> うむ。 学ぶことの少ない人とは自分を見ようとしない人のことだ。 内面を見る内なる目。 気づき。 これだ。 』

眼は本来、脳そのものである。
脳が外の教法把握をしている。
しかも、前方向だけである。

内面を見る目を、武士は 心眼 とでも言うのだろう。

心眼は何を見るものなのか。

相手の動き、こころの動きを見る。
それは相手の眼の動きで相手の心の動きは把握できる。

対峙して戦うブドウ、スポつは必ず目を見る。

柔道は足の動きで相手の心の動きを見る。

言おう、心眼も、相手の心しか見ていない。

坐禅は半眼である。

これを形式、お作法と受け取るのは、初心者だけである。

半眼は全宇宙そのもの、一切 である。

内と外を同時成仏である。