0774チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
2019/11/07(木) 22:08:09.59ID:7wD+rBx+自己を守ることをしていない。 自己を捧げて生を終えている。 そうやって生きるすべを見つけることです。 それが真理です。 』
むかしむかし、ある日、或るところで、ある男が、あれぇ、自然が俺を呼んでいる、と、どこかへそそくさと消えて行きました。
ややあって、すっきりした顔で帰ってきました。
おとこは用を足してきたのでした。
またあるひあるところで、おんなが言います、お花を摘みに行ってきます、と。
ややあってすっきりした顔で戻ってきます。
自然、とは、そう言うものである。と思います。
が、自然は自己犠牲、である、、と母性である、と言うのですか。
だとすれば、かの国ではマリア、あるいは、観音菩薩、村境のお地蔵様、だろうか。
父母が亡くなり、そのわたしに、公案は言います、
父母(ふぼ) 未生(みしょう)以前の光を観て来い、父や母が生まれる前に輝いていた光を観なさい、と言うのだ。