@批判側は三学完全否定の外道ー2

沙門果経83から98節までは”慧学”に相当する。
(『世界の名著1』中央公論社、531頁より)
従って深山が主張する様に82節の段階で解脱したのなら慧学に入る前に解脱したことになり、これは三学による解脱を否定したことになる。
深山や彼に賛同するユビキタス等の批判側は、
三学否定の外道であることは明らかです。