魂は経験を獲得していくのです。それが意識の進化です。 そして、一定基準のゴールに達すればその必要はなくなり、転生は止む(涅槃)。 完成者はすべての乗り船とその人生を思い出し、その記憶は再び失われることはありません。 ダライ・ラマ法王も幼少時までは先代13世だった時の記憶を保持していました。 そのことは映画の中にもよく描かれています。その様を見ていた側近たちにとり、 それはまさに疑いの余地のないダライ・ラマ転生の事実そのものでした。 >>582 承狂 >それとも生物すべてが似たような寄生虫に利用されてんの?(笑) 人類は個別の魂による転生をしていますが、それ以外のすべての動物界は、 そのすべてが一括りで巨大な一つなる「超魂/オーバーソウル」と繋がっており、まったく個別化していません。 人間は個々の経験が個々の成長となりますが、動物界の場合には一つの生命体の生存活動による経験情報はこの超魂へと吸収されます。 そして、すべての動物界における生物の誕生時においてこの超魂からまた1個の“動物魂”が入魂していくことになる。 進化のドアはすでに閉ざされたので、類人猿といえどももう決して人間に進化することができません。 >(^。^)対人恐怖症の白色なんたら団さんは何て説かれてんの?(笑) 表の歴史舞台から秘密裏に働かれてきた『聖白色同胞団』ホワイト・ブラザーフットの存在ね。 シャンバラの命を受けて活動する完成した超人とその限られた高級弟子チェラによって構成された秘密組織です。 >>581 いえ、 ただ地元の北海道で森林組合の作業員として業務に就いていたことがあるというだけです。 製材工場もただの社員として働いただけ(工場では、高野山真言宗僧侶と一緒に勤務していたけどw)。 高野山の事情について私はよく知りません。 ただ、世界遺産/高野山の樹木保存と植林のための寄付に参加してるだけですから。 知っていることは精々、高野山での林業作業者というのはその殆どの人が、 高野山奥之院の特別製、『弘法大師身代御守り』を大切に身に付けて働いてるのだということ。 そして、廃材もすべて無駄にすることはなく、 そこから腕輪念珠などを作成する分なども回したりしています(当然、これは僧侶が祈祷)。 熱帯雨林の伐採は今ではバイオマス燃料の資源としてが主目的。 環境に優しいはずのバイオマス発電が環境破壊を引き起こしているという矛盾。 政府はバイオマス発電への補助金制度はやめた方がいいですね。 空というのはブラフマンアートマンのような起源となるものではなくむしろ逆で自性がないことを指すので、空とは一元ではなくゼロ元です。 全ては縁起による事象であるというのが空の意義です。 そこには何も起源となるものはありません、実体はないのですから。 ウダーナで説かれている涅槃は否定形でしか説かれていません。 要するに涅槃には何かあるのではなく具体的なものは何もないのです。 識別作用を滅却させたところにあるのが涅槃だからそれも当然かと思います。 それは龍樹の無分別智と等しいと思います。 また涅槃な入れば如来は永久不滅だ、などということもブッダは説きませんでした。 むしろあちこちの経典で如来の死後について弟子や外教の修行者から尋ねられた時も一貫して沈黙を貫いていました。 まあ取り敢えずw >>572 >『物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者 ってのは、「三界における「欲界・色界」と無色界」にある者のことじゃねーの? 凡夫であり(修行途上であり)、再生の因をいまだ有している者のことじゃねーの? だから、 ≪『涅槃を知らない(見ていない)者』(悟り得ていない者)は、再び生を受ける≫ という文章なんだろ? だからこそ、その相対として、 ≪『涅槃を知る(見た)者』(悟り得た者)は、再び生を受けることはない≫ となるのだろ? ここで、言われているのは、 悟ってねー奴は戻ってくる、悟った奴は戻ってこない ということだけ。 (アートマンだか真我だか知らんがw)悟ったけど戻ってくる奴はいないの。 だから、寂滅と言われるの。だから、ウダーナ8のように「手の付けられない領域」としてしか描写されないの。 ※勿論、三界の分類やそれぞれの「具体的在り様」については別の議論を持ってもよいが、 上記Sn754・755は、 ≪『涅槃を知らない(見ていない)者』(悟り得ていない者)は、再び生を受ける≫ ≪『涅槃を知る(見た)者』(悟り得た者)は、再び生を受けることはない≫ というシンプルな話。 >>585 >ウダーナで説かれている涅槃は否定形でしか説かれていません。 >要するに涅槃には何かあるのではなく具体的なものは何もないのです。 だから、それが真実の自己、求めるべき自己、 従うべき自己、完成された自己...についての教えがそうでしょう。 そして、それ以上のことは説かれなかった。 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1548698413/581-583 >また涅槃な入れば如来は永久不滅だ、などということもブッダは説きませんでした。 >むしろあちこちの経典で如来の死後について弟子や外教の修行者から尋ねられた時も一貫して沈黙を貫いていました それは、間違いだらけで迷信含みのバラモンたちと同じでいいと勘違いされたくないからですよ。 >>586 とにかく.素直じゃないなぁ...。 肉体無き後の意識生存体について教えている経文はまだまだあるというのにか? しかし、あなたそこまで詭弁奮ってブッダの教えを否定してると、 ホントに不徳を積むよ!w では、もう寺院に向かう支度があるでさいならです。 >>583 多分、自分達が何を言ってるか理解出来てないんだろうなぁ。(笑) お前ら、自分自身を架空の寄生虫扱いしてんだぞ?(笑) 大脳生理学とか、ロボトミー手術の臨床例とか、ちょっと調べれば、そんなバカな話見破れるだろうに。 それに「動物は」「個別化してない」とか、犬とか猫とか飼えばそんな事はあり得ないと判るだろうに。 ヒドイ話だね。 魂の重さを計ったとか言い張った奴も、「動物には魂がない」とかほざいてたが、 キリスト教系統の連中は本当に人間以外の生物を単なるモノとしか見ないよなぁ。 (^。^)あと、チベットのは君らのいう転生ではなく、化身だからね。(笑) 確かに先代の記憶があるというケースが殆どだが、次代の子供を生前に決めたケースも有るんだよ。(笑) >>588 しょうきょうたん、久しぶり。 で、マジ質問なんですが、空海著、般若心経秘鍵 で、 あのないようは、空海は顕教の学習も大事という意味で示している面もあるんですかね? 586.涅槃を知ると、再び生を受けることはない、か。 バカが言う、ことである。 その涅槃は、単なる心理的事実でしかない。 それで、生を受けない、とバカなことを言う、バカ宝珠である。 大爆笑である。 >>584 普通の皆伐でも社長の子供が集材機のワイヤーに弾かれて頭蓋骨やったり その弟が病死したりとか有って やっぱり巨木の伐倒には供養が必要なのかな?と 辞めた今でも時々考えたりするんですよ 高野山のは樹齢数百年の御霊木ばっかりだし あの何かに見られてる雰囲気の中で古木の伐倒なんて 何か供養法でもやらないと出来ないかなって… >>589 だから、俺に聞くなよ。(笑) 習ってる人に聞きなっての。(笑) (^。^)本当に、一体何をしているんだ、お前は。(笑) 学校でお勉強してるんじゃあないんだぞ。(笑) w 私も >間違いだらけで迷信含みの神智学と同じでいいと勘違いされたくないから こうして喋り続けているのですよ。 >>587 半歩譲って、肉体無き後の意識生存体(仏典用語で言えば「無色界にある者」ということになろうが)が、 『具体的生き物』として認められたとしても、 それと有我は全く無関係。永遠の生命なんて御伽噺とも無関係。 十何年の間、私の文章の、いったいどこを読んでいたのやらw 読解力の無さは天界一品だな。 何度でも何度でも何度でも言う。 ウダーナ8を読めていないのは貴方だ、宝珠。 >>579 だからこのスレの我々にではなく、天下のWikipedia様に文句でも言ってねと断っておいたのにw >>593 そこで無色を出すあたり、本当にアレだなぁと。(笑) 俺ならアレでアレだからアレなんだぞと、ハッキリ引導渡すんだが。(笑) (^。^)因みに「不老不死」ならベニクラゲとかヒドラとか、普通に自然界に生息してますが。(笑) それに仏教でも、(笑) >>579 >だから、私は最初から何度も神智学は仏教ではないといってる。 仏教ではないのに、神智学のなろう小説的輪廻転生観を持ち出す。 仏教スレに仏教の純正な輪廻観を突き付けて、セブンらに僧職としての瑕疵を問うのならまだわかる。 しかしエキノコックス星人のやっているのは、同じ輪廻というラベルはついていても、お供え物のお饅頭の中身が泥団子にすり替えられたみたいな、偽物・紛い物・捏造品を食べろと迫るもの。 仏教徒に輪廻を認めさせたいのなら、外道のなろう小説的輪廻転生観ではなく仏教の純正な輪廻な輪廻観を正しい(そして外道の輪廻観は否定して)としなければならない。 そうでないと「他人の土地を使って代金を騙し盗ろうとしている地面師」と同じ詐欺行為なんだよね。 >>577 > あなた方も仏教徒を自認するのであれば、このシャンバラについては知っておくべきです。 知っておかねーよw チベット仏教限定の話であってそこは仏教のエッセンスそのものじゃないだろ それこそ、中国・日本仏教の儒教要素の部分をそれこそが仏教にとってエッセンシャルなものだと主張するのと同じ 地面師詐欺ばっか >>579 > ブラヴァツキー…はスリランカ仏教にて受戒を受けた。 チベット仏教かぶれなのかスリランカ仏教かぶれなのか、どっちなんよ? 地面師的には実際のところ中身はどーでもいいから、一貫性なくて平気なわけだなw >>572 うん、セブンも解説してくれているけど、572も泥団子w >>588 「キリスト教嫌い」という点では、本当は、承狂師の立ち位置の方がエキノコックスたんと「親和性がある」気がするんだけどねえw なんであんなに承狂さんに対して喧嘩腰なんだろうかとw >>585 実体のないものだからいくらでもホイホイ湧き続けてしまう、再生し続けるってだけなんよね それはそこが色界・無色界かの別を問わない 実体を前提として、それが輪廻して存続するというのはなろう小説 >>596 瞋痴のような「輪廻転生」観は、「なろう小説的」ではなく、現代日本、というか現代西洋人の「輪廻転生」観ですよ。 ハリウッド映画のゴールデンチャイルドとか日本の漫画とかを見ればわかりますけど。 >>599 「この不毛を乗り越えて スリランカ」で検索すれば出ますが、瞋痴はスリランカ仏教と因縁があります。 復興成立時から詐欺団体と係わってるのがアソコ。(笑) スリランカのキリスト教による四世紀以上の統治の影響については先述済。 (>>329 ) >>601 同じのは、オカルト側というだけで、瞋痴はキリスト教系統で俺は東洋の系統だからね。(笑) まぁ、瞋痴はキリスト教系統という自覚がないから余計ね。(笑) (^。^)宝珠は人格者らしいから、決して俺が煽ってるのを怒ってる訳ではない、だろう?(笑) しかし、御本人以外は皆がキリスト教系統だと思ってるのになぁ。(笑) >>603 現代日本人の輪廻転生観にふくめる形で、人口に膾炙してなろう小説と呼んでますw あと、まあスリランカ仏教は元がタイ仏教だったりミャンマー仏教だったりすると考えて評価するなりすればよろしいのではないかと そのコメントでエキノコックスたんに言いたかったのは、仏教諸派間でもかなり両極に位置するチベット派と上座派の間で神智学はどう整合つけるのかね?(毛頭ないんでしょ?)とw >>604 なろう小説読者としては、異議あり!(笑) >>578 にあるように、宝珠は「中論は不要」という人ですよ。(笑) あと、寺和田さんは「人生は無意味」と公言してる連中ですので、伝統的な上座とは分けて考えてあげてほしい。(笑) (^。^)そんな簡単な話じゃあないと思うよ。(笑) >>605 んーまあ、経験値が引き継がれるシステムとかは菩薩道の波羅蜜システムと見れないこともないですけどねw 基本はチートシステムですよね、あれはw 楽変化天あたりとリンクしている世界なのかな〜 確か、霊魂(生命の実体)が肉体と別個に有るや無しやの話も十無記の一つ 常見だと別個にあると考え霊魂は存続すると見、 断見だと肉体死とともに命は尽きると見る いずれも無記の対象 要するに仏教的には不適切な観点によってそもそもの問いが発せられていると見るべきもの https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%AA%E3%82%8D%E3%81%86%E7%B3%BB なるほど。 皆さんが何を言ってるのか知りませんでしたが、納得w >なろう 神智学に限らず、昭和以降の新宗教系はコッチでしょうね。 (そしてヨーロッパアメリカ、キ教系なれば、尚のことその傾向は強くなりそう) その意味で言えば、(詳しくは見てないが)創価も、その出発時は良き方向性だったかもしれない。 今の創価は池田教、と。 その他、明治大正期の新興宗教系も、時代背景や人々の生活環境・レベル等を考えれば、 発生も必然なら成長拡大も必然だろうな・・、と。 まあ、 そういう俯瞰視線で見れば、 神智学系の「人間中心主義のキ教土台の思想」が、 「個人の尊厳や権利、或いは自由、或いは夢」を重視する近代的人間観に立脚したインテリゲンチャの間で流行するのも むべなるかな・・と。 で、そうしたインテリにとって、神智学的枠組や種々の枝葉要素は、(ロープレゲームの設定の如くw) 実に魅力的で、自分らの願望をかなえてくれそうな輝かしい物語に見えることだろう。 >>587 ブッダが般涅槃した如来の死後について ―如来は死後に存在し、かつ存在しない―、あるいは―如来は死後に存在するのでもなく、かつ存在しないのでもない― というといに答えなかったのは、勘違いされたくなかったから、ではなく不確定なものであるから、と答えています。 長部ポッタパーダ経でブッダが遍歴行者ポッタパーダの問いへの答えとしてそう語っています。 https://komyojikyozo.web.fc2.com/dnskv/dn09/dn09c06.htm 一方仏教は、 真面目な人間からすれば、途方もなく困難な無理ゲーなわけでw だから、大乗的ムーブメントが必要だったし、 日本でなら、念仏唱名系の存在意義ってのはでかいわけでね・・。 そもそもがハイレベルなのだから敷居が高くて当然なわけだが、 じゃあ、敷居に足が届かない人間は敷居の前で苦悶してろ! というわけにもいかないわけで。 敷居を低くするか、踏み台を用意するか、手段は色々としても、 いずれにしても、誰もが越え得る敷居である必要が要請され続けたというのも、 仏教史の一側面かもしれない・・。 >>608 補 だからこそ、大拙は西洋的価値観(→個の尊厳・霊性)に対抗すべく、 従前の仏教的世界観に西洋色を被せねばならなったし、 彼の、東洋思想(→日本仏教→禅)の宣伝は、 (漱石が身を以て感じ、克服しようとした)西洋化と伝統との葛藤と相似する。 また、はるかに進んだ西洋に追いつかんとする、無意識裡の近代化欲求が、 仏教や禅の解釈し直しにも繋がっていることは否めない。(それはおそらく釈宗演にしても同じだろう)。 大拙が、そうした想いに包まれている中、神智学系の思想は、 実に魅力的なツールに見えたことだろう・・。 良くも悪くも日本は、西洋的価値観の過剰投与によって後遺症を負っている。 まぁ、禅宗がどう擁護しようが、 相手を見ずにベラベラと垂れ流したのには違いないし、(笑) チベットが政治目的に仏教を利用したのも史実だよ。(笑) インドでヒンドゥに追い出されたのも史実だし、初期の中観派が論で勝っても物理で負けたのも多分史実だろう。 (^。^)俺は数十年考えたが、どう考えてもキリスト教系統に呑まれる未来しかないと思うよ。(笑) >>612 それは、 或る一面―「個の尊厳、権利、自由(反束縛)、夢(希望の実現(恣意性・欲望の肯定))」―を、 人間社会の必然と、人類の未来像への必須要件とするなら、 避け得ないかも。 勿論、上記のスキームそのものが西洋的であり (―今話題wのブータン的価値観と比較して優劣を問うことは野暮としてもw―)、 目指すべき唯一の理想形と設定するのもまた、洗脳&習い性かもしれんけど。 >>610 輪廻を前提とすればそのような焦りは必要ないんだけどね 波羅蜜次第 必ずしも今生での結果にこだわる必要はない(修行を怠る言い訳にしてはいけないが) ある段階で輪廻が「前提」ではなく「信じる対象」となった 大乗が発生した 輪廻を前提としない潜在意識を持った人間が 「在家主義」などとほざいて上座・僧籍を目の敵にするわけですなw 犬には仏性がない。 人間にも仏性がない。 なんでか。 無字の公案である。 16日/菩提寺での盂蘭盆施餓鬼法要は参拝者が少なかった。 日照りが強くて暑いのに加え、この後に台風の接近で大荒れとの予報があったからだと思う。 ともあれ無事に、寺院法要と送り火と精霊棚の片付けが済み。 そして、帰宅後の自宅で再び御霊膳と三宝の野菜盛りを捧げての御法楽を以て、 なんとかこの夏のお盆の行事をすべて終了しましたm(__)m >>574 承狂 >宝珠愚者だった頃は、 せっかく総本山から頂いた有難い名前なので使わせてもらっている。 「愚者」だった頃よりはその分、少しくらいは進化したかと? ダメか? 名前だけじゃ〜変わってないかw >>599 >チベット仏教かぶれなのかスリランカ仏教かぶれなのか、どっちなんよ? >地面師的には実際のところ中身はどーでもいいから、一貫性なくて平気なわけだなw >>604 >仏教諸派間でもかなり両極に位置するチベット派と上座派の間で神智学はどう整合つけるのかね?(毛頭ないんでしょ?)とw 教義的上における神智学との親和性と類似性の高さという意味において、そして実際上、この日の僧侶たちの意識レベルの進化 度合いからみて高評価しているのがチベット仏教。そして、一般的に見て現存する仏教諸派の中で尊敬するブッダの教えに最も近 い状態を維持してきたという意味でのテーラワーダです。別に何も、それはスリランカ仏教でなければならないということではない。 そして、その後にスリランカ仏教の消滅の危機を救うためにブラヴァツキー夫人と共に授戒を受けたもう一人の神智学協会創立 者だったオルコット大佐がここへと一人残って、残りすべての生涯を捧げてスリランカ仏教復興のために尽くしたのです。 オルコット大佐は、今日でもスリランカでは英雄であり、彼の銅像が建立されてスリランカ仏教復興の父として讃えられている。 ブラヴァツキーもここで一緒に残りたいという想いがあったのだけれど、神智学を世に広めるという一大使命があったのでそのこ とをオルコットにいわれてヨーロッパへと戻ったのです。 ちなみにあなた方がいつも拝する日本の各寺院での法要イベントで必ず掲げられている「仏旗」というのは、オルコット大佐が キリスト教の十字架に匹敵する全世界的な仏教シンボルの創設を願って、仏典の中から発案して国際会議で採用されたものであり、 日本には実際、オルコット大佐が京都仏教協会からの招聘で来日した際(二度、来日した)に持ち込まれて今日、広まったものです。 >>619 訂正: ×「教義的上における--中略--この日の僧侶たちの」 〇「教義上における--中略--今日の僧侶たちの」 >>615 その台詞は両刃。 今は、どうしようもないんだから、我慢して苦しんでおけ、ってことでしょ。 そりゃ、「来て、見よ」と言われているのだから、 「来れない」者は論外なわけだけどw、 その「来れない者」達に、どう安心(あんじん)を与え得るか を模索した祖師方が居たことには敬意を表したい・・。 >>621 んー、外道のエキノコックスコンコンチキが何か言ってるのかなあ? 輪廻を信仰ではなく前提として、その上で波羅蜜、己の積んだ業次第と捉えれば、極めて平等な、自分の(過去世からの)業がストレートに報われるシステムってだけ まあ外道には当然、そもそも輪廻にしろ何にせよ元から歪んでるし、「歪めてる」から、外道自身にとっては、両刃なわだろうなw 歪めた前提で評価して「だからしゃーない」ということにして、それを前提として別のベクトルを作るのも勝手だし、それはまたそういう歪めた業にふさわしいように宿命も形成されていく というのが業論てもんだでw >>622 その点(仏教は実は冷徹っての)には同意だがw、 それで済まないのが、人の世(娑婆)であり、 安居が始まったのも、僧伽へ入るのに条件が増えていったのも、律が煩瑣になっていったのも、 全部、人の世(娑婆)との兼合いなわけで。 個人的には、〔仏教は、本質的に「門前払いをする」宗教である〕、と思っているけれども、 四弘誓願の素晴らしさを考えれば、 〔門戸は常に(―既に!―)開かれていて、入る者拒まず去る者追わず、歩みの遅きも責めず〕 でもあるべきだろうな・・と。w >>623 補足 >〔仏教は、本質的に「門前払いをする」 ・・・ たとえば宝珠・在家・隠居・カラス・桃・紐・・・etc.とか?w >門前払い >>621 補足 >今は、どうしようもないんだから、我慢して苦しんでおけ こういう言い方の内容ではないけれど、 以前からずっと指摘しているのは、 「見返り、平等、苦労に対する報い・評価・報奨」を切望しているのが、 新興宗教系であり神智学だ、ということなんだけどね。 輪廻や、肉体無き衆生を認めることに、それほどの躊躇はない。 が、 現状の不公平不平等苦悩をトレードの如く相殺させるために、輪廻を設定する姿勢には、 断じて賛同できない。 ただそれだけ。 現成の不満の解消ツールとして、トータルで利益を得ようとする姿勢は、株のトレーダーと何が違うのか?とw >>591 はたして、それらの事故が関係があったのかどうは私には確認することができませんけれども、 しかし、私もそのような異変が起きても何も不思議はないと思いますよ。 巨木の場合は魂が宿るといいますが、やはりマズイかと思いますね。 こちら北海道でも、木を切った者が次々の不慮の事故で変死を遂げる有名な恐ろしい切株があります。地元では知らない者はいません。 この切株は今も残っていますけれど、あまりにも祟りが酷過ぎて遂に根こそぎは断念、国道はこの木を避けて不自然に曲げられています。 仏典にも樹は霊樹としてとても多く登場してきますね。 特に、「仏教三霊樹」や「仏教五木」とされるものがよく知られています。 ブッダが悟りを開かれた時に瞑想で座られていた場所(金剛座)の巨木がブッダガヤの菩提樹 (ピッパラ樹、いわゆるインド菩提樹)で、なんとこれは今でも巨木して元気に茂っている。 悟りを楽しまれるための瞑想はまた別の霊樹で、亡くなる時にもまた異なる霊樹の傍でした。 仏陀説話にまつわる聖樹の数々 http://www.ts-kaneko.net/?p=914 丸井 浩解説「ブッダ最後の旅」に学ぶB入滅への決意 http://h-kishi.sa kura.ne.jp/kokoro-727.htm (投稿規制強く「sa kura」のスペース入れました。リンクはスペース削除で) 満久崇 鷲著『仏典の中の樹木--その性質と意義--(1)』 https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/51293/1/KJ00000704278.pdf ああ、>>625 補 逆の位相で、 「怨敵は、その悪行の報いを受けるべき!」 という【報復願望】も同様。 実際、樹木には霊妙なパワーが宿っていて、これを人の霊的な成長の援けとして利用することができるのです。 その中でもこの私が以前に強く推奨したものが、「ルドラクシャ・ビーズ」(金剛菩提樹の実で造られており、ブッダ悟りの菩提樹とは異なる種)です。 これを首に掛けて使うのですが、大変素晴らしい波動があって身体を浄化して不浄なものから守ってくれるのです。 これらのヒンドゥー数珠は総じて「マーラー」といわれているもので、普段は首にかけて使います(できれば肌に直接触れるようにする)。 そして、サンスクリット語で「ジャパ」といって“神の御名やマントラを繰り返し唱える”際には、 このマーラーを手に取ってこの玉を一つずつ括りながら数を数えて使います。なのでこれを「ジャパマーラー」といいます。 これは仏教数珠と同様、その数も108個の輪であり、要するにこれが仏教念珠(数珠)の“原型”なのです。 仏教以前から古代バラモンが使用していたものが密教を通じて、その後しだいにすべての仏教諸派にも導入されていったのです。 ルドラクシャ・ビーズ https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512891346/643 http://wsc-nehan.com/?pid=121674676# 高野山真言宗の末端(事例:引用の「東光寺」)が“伐採供養”をうたっているのですから、 その総本山のある聖地高野山の霊木を伐採するのに供養無しなどとは考えられませんね。それは当然なされている筈です。 私も高野山には一度だけ行ってきて宿坊にも泊まってきましたが、その素晴らしさで大変有難くて、その感謝の想いでいっぱいになりました。 この霊山は最高の聖地ですね! まだの方には是非お勧めいたします。 『枯木・樹木伐採供養 樹木や枯木には多くの生き物が生活しており、老木などの精霊が宿る樹木を不用意に伐採すると、 思わぬ障りを受けるといわれます。生き物に対して感謝と安らぎを与えるご供養です。ある程度猶予期間が必要となるため、 伐採予定日よりも1〜2カ月ほど早めにお申し込みください。』 (高野山真言宗七寶山東光寺 https://www.s-toukouji.or.jp/memorial/ ) それから、割とごく普通に庭木の伐採においても供養してからといわれているようです。 https://curama.jp/magazine/119/ >>591 さんは山仕事関係なんですか? 私は僅か1年足らずの経験でしたが、でもすぐに辞めて本当に良かったです。 間伐というのは人口樹林で針葉樹(松系)の細いのが中心ですけれど、 “大木”を伐採することになるのは決まって“広葉樹林”なんですよ。 広葉樹の広がる山々というのは生き物でいっぱいなんです。 そこは微生物〜甲虫〜野鳥〜小動物〜と溢れていて皆、楽しそうに生きているのです。 その地での主であり、生き物たちの拠り所となっているのが広葉樹の巨木たちなんですが、 これを根元からチェンソーでやる際には本当にいい気はしません。 凄い罪悪感が湧きますし、これが倒れていく時に上の枝にいた小鳥たちが羽ばたくのだけれど...。 それと野鳥の巣があって、それがまた卵と孵りたてのヒナのいる巣なのですが、 それを命懸けで守ろうとする親鳥が羽ばたきながら私の顔の傍で口を開いてズ〜と威嚇しているんです。 もちろん気にはなるけれども、でもとても作業中にその巣を援けてあげることができなくて...。 だから、凄く可哀想で惨くて自分が嫌でしたね。数日間、その親鳥の抵抗する姿が目に焼き付いてダメでしたね 広葉樹の木々すべてを切り倒した後は、 今度はブルドーザーで根こそぎ谷の下まで押し込み除去するのです。最後は黒土もなくなって死の山肌が顔を出す。 山の黒土が売り物となる場合には重機で振るいに掛けて、山の下まで持っていきダンプに積まれます。 「植林」とは聞こえは良くても、商業的に便利な樹木で同じものばかりを植え込むものであり、大抵は製材となる針葉樹です。 これら松系統というのは松脂の影響で殆どの生き物たちはこれを嫌いますね。 なので針葉樹林の山は生き物のいない死の森みたいな感じになります。 それで、私の見てきた経験上では、これらの普通の森林作業では伐採供養などは何もしませんね。 そのような話も聞きませんでした。 各個人が、自分の家庭のお仏壇なり神棚なりに手を合わせる際に、人によっては感謝や謝罪のお祈りをしてるのでしょう。 ということで漁師さんなんもそうですが、自分は殺生をする仕事に就かなくて良かったなと思います。 私たちもそのお陰で頂くことのできる漁師さんには感謝する以外にはありませんが...。 そして、馬頭観音さまかもしれませんが、またどんな形式でもいいので 感謝と供養の儀式というのはして頂きたいものだと切に思います。 ああ、たまたま見つけた過去レス http://toki.5ch.net/test/read.cgi/psy/1305381089/448 448 神も仏も名無しさん sage ▼ 2011/05/20(金) 08:52:29.65 ID:z92NOjIw [5回目] >>442 一代が、丁寧に縷々説明していたことが全く理解できてないんだな・・。 (私の意見への評定はともかくw)、貴方の考えは、仏教では明確に排斥されるものなんですよ。 伝承した弟子達の誤解なんかじゃない。 【根本的に】仏教の視線、スタンスに反するものなんだよ。 「三世に跨る」業報にしても、貴方の言うような跨り方ではない筈です。 継続(して存在)する基体(→真我でも魂でも名前は何でもいいが)なぞ設定してしまっては終わりです。 ※(>>413 への御感想は何かありますか?w) また、>>414 にURLを貼ったように、 「なぜ私だったのか」(≒〔「なぜ、《この私》は《この私》なのか?」「なぜ、《この肉体》に《この私》なのか?」) というのは、実に西洋的(或いはデカルト的と言うべきか?)視線であり、 「縁起」「五蘊仮和合」「根境識の和合」という仏教の一歩手前なのです。 「自を世界の基点・中心とし、世界はそこから拡がらねばならない」という前提から出発する、 「俺が俺が」的価値観なのです。「まず私がいなければ始まらない」という基準取りから外れられないのです。 *(だから貴方は【「一切」の外に“それ”を持ってきた】。 “それ”無くしては成立しないので、【どこかに“それ”を存在せしめねばならなかった】。 実に単純な思考手順です。) *(華厳の法界縁起と対極にある、とも言えるかもしれません。) 哲学界では、こういう考え方にも何かしら名前があるのかも知れませんが、 いずれにしろ、仏教は、そこよりもう一つ先を見据えるわけです。 >>629 瞋痴としては、鳥には「個別の魂はない」んだから、(笑) 個別の魂を持った人間様の、しかも瞋痴の真理を知るところの大先生が、(笑) 一体何を感じるというんだ?(笑) (^。^)バカカルト並みに「ポアシテヤッタ」とか思うべきだろ?(笑) 何で個別に供養なんて思ってんだよ。(笑) >>622 >>623 この二人の論点には、色々と言いたい事もあるが、書き出すと止まらないのでノーコメントとします。(笑) (^。^)てか、いい加減お前らコテつけろよ。(笑) タマに七が発狂したかと思う時があるんだよ。(笑) >>633 確かに動物界の生き物は個別化した魂ではないけれども、もちろん、皆それぞれに自分の魂を内包します。 そして、個体による個性がないなどとはこの私はいっていませんからね>>588 。 この私は動物大好き者でワンちゃんも何度も飼いましたから、彼らは個性がとても強いということをよく知っています。 (子供の頃から生き物好きで何でも飼ってきた。今も20年ほど熱帯魚のアクアリウムを続けています) 逆に、科学のほうこそ動物はすべて本能で行動しているに過ぎないなどというアホなことをいっているのです。 それから、人間が進化の頂点に君臨しているからといって、それ以外の生き物を虐待してもいいことにはならないですからね。 (子供〜少年期に強くはまったフィッシングもブッダの教えと出逢ってからは止めました。それは魚の虐待娯楽だったからです) そんなことはこの私は一度も述べたことがないし、もちろん動物愛護の精神を尊重しています (この私は、オ・モ・テ・ナ・シ☆新次郎妻の動物愛護を応援しています)。 チベット仏教のポアの正しい意味は殺すことなどではないですからね。 それは、死後の行き先を少しでも高い境地に至らしめるという秘法です。 >>596 >仏教ではないのに、神智学のなろう小説的輪廻転生観を持ち出す。 >仏教スレに仏教の純正な輪廻観を突き付けて、セブンらに僧職としての瑕疵を問うのならまだわかる。 はいはい。 この私からは“仏教の純粋な輪廻観”などとっくの昔にすべて突きつけきり、その議論は終えていますよ! その結果として、彼(七セブン)は自分は輪廻というものを信じないけれども、 仏典上においては確かに説かれているという事実は認めると明言したのです。 それにも相当に時間を費やしましたけれどね...。w では彼は、 仏典には説かれているのに何故、それを信じないのでしょうか? @ブッダが間違ったことを説いているから。 Aブッダは説かなかったのだが、後代になって弟子たちによって経典上へと勝手に加えられたから。 Bブッダが輪廻を説いたのはそれが事実だからではなくて、バラモン教の思想を方便利用するためだったから。 Cブッダの教えを信じられないから。 輪廻を信じないタイプの自称仏教徒らはBが圧倒的に多い印象を受けていますが、 しかし、彼はその理由を明言していなかったように記憶します(ニュアンス的にはCか)。 私もその理由についてはあまり追及しませんでした。何故ならば、“信じないのは御自由”だからですよ。 なので、信じない者は別に“信奉しなければそれでイイ”ということなのです。 だから私は、「信じていないのだから僧侶の衣を早く脱げ! これ以上、僧侶の振りをして人々を欺くな!!」 と、怒っているわけです。 ちなみに承狂の場合は、 輪廻とは個人が別の人格として来世に生まれ変わって来ることではないと断固として言い放つので、 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1541436305/21 ならば、これは何だと問い詰めたところ、 途端にそんなこと自分には分からないといってトボケ始め、これには無言を通してきた...。 七は取りあえず、自分の信じるままにまっすぐ一生懸命のレスをしてくるが、 しかし、承狂の場合はかなりズルくてボケているフリを始め出すのです。 また、Bのタイプに、この私からはブッダは「バラモンの受け売りで輪廻を説いてるわけではなく、 すべて自分自身で確認した事実であるからだ」とハッキリ明言している経文を提示しても、 彼らはズルくて、それに対しては無回答を通して無視をします。 以上が、輪廻転生についての実際上の議論の実態ですよ >>609 失礼しました。訂正しておきます。 その「不確定」という言い方は私はどうなのかと微妙な印象も受けますが、 この私としては、“一般的に理解(定義)できる表現を超えたものであるから” が、この場合は正解なのではないでしょうかね。 所詮、これは私の理解ですけれど。 >>593 ではいいでしょう。 仮にもし、“無色界の住人”をも含めるとしましょうか? ならば、あなたは心霊存在すらも信じてないというのに、 天部の肉体無き意識体のことは空想の産物ではないとして認めるということなのかな? (確かに、天部もいずれは下位の境地へと堕ちてくるというからね) そこ.どうなんだい!! で、ハッキリいっておくから。 その聖句がアートマンを説くとか、アートマンがあることに繋がる経文だなどとはこの私は一言もいったことがないからね。 そしてもちろん、私はそのように見なしてはいないからね。 どこかの何でもアートマンのことになるといってくるような人たちとこの私を一緒にしないでくれるか! ただ、心霊存在すらも認められないようなレベルの者にそれ以上の話がわかる筈がないといったまでのことだ!! 何が読解力のなさだ。あなたこそ一流大学で高い金を掛けて何を勉強したんだ??? >何度でも何度でも何度でも言う。 ウダーナ8を読めていないのは貴方だ、宝珠。 誰もこれがウダーナと関係するなどとはいってない。 ブッダは『ウダーナ』において、 縁起しているのが有為で、有為とはまったく異なる縁起しない無為である涅槃があるとして説き、 “この両者は異なるからこそ”有為からの解脱を、有為から解脱したものとしてそのことを覚知できるのだといった。 その有為の縁起の状態を空ともいう。なので、縁起しない無為が空であるということは理論的に在り得ない。 仏教における「一切」とはすべて有為についてのこと。その一切に勝手に涅槃をぶち込んだのが「部派仏教」であり、 これを今日までテーラワーダが“伝承” (口伝とアビダンマ)と称して受け継いできた。 そして、その伝承の流れを他の仏教諸派のすべてが信用した。 しかし、間違っていた!!! 〜以上だ.七セブンよw 昔、〇○大王だとかいろんな変なのが大量に湧いた頃があったよね。 彼らは、この私から輪廻転生を示す明確な経文としてそれを提示しても、 「そういう意味ではない」「そうは書かれてない」と断固拒否するまるで精神障害のような人たちでしたね。 それでは、あなたは「何と書かれていると見ているのか」と尋ねてみると、 もう殆どカタツムリを見てクワガタと返答するくらいのブッ飛び内容だった。 そんな憂さ芝居を打ってでも何とかしてブッダが輪廻を説いたことを間違った情報にしようとするのです。彼らは...。 まさかかセブンまでそうなってはいないだろうね? もし、お望みならば、『ウダーナ』の経文をまたここに提示しますか? それとも、またいつものように“訳が悪い”とか言い出すのですか? (もし訳が悪いというならば、その理由を明確に説明しなさい!) >>631 実にクダラン!!! 輪廻の主体(基体)は仏教では「識」(これが魂)として明確に説かれている。 別に三世に跨ったって、それらもすべて縁起の範疇ですから。 それが縁起の唯一、科学サイエンスの物理や自然科学などとは明確に異なるところですよ。 ただし、これを「アートマンと見なすなかれ!」というのがブッダの注意事項なのです。 だから何度も何度も何度もいってきたように、「魂」と「アートマン」とを混同するな。 味噌も糞も一緒にするな! と、あれほど口酸っぱくいっているわけです。 しかし、あなたのような唯物論のアホが、どうせ「魂」も「アートマン」も同じようなものだろう。 その違いなんか俺らには分からないし、最初からそんなものは別にどうでもいいや〜〜。 どうせ肉体生命の他には何も無くて、死んでから存続する意識などは皆無なのだから〜 が、あなた方の無知で愚かな言い分だからだ。 まずは、自己のレベル四段階を知りなさい。 そして今話している「自己」とはどのレベルの自己のことかが分からないならば意味がない。 それからいつもいつもいつもいってきたように、「アートマンは輪廻しない」からね。 いいかげんに憶えておきなさい! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる