碧巌録(へきがんろく) 第11則? 黄檗(おうばく)酒糟(しゅこう)の漢(かん)「一知半解の仏法に自己満足している修行者のこと」   

本則

黄檗、衆(門下の修行僧達)に示して云く、
「汝等諸人、尽(ことごと)くトウ酒糟の漢、いんもに行脚(あんぎゃ)せば、いずれの処にか今日あらん。 還(かえ)って知るや。大唐国裏(だいといこくり)に禅師(ぜんじ)なきことを」。

時に修行僧あり出(い)でて云く、「只(た)だ諸方の徒(やから)を匡(ただし衆を領(し)いる如きは、又そもさん」

檗云く、「禅なしとはいわず、ただこれ師なし」。
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注:
黄檗(おうばく):臨済禅師の師である黄檗希運禅師(?〜850頃)
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →百丈懐海 →黄檗希運
トウ酒糟の漢:酒粕をたらふく食べて酔い心地の男。 一知半解の仏法に自己満足している修行者のこと


本則

ある日黄檗希運禅師は、門下の修行僧達に示して言った、
「お前達は誰も彼も酒粕をたらふく食べて酔い心地の男のようだ。 そんな体たらくで、うろうろだらりと修行していてはとても今日のわしみたいにはなれんぞ。 大体この大唐国四百余州には本物の禅師らしい禅師はおらん」。

その時一人の僧が出で来て言った、
「和尚は大唐国裏に本物の禅師はいないとおっしゃいますが、 あちこちの道場には大勢の修行者達を集めて指導している老師方がおられます。 あれは一体どう見たらよいのでしょうか?」

黄檗、「わしは禅がないとは言っていない。 ただこれ明眼の禅師がいないと言ったのじゃ」と言った。


〇 禅は仏祖から一つ鉢の水を師から弟子へと手渡されてきたと主張する。
  その正当性、バックボーン確認である。
  しかしこの過程で、固定化、陳腐化、小型化が弊害として指摘されて久しい。
  大卒が葬式仏教の免許、資格、これが仏教ビジネスである。
  和尚の説法が、宗派の月刊誌を読みあげ済ます。
  大師よ、出でよ、である。