【仏教】悟りを開いた人のスレ357【天空寺】
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罵倒、批判だけのレスはスルー。
悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
修行もする事。(任意)
>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願い。
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【仏教】悟りを開いた人のスレ356【天空寺】
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1549374253/ >>587
人間社会で普通に暮らすことを
大切にしているなら
やらない理由しか
浮かばないでしょうし
座禅会や接心を沢山しても
乞食の行脚等に興味や憧れを
持たないものなんだなと
個人的にとっても残念な気持ちになった コジや?
既存価値の破壊じゃないんだよ、言語によって構築された世界の解体と再生なんだよ。 犬山にはアクセスするなよ(笑)
犬山は話が通じないからね。 乞食行脚は気が引ける。
人の飯をたかるのがね。
それなら餓死するか、狩猟採集で生き延びるか。
乞食すると人との繋がりが出来て、要らぬ人情と受けそうで嫌じゃん。
犬山みたいなムカつくやつはションベンと唾を掛けてシッシッ!だけど
俺みたいにイケメンで真面目そうでガタイがいいと声が掛かるわけだよ。 個人の信仰や悟りは縦糸に、サンガや歴史は横糸に例えていいのでは?
横糸が無ければ糸は縦に伸びないし、縦糸が無ければ糸は沈んでしまう。
まさに、相依性縁起とも言うべきか? >>592
難しいなあ
もしも、己という、この受動体が
これは、己ではなく、縁起、様々なことが、あいよって成立しておるが
その本体としては、何も認められない
と知ると
言うなれば諸活動、そのものに、なっているのであり
己と己の諸活動のように2重の錯覚がとれるのであるが
だからといって、何か、今までの現実が、変わるということは、あるまい、、、
しかし、この、安穏の地点を知っておることが、まったく無意味かと言えば、そんなことはなく
ここで、スッキリしているコツのようなものが、習熟してゆくことが、できるのであり
まあ、そこに、完全に行ったものは、あらゆる渇愛を離れて、惑うことがなくなるのだろう
本来、この、安穏の発見ではなく
この、修行の方に意味があり
もしも、業の尽きたなら、それは、ブッダと同じ、解脱を得て、永遠の平安に入るのだろうね
まあ、しかし、わかってないな
オレは
これは、ソウナノカナという想像に過ぎない まぁ、縦糸と横糸の関係をそう見るのはインド的にしても、ね。 >>592
アクティブに生きることも出来るし、色々諦めて生きることもできる
バカと悟りは使いよう そこを利用するのもアリなんだろうけど、やっぱり重荷になるんだよ。
だから乞食行脚より山篭もりに憧れる。
山篭もりでも北海道の誰も来ないような山奥ね。
青木ヶ原とかだと誰かと会いそうじゃろ。本州の自然は山奥でも人がいる。 乞食行脚はやりたくて
やるものだと思うし
やってみて途中下車できる場合は
とっても贅沢な経験になると思うし
人生終わるまでできるなら
素晴らしすぎると思うよ
私ならそのぐらいやって
得られるものがお釈迦さんの
経験だと勝手に思っているんだよ
できないからとっても
憧れるばかりだけどね チベット密教の聖典では
この智慧は修習されなければならないと
されている
六波羅蜜により、智慧の完成を目指して、練習していくのが仏道であり
ブッダの説いた、五蘊皆空の意味を知ることとは、また、これは、違う
この、五蘊皆空の、その、ポイントを発見したことを悟りと言ってもいいかもしれないが
それは、道を知らなかったものが、スタート地点を発見したことであり
ようやく、コレより、練習
分け与え、静慮することの意味がわかったということであり
仏道は、そこから、歩むことが可能となった
ということに過ぎず
ブッダは、これの道を極めた達人なのだ
たぶん 堺屋太一は地獄に落ちのかなwww
あいつは色々悪さしやがったからなwww
83歳長生き過ぎるわwww
あとはキッシンジャーが死ぬのを待つばかりかwww
日本の未来は明るいぞwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www >>603
そこまで人がいない所だと
北海道しか思い浮かばないね
昔のアイヌの暮らしみたいだね
相当身体強くないとだね
かっこいいな ルヴァンを買って来たのじゃwww
カシスジャムをつけて食べるのじゃwww
とろけるチーズ忘れたwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www 朝まで生テレビのメンツはかなり死んだな。
西部邁、大島渚、小田実、野坂昭如、塩田丸夫、ズラコンサルティング、堺屋太一
女は図太く、福島瑞穂、辻元清美はまだ生きている。 こじくんのよく引用する
クリシュナムルティが
見るものは見られるものである
と言ったらしいが
これは、見るものとは、己のことを言っているのだろうか、それとも、見る、もの、つまり、眼前世界のことだろうか
この眼前世界は、見るものは
見られるものである
見られるというのは、これは、向こうからの働きかけのことを言うのだろうか
この要点は
見られる、つまり、これは、見るという働きが、縁起して、起こっている様を言いたかったのだろうか? ワシはだいぶ体が弱くなったから北海道の自然で独居生活にはまだまだ力不足だと思うのじや
三浦雄一郎みたいなやる気もないのじゃ それとも
見るものとは己の存在のことを言ったのだろうか
つまり、見る者は、見られている
見るものは、それ以前に、見られているのであり
つまり、この、見るもの以前に、この、見るものを成立せしめている働きがあり
その、見られている働きとは、、、
己を超越しておるのであるから、その、超越において解放されるべきのような
こちらの意味だったのだろうか クリシュナ無理ティーは妻帯者でありながら浮気していた執着の塊で俗物です。 >>589
読書が苦手なのでそのようにかみ砕いて説明してくれると
分かりやすくていいです。ありがとう
悟ってはいるけど完璧には悟ることはないんだなと思う今日この頃 >>610
そこら辺の問題については、既に唯識仏教で見解が呈されてますね。
自体分が見分(見るもの)と相分(見られるも)に分析されるのだ、と。
心外無法(心の外に法はない)ですから、心のうちに法が生じるという事ですかね。自他を隔てる認識が縁生すると。
その自他を隔てる認識は、阿頼耶識を常・一・主・宰の我と錯誤する末那識に由来すると。 コジの悟り認定は甘すぎるのじゃ
少なくともアラハン以上を悟りと認定していただきたいものだ。 悟りに甘いとかなくない?
とりあえず諸行無常 諸法無我 因縁生起を認識すれば悟りでしょ
悟りのチャンピオンと言うのをみると共有と同じで悟りを何か物凄いものと錯覚してるように見える >>615
この、自己の心が
世界と自己の、この、両者を成立せしめており
しかし
この、無意識の更に根源的な
まあ、光のような、そのような阿頼耶識的なものがあり
それを自己の根源であると誤って見ているということだろうか
すると、この、根源的な光、が、成立せしめている、この、我と世界なるものは、
自己の内部にある阿頼耶識と認識しておるのが誤りで
これらは全存在の基盤としての、阿頼耶識なのかな
そして、では、しかし、この阿頼耶識なるものは超克されるべきものとなってしまいそう 悟れない外道であるバカ大山が言う、ことである。信用しない、が正解である。
大爆笑である。 ルヴァンにはルヴァンとルヴァンプライムとルヴァンクラシカルがあるのじゃwww
やけくそに増やしたのか?www
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www どうなのかな
認識する者が、これが、問題になってくるんだよね
どうしても
認識する 者
ここには、認識するという働きと、それを働かせている存在が前提とされているけど
認識するは縁起しているけど
その、認識を働かせている、者
これは、どこにおるのかっていう問題のように思うんだが >>618
まぁ、末那識自体、同じように分析されて生じた識でして、それが、阿頼耶識には幾生にも渡ってって蔵された種子(≒記憶)が蔵されているので、常・一・主・宰の我と錯誤するというのです。
もっとも、阿頼耶識自体も実体はありませんけどね。 もしも、その、者がいるなら
これは、神とか阿弥陀仏とかに相当するものが登場してきそうだが
認識が働くのは、あいよって縁起しておるからであるが、その、認識自体を創造しておるような存在はない
つまり、我なるものはなく
この、認識は、認識が縁起しておるだけで、その、奥に、それをなさしめている行為者を認めない
って感じじゃないのかな >>624
まあ仏教の悟りはそんなレベルでしょ
しかしその悟りを悪知恵に使ったら仏教ではないけどね >>622
認識するものがあるのではなくて、認識するものと認識されるものは相依性によって同時に生じるって考えてはどうでしょう?
此があれば彼があり、此がなければ彼がない。
此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。
― 小部経典『自説経』(1, 1-3菩提品)
この句の前半部分です。
(前半は相依性、後半は是れ縁性。) >>617
うん、悟ろうと思えばだれでも悟れると思うね
チャンピオンと言っちゃうと位を争っちゃうことになるからなあ >>625
www
あんた、自分で言ってる事の意味さえ理解してないの? 盤珪さんが
わたしの話を聴きながら、他の声も聴こえておるだろう
それが観音菩薩が深き般若波羅蜜を行じておるということだ
と言ったというが
これは、この、聴こえておるという
そのこと自体を言っているのであって
この聴こえておるを創造した観音菩薩が、どこか異空間において働いているという意味ではなくなるということであり
この方が仏教的にはしっくりくる 悟れない外道であるバカ大山が言う、ことである。信用しない、が正解である。
大爆笑である。 こう見ていくと
現実の向こう側に虚無的なものを見る
こじくんの悟りや
現実の根底に、未分化の純粋意識をおく
鬼和尚の悟りなんかは
ぜんぜん的外れになる
2重の存在を我と呼んでいるのが凡夫であり、2重の存在を空とか純粋意識と呼んでいるのが覚者という構造になるから
これは、元からして、この、奥にある実存在のようなものを認める考え方になるから
仏教とズレていると思われる >>600
いろんな人の言動見ると形振り構わず投げてスッキリして判断しやすくなっただけにしか見えないけど
選択肢は狭くなるし >>638
まあ悟ってないオレがいうのも何だが
つまり、悟りというのは
単に、この、みとめておるものの休止の話であって
あんまり、大したことないのだ
そこには何も無い
おやすみ(*゚ー゚*)ノ))だもん こじも鬼和商も仏典を持たない時点で、外道
自分のレスが聖典だと勘違いしてる節がある
仏教を騙って仏教を破壊する者 642.バカの晃が言う。法華経バカである。法華経バカの奴隷である。
大爆笑である。 お釈迦様は経典読んで悟ってない。
経典読んで悟るなら、ウンコ死体マニアで暴力事件を起こした某団体の構成員も悟りになる。
大爆笑である >>627
遺伝により生成された生まれつき持つ判断プログラムが既に脳の中にインプットされていて、制御すなわち行動が他動的だから我の存在があるだけでしょ
本能だったり、環境の影響を受けた時の無条件反射に加えて、教育や経験による学習プログラムに基づく行動が人の行動なわけでしょ シャウ戻ってきなさい
自作自演、自画自賛の件は忘れてあげるから。
このスレにはキミが必要だ こころの中で
憎悪とか悩みとかが
グルグル渦巻いてて
これは自然に起こっているように見え
それでいて自分では如何ともし難く
これらの現にある問題や、憎悪や、悩みなんかが、何とかして解決したいと思い
様々な行動をとっていく訳であるが
その、様々な対応をしておる、我という、そのものの活動が、回転が休止しておるときは
如何なる問題も、そのままにして、解決してしまうではないか
という、無茶な話w >>644
お釈迦様は別格に決まってるだろう
仏教なんだから、仏が「教え」る宗教
その「教え」を捨ててる時点で、外道 >>639
仏教とこじ教は別ものなんだけど、こじ教にとってはアクティブ >>610
観るものも、観られるものも、己ぢゃろう 日蓮系カルト暴力団は集ストや暴力やりながら
ナンミョー唱えて悟れるらしい(笑) 仏はみな法華経に縁して仏になった
その礼拝の姿勢と精神によって功徳を積むことが出来る >>652
無知でも南無妙法蓮華經を唱える者>>>>>>>>諸宗の元祖 糞尿死体マニアの晃さんはナンミョーで悟ったらしい(笑) 653.法華経バカになった、バカ晃である。そこで失格である。
その失格であるバカがやることが、功徳を積む、である。
大爆笑である。 >>650
見るもの
俺が見ている
見られるもの
俺が見えている
この、見ているものは、見られているものとも言えるという意味か?
まあ、そうも言えるな
しかし、この、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、思う
という諸活動は、己が何か行為する以前に、前提としてあるものであり
これを作ったのはお母ちゃんとお父ちゃんだろうが
お母ちゃんとお父ちゃんですら、どうやって作ったのかはわからず
まあえっちとかいうんだろうが
それだって、なぜ、そんなふうにできているのかは皆目なぞであって
これらの本来の働きなるものは神秘そのものである
が
って、何が言いたいのか分からんくなった >>654
こじは、仏教を騙って
己の悲惨な生活を正当化してるだけ >>616
預流果以上で悟ったと言うて良いのぢゃ。阿羅漢以上とか、釈迦レベルなのぢゃ
それでも預流果は、時の経過と共に、阿羅漢になることが約束された者ぢゃ
老いにより、残っておる願望や執着への諦観が極まり、そうなっていくのぢゃろう スピリチュアル系の書物は混乱するだけだから読まなくていい。
クリシュナ無理ティーはセックスしたり浮気したりしてたただの俗物だからね 659.バカ晃は法華経を語って、バカを正当化するだけ、である。
大爆笑である。 >>641
このスレにいる悟った人の言動は、悟る=諦める、限界を知る様に聞こえる
だから何か出来る様になる事がない
成長がない
同じセリフしか言えない人もいるし
真理を知る悟りも、完成形なら成長の理屈は無いだろうけど、現実の世界が成長したり進化してる事について未完成と映る事になる
それなら、なぜ完成形に導けない?となる
だから真理を知る悟った人はいないと思う
つまり覚ってはいるけど、悟ってはいない >>647
そのままにして解決で思い出したけど
癌放置療法ってのがあった >>657
ポッタンは、他者否定だけして
なにも肯定をしない、痴呆老人
バカバカと他人を否定してるようで
その他人に依存してる、中身のない空っぽなレス 法華経は仏陀釈迦牟尼入滅後何百年も後に
どこの馬の骨が書いたかも分からない偽経 大山おwww
四つ足食うんじゃねーぞwww
禅宗は仏教舐めてるのかなwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www >>663
全くその通り
悟るは諦めの境地で、開くを成仏の境地という
悟ることよりも、開くことの方が大事だと思うな
悟りを開くって二つをくっつけると
皆、悟りの方に重点を置きがちだけど 日蓮系カルト暴力団はそれぞれ罵倒し合いながら
財務活動に勤しむ銭ゲバ団体(笑) 663.悟れないバカが言う、ことである。大爆笑である。 >>666
いや、滅後すぐに編纂された
釈迦牟尼仏の本心です >>649
どうして、ただお金貰うのがアクティブなの? >>595
お主はちゃんと理解しておらんが、書いておることだけは正しかろう
観念の世界の解体と再生ね (-人-) いや日蓮系カルト暴力団は閉じるしかないだろう(笑) >>669
こうして外野に嫉妬されることが正法の証です 嘘を信じて、集スト、財務、暴力、ナンミョー唱和で悟りらしい(笑) 日蓮自体が権力欲、嫉妬、承認欲求にとち狂った
俗物の中の俗物。
そんな仏教あるわけないと思うが(笑) なんか
悟りを開く前は山は山であり
悟りを目指してる時は山は山でなくなり
悟りを開いたら山は山である
みたいな言葉あったよね、、、
形が解体されたけど、再び、山は山として見えてるわけだが
この悟りを開いたあとに見えている山は
悟りを開く前の山と同じなら
なんで、悟ったことになるんだろう そもそも悟りってのは苦しみの気づきを言うんだよな
苦をば苦と悟り、楽をば楽と開き
という言葉がある、苦しみを知れば知るほど、
それは悟ったことになるんだろうが
何も羨ましくはない
楽を開く方が有り難いと思う
されば、成仏とは開くにあり、とも言われる >>648
釈迦は別格などではない。無師独悟の仏陀であるが、一覚者である
和智は無師独悟ぢゃが、一来果 >>668
そうだね
悟るでなく、悟りを開くならわかる
開眼すなわち真理を見極める眼力を持つ事
それは、終わりなき追求であり、どこまで見極められる人か?が他人に評価されて、どのレベルかな?と認定されるものと思うな
仏教なんかで、悟りのランクあるのも、それかな?と思う >>680
自分がそーいう人物なら
聖者をみても、そーいう風だと決めつけるんだろうな YouTubeに顕正会で検索したら
薄気味悪い笑みを浮かべた浅井というジジイが出てて拍手喝采受けててご満悦
気持ち悪い >>683
仏は別格だよ
こじは、仏を自分の低レベルまで
引きずり落とす外道と一緒 池田犬策、日顕、浅井
みんな強欲さが顔に出ちゃってる(笑) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています