親鸞は34歳の時、同じ法然門下の法友と、仏法上の大論争を三度したと伝えられている。こ

れは今日「三大諍論」といわれる。「諍論」とは、「どちらが正しい仏法か」についての争いをい

う。


 第一の諍論の相手は、後に浄土宗西山派を開いた善慧房証空で、親鸞と首席を争う高弟だ

った。


 親鸞が「阿弥陀仏の本願は、生きているただ今、救ってくださるというお約束です。」断言した

時、善慧房は真っ向から対立した。


 「何をいわれる、親鸞殿。この世で救われた、ということがありましょうか。念仏さえ称えれ

ば、死んだ後に極楽へ生まれさせていただけるのが、阿弥陀仏の本願ではありませんか」


 これが論争の発端だった。


●弥陀の救いは現在か、死後かで衝突


親鸞は「阿弥陀仏の本願は、生きている時、大満足の身に救う約束だ」と説いたから、これを

「不体失往生」という。「不体失」とは"肉体を失わず"ということで、「生きている時」の意味であ

る。「往生」とは「弥陀に救われること」である。


 それに対し善慧房は、「生きている時に弥陀に救われるということはない。弥陀の本願は、死

んだら助ける約束だ」といったので、彼の主張を「たいしつ体失おうじょう往生」という。「体失」と

は"肉体を失う"で「死後」のことだからである。


 阿弥陀仏の本願の救い(往生)は「生きている時(不体失)」という親鸞と、「死んだ後(体失)」

と言い立てる善慧房との一騎打ちだったので、この争いは「体失・不体失論の諍論」といわれ

る。


 親鸞の曾孫、覚如の著した「口伝鈔」という本に記されている論争である。




弥陀の本願は、ただ今


高弟二人の激しい衝突に、周囲の弟子は混乱した。法然は、生きている平生に救う「不体失

往生」が弥陀の本願だと裁断を下す。