>>259
>他の信者さんたちはペテン大作さんを見てごらんなさい。
>「心の安定」が解脱ではないと十年間書き続けている。(>>249)
>スレ違いだと指摘されようが、釈尊の言葉そのものを示されようが、
何をどう反論されても、反論内容など記憶さえもせず、強烈な復讐心から
同じ事を十年間書き続けている。

同じ事を書き続けるのは「心の安定」が解脱ではないことを深山さんが認めないからです。
あなたは沙門果経に出てくる「心の安定」を
解脱だと解釈した。
それはあなたの過去レスを見れば明らかです。

>392 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 13:20:31 ID:pLPmJkcx
>沙門果経では、別々の特性を並べているのではなく、解脱の同じ特性を
繰り替えているだけです。
>「心が安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」「柔軟」
「機敏にものに応ずるもの」「堅固な不動」とは、全部同じ内容をさしており、
煩悩から離れて解脱したことを意味するのです。

沙門果経は三学経典なので、三学経典に出てくる「心の安定」は解脱だとあなたは解釈したことになる。
だが経典で「心の安定」が出てくる部分は三学の「定」に相当し、これが解脱を意味するわけがない。
釈尊自身が四諦認識の後に自分は解脱したと述べているのだ。
また大般涅槃経で釈尊は三学が揃うことで解脱できることを説いている。
こうした釈尊本人の言葉を示されてもそれを無視しているのはあなたの方だ。
あなたは完全に間違ったのだよ。
おそらく自分が反論される内にあなたもそれに気づいたのだろう。
そこで他の経典にある「心の安定」を引っ張り出して自己弁護を計ったのだ。
何とも浅ましい限りだ。
三学を否定して外道であることを暴露され、
今後も外道街道を突っ走らねばならぬとは。
自業自得だとは言え同情せずにはいられない。