宗教とは何か?
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たぶん、真理を語っても理解されないで、
言い争いになるばかりだから無記なんでしょう。
でも、そんなことを言ってると、
人類が滅亡してしまいそうな気がします。
自分にできることをしなければ、
といった思いです。 仏陀って後世の人々に曲解されまくってた
被害者だと思ってたんだが 生きることが苦だからこそ愛(神)を探すのです。
でも、愛(神)に出会ったら至福です。
至福を体験したら、周囲に認められるか否かは関係なくなります。
人ではなく、神(愛)と共に歩もうと決心するからです。
釈尊は生涯、幸せだったと思いますね。 三種の神器を再考する ・・・ 鏡・玉・剣
卑弥呼はAD235年、隣国の魏から銅鏡100枚を下賜された。
このあたりから、日本における三種の神器信仰が確立したのであろう。
鏡信仰のもともとは、BC1600年の殷・周時代に遡るという。
古代中国から渡来した日本人ならば、三種の神器の意味を知っていた
はずである。それらは支配者にとって重要な奥義であった。
鏡の意味は ・・・ ソクラテスの「汝自身を知れ」ということだ。
「孫氏の兵法」で言えば、彼を知りて己を知れば、百戦して危うからず。
自分を知ることと、相手を知ることと、どちらが難しいかと言えば、
【自分を知ることの方が圧倒的に難しい】 媚びたり諂ったりする人は、状況次第で裏切る可能性が大。
注意したり、いさめたりする人は大事にすべきだね。
これを逆にすると破滅に向かう。 次は都合で「剣」にしよう。
古代中国から渡来した鏡には、彫り物があり、そこに龍がいる。
つまり日本人は、古くから龍を知っていたわけだ。
日本人は龍は知っていたが、神に逆らうような「悪魔」は知らない。
日本人の通常の感覚では「悪魔」を認めないと思う。
剣=武力でなぜ龍なのかと言えば、草なぎの剣が大蛇の尻尾から
出て来たからですね。そして戦いにおいては武力だけでなく、
なにかもっと不思議な力が支配している。それが「龍」
龍を味方にした者が常に勝つ。
これが奥義中の奥義であり、そんなことがあるのですね。
神に出会い、自分(霊魂)に出会い、龍神に出会う。
そこまでやらないと運命を変えられない。 東洋人は「龍神」を敬う。
自分の欲望を完全に捨てることができれば「龍神」が動く。
だから、自分の欲望をコントロールしようとする。
西洋人は「悪魔」を恐れている。
自分の思い通りに行かないのは「悪魔」のせいだと考える。
だから、神に祈って「悪魔」から逃げようとする。
そして自分の欲望こそが「悪魔」だとは気づかない。
西洋人の欲望は放置されている。
これが西洋人の恐さだ。 古来から成人儀礼というものがある。これは子供時代から決別し、
大人たちの一員になるための「けじめ」である。
子供時代は、成長のために欲望に導かれる必要があった。
しかし成人すれば、逆の立場、家族や集団のために
自分の欲望を抑えなければならない。意識の逆転が必要になる。
東洋人の場合はその極北に、神との出会い、自分との出会い、
龍神との出会いがある。これに対して西洋人の場合は、
「信仰という自己欺瞞」によって欲望をそのまま放置してしまう。
その結果として、子供から大人に脱皮できない、
危険な大人になってしまう。東洋人より西洋人の方が危険である。 龍神は存在するが、悪魔は存在しない。
愛なる神(命)が造った生き物の中には悪魔なんかいない。
神(命)に対立する存在は、善でもなく悪でもない物質だろうね。
ただし、言葉を操る人間は悪魔的になれる。
キリスト教の歴史には悪魔のような人間がゴロゴロしている。
こういった人間が地獄に落ちるのだろう。
地獄は彼らの行き場所である。 玉(八尺の勾玉) ・・・ 支配者の財力
支配者の財力を豊かにする方法は二つある。
A 民を豊かにして、その結果として、支配者の懐を豊かにする。
B 民から絞り取り、その結果として、支配者の懐を豊かにする。
A方式は、歴代天皇、幕藩体制などの考え方であった。
B方式は、消費税を採用して貧富拡大政策を推進する自民党政治。
国民の貧富を拡大すると、豊かな者と貧しい者の対立が激しくなり、
治安が乱れ、国の安全も脅かされるようになる。
貧しい者は結婚もできないから人口も減り、そのために外国人労働者を
入れたら治安はさらに悪化する。こんなことをやっている政治家は、
国の存立を危うくするバカじゃないかと。 グロバーリゼーションの大うそ
人・カネ・モノを国家の枠組みを超えて自由に流通させる?
そんなことをしたら技術の流出が必ず起こる。
人の中に技術があるのだから。
日本は資源がないから技術立国しかないのに、
こんなペテンを信じたら必ず衰退する。
それを見抜く政治家が少なくなったことは大問題だ www
日本を陥れようとする勢力が、日本の国会にもマスコミにも居るという
危機的状況なのに ・・・ TT 孫氏の兵法 計篇第一
孫氏曰く、兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、
察せざるべからざるなり。
日本人はこんなこともわからなくなったのか。
情けない時代になったものだ。TT
文在寅の顔をよく見ると卑しいね。顔にウソつきと書いてある。
金正恩の顔は殺人鬼のそれだ。
南北が統一すれば、文はすぐに失脚、殺されるだろう。 既存宗教の歴史とは即ち殺戮の歴史
異教徒や異端を殺すことを厭わない宗教に依存する国は
異国民や少数派を殺すことを厭わない 「お金いっぱい欲しいんだったらさ、年金あてにしちゃだめじゃない」
「自己防衛、投資、あと海外移住、日本脱出だよね」
「だから国なんかあてにしちゃだめよ」
「あてにするから文句が出るわけでしょ」 >人・カネ・モノを国家の枠組みを超えて自由に流通させる?
>そんなことをしたら技術の流出が必ず起こる。
>人の中に技術があるのだから。
自民族だけが技術使えればいいという傲慢さの方が「大うそ」 だよ >>208-211
キミは日本人じゃないな
はい論破 www 国家神道原理主義者のヒットマークか
日本を伝統宗教共同体にしてたまるかよ
まぁ9条はなくなるべきとは考えてるが 宗教はわきに置いといて、もっとシンプルに考えよう。
子供は成長して大人になる。
愛される側から、愛する側に変わらなければならない。
親や周囲から働くことを強いられ、結婚して子供ができれば、
妻子のために奴隷のように働かなければならない。
おいおい、ちょっと待ってくれ。愛っていったい何だ?
たまたま不幸な育ち方をしたせいか、愛が何だかわからなかった。
そこで愛を探し始めた。信仰心がないから宗教など関係ない。
いま振り返れば、そんな風にまとめることができる。
そして愛を探し当ててしまった。神は「命の雫」であった。
神がいたなんて、それはもう青天の霹靂、ビックリしたなもう。
神を笑い、宗教の勉強を全くしなかったのがむしろ幸いであった。(^-^) 耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。
おのが信仰をやめよ。 by 梵天勧請
この次の釈尊の言葉は何だと思う?
神を探しなさい、だね。
イエスは釈尊より後の「人間」だから、もちろんイエスではない。
ではどうやったら神(命=甘露)に出会えるのか。
これにとことん苦しまないと出会えない。
神(命)に出会えたら、後は簡単、すぐに想受滅して大悟できる。 この板にいる人たちは何かカン違いしている。
神(命)に出会い、自分(霊魂)に出会い、龍神と出会うためには、
聖書も仏典もまったくいらない。
しかし、そういったものに出会った後、自分の体験が何だったのかを
確認するためには、過去の書物が大いに参考になる。
ないよりあったほうがいいし、そこから学ぶものも意外に大きい。 神とは命ではないし
自分とは霊魂ではないし
竜神?緋色の竜? 龍神上げ
ヨブ記はよくできている話であり、
神の傑作、龍神レビヤタンは二つの顔を持っている。
その役割は、神に近づこうする、物質への執着心に汚れた人間を
地上へと追い返すことである。これは悪魔の顔である。
もうひとつは、神への愛から、物質への執着心を放棄した人間に
物質的な恩恵をもたらすことである。これは天使の顔である。
龍神が起こした幸運は「神風が吹く」と言われる。 神への愛とは低知能のことである。
それが証拠に、神への愛を唱える者は、物質とは何か知らない。 神風が吹く
常に真我(霊魂)を生きるのではない。
そんなことできるわけがない。
そうではなくて、ここぞという天王山で、一瞬、飛躍する。
自我(欲望)から真我(霊魂)へ。すると神風が吹く。
物質への執着←自己愛(欲望)┃┃他者愛(霊魂)→命への愛 物質に執着すること、あるいは物質への執着は、心がすること、妄想。
霊魂はそもそもが妄想。 自己愛(欲望)║║他者愛(霊魂)
〜 これだと両者の間にまるでバカの壁がそびえてるようだ。
自己愛(欲望)╏╏他者愛(霊魂)
〜 これにすれば、両者のつながりが見えて来る。
〜 それは「良心」。神が用意した最後の砦。
〜 真の悪魔とは良心を踏みつけた人間のことを言う。 良心とは正義のことであり
環境によって変化しうる相対的なものである
現に殺人罪がある国にも軍隊があるのである 悪魔の正体は、良心を捨てた人間であった TT
そのことに気づいた人は幸いだ ^^ >>227
両親を捨てるとスーパーパワーになるのか? 神道と仏教の習合は簡単に生じたものではない。
もともとの天皇家は神道そのものを体現していた。
しかし538年、仏教が伝えられ、天皇家が仏教に興味を持ち、
仏教側と神道側の間に勢力争いが起こった。
これは587年、仏教側の曽我氏が物部氏を滅ぼすことで終わる。
天皇家は神道を捨てるわけにいかないから、その結果、
神道と仏教の両方を奉じる「神仏習合」の道を歩むことになる。
平安時代初期には、空海の真言宗の影響が強まった。
その後、紆余曲折はあるが、神仏習合は明治維新まで続く。 神道における天皇の役割は、神と人間の間を媒介する祭司である。
他の宗教家が代理をするわけにはいかない。
ところが、人間でしかない天皇は「神」を知らない。
ここに天皇制の大いなるジレンマがある。
古事記や日本書紀には、神との出会い方は書かれていない。
だから神道では天皇の願いは叶えられない。
そのため、仏教や、今ではキリスト教にも関心を持たざるを得ない。
でもその願望は100%叶えられない。
なぜなら、神に出会うためには、死ぬような苦労が必要だから。
苦労を知らない天皇は、苦労を知らないがゆえに、
残念だが神を知ることはできない。 それでは神道をどうしようか。当然、残すべきだと思う。
古事記や日本書紀は、日本人の由来であり、
キリスト教やイスラム教に対する強固な防波堤になっている。
ただし女性天皇には反対。女性は祭司職には向かない。 神道とてフィクションであらなければならない
二次創作やイベントするのは勝手
だが本気で神の実在性を信じたり
人間を神だと思ったりしてはいけない 天照は神であって祭司ではない、とか
伊勢神宮の斎王は祭司やね フィクションをフェイクするからいかんとよ
フィクションはフィクションと弁えた上で楽しまんと >>230
「人間である天皇は神を知らない云々」「神との出会は云々」
これはキリスト教の神と日本の神々を取り違えてるから、こんなバカな結論になる。(笑)
普通の日本人なら、ご先祖様を知らない子供でも墓で拝むわ。(笑)
天皇家は、天津神たる天照大神の直系であり、日本人全てをその氏子として
、先祖たる天津神々を祭祀しておられる。
日本人としての常識すら知らない、こうした連中が、
デタラメな聞きかじりで身の程知らずなふざけた与太を垂れ流してるのを見ると、恥を知れと言いたいね。
(^。^)恩知らずの嘘つきとか、朝○人と同じだよ。(笑) >普通の日本人なら、ご先祖様を知らない子供でも墓で拝むわ。(笑)
神道ではなく仏式の墓で? そもそも仏陀本人は死後の世界を肯定も否定もしてないしな >>236
>>229-231 は、神仏習合を説明しようとした試論ですね。
承狂さん、そんなに暑くならないでください。
それでなくても暑いんだから ^^ 癲狂院の狂者の方が宗教よりはるかに上だぞ。プププ。 >>240
試論じゃなくて単なる妄想でしょ。(笑)
(^。^)で、アンタら、どこのカルト信者さん?(笑)
息子にカルト呼ばわりされてるチンドン屋さん?それとも連続テロリストさんですか?(笑) 妄想でもチンドン屋でも構わないけど、
天皇がただの人間であることは譲れないなw
昭和天皇は「人間宣言」をしている。 神は妄想・・・・・・・・・・基地外が作り
宗教は欺瞞・・・・・・・・・詐欺師が売り
信じるアホは巣喰われる・・・買った馬鹿がトチ狂う みんな
pctwspDzのことは無視してね
怒り狂って同じことしか書かない
一人で繰り返して相手にされない奴ッているだろ
そんな感じだから
「買った馬鹿」とかの言葉を
必ず書くからわかりやすいよ 精神病
病気扱いすると怒る宗教患者はいるが
反社会的人格とみなされるのと、病人とみなされるのはどっちがいい? 例えば
あの「オウム真理教」がさ
「光の輪」でも「アレフ」でも「山田らの集団」でも何でもいいんだけど
教団名を変えてから一度も刑事事件やら民事トラブルやらを起こしたことが無い、と仮定して
《日本弁護士連合会消費者問題対策委員会は、「宗教的活動にかかわる人権侵害についての判断基準」(13細目)を作成し、違法行為になりかねないような、宗教的活動について警鐘を鳴らしています。
ただし、この基準に従うと既存の仏教等でも、「人権侵害」と見なされる可能性が出てくるため、宗教界からは、基準の妥当性について批判が噴出しています。
しかし、それほど宗教全般に厳しいこの基準に照らしても、我々「山田らの集団」は、一項目も抵触しておりません。》
と自画自賛宣伝して
その「山田らの集団」教団が
自分らが「最近は」その13細目に抵触してないことをもって健全な宗教団体であるからという理由で
『「オウム真理教」時代の話をインターネットで語ることは「山田らの集団」教団への名誉権の侵害に該当する』
要は
『我々のような、今現在は健全な宗教団体の過去をあれこれ詮索したりネットで論評する事はけしからんから止めろ』
「名誉毀損で訴えるぞ!」
って主張した場合、こんな主張は法律的に通るものなの? 館長さん - ほか - 50件の動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z6-gKl1c6Yg&list=RDZ6-gKl1c6Yg&start_radio=1&t=3 神道の「三種の神器」は、鏡・玉・剣。
ユダヤ教の「掟の箱」は、十戒の石板・マナ・モーセの杖。
この両者には共通したものを感じる。
「鏡」は「汝自身を知れ」を意味している。
十戒の石板は、その汝が守るべき戒めを直接教えている。
「玉」は財力の重要性を教えている。
マナはユダヤ民族が砂漠で四十年放浪した時の食料である。
「剣」は戦いに欠かせず、戦いは「龍」によって勝利する。
モーセの杖は、地面に投げると蛇になり、尾をつかむと杖に戻る。 「掟の箱」はBC1千年頃、神輿にしてダビデも担いでいる。
ダビデは、軍事的指導者でもあり、宗教的指導者でもあった。
イスラエルの英雄であり、ここから救世主はダビデの家系からやって来る
ということをイスラエル人は固く信じていた。
そのためイスラエル人は、イエスはダビデの家系ではないと猛反発する。
今から二千年前だからもっともな反発だね。 三種の神器にしてもダビデの「掟の箱」にしても、
すぐれた支配者の考えることは同じなのかもしれない。
自分を退け、神と共に行動しようとする。
トランプとか、プーチンとか、中国の×××とか
金正恩とか文在寅とか、どこかの国の安××××とか
チープ過ぎて恥を知れとしか言いようがない www ダビデの担いだ「掟の箱」が、
日本の神輿のルーツである可能性は非常に高い。
何らかの関係があることは間違いない。 ダビデはBC1000年ごろ、神輿を担いでいる。
日本人は今でも神輿を担いでいる。
世界広しと言えど、神輿を担いでいたり、担いでいる民族は
日本人と古代イスラエル人しかいない。
その謎を解くカギは日本の歴史にある。AD283年に弓月君が
朝鮮(新羅?)から120県の民を率いて日本に帰化した。
この民がイスラエル人であれば辻褄があう。
712年に「古事記」編纂、720年に「日本書紀」編纂。
ここで神道が成立するわけだが、この時すでにユダヤ教が神道に
取り込まれていて、それが「掟の箱」という神輿になる。
日本人の神輿のルーツは、古代イスラエル人に由来するかも。^^ 239年、卑弥呼は、帯方郡にあった三国時代の魏に遣使、
魏都で金印を賜受する。
243年、卑弥呼、魏王に物を送る。
266年、倭女王壱与、晋に遣使〜以後147年間、中国と国交断絶
283年、弓月君が民を率いて日本に帰化
卑弥呼は「日の御子」であり、天照大神に該当すると思われる。
弓月君来日との時間的隔たりが小さいので、
「掟の箱」と、「三種の神器」との強い関係が推測される。 聖徳太子はよくわからない。
聖徳太子が架空の人物という説は無いだろうと思う。
バックに蘇我氏、秦氏がいるようだが ・・・ 日本でなぜ「神仏習合」が生じたのか?
もともと神(命)と、悟り(想受滅→霊魂体験)とは、
扱うテーマが違うから相互に矛盾しないということなのだろう。
すなわち神道と仏教は同時に成立する。
孔子の儒教(仁)は神も悟りも説かない。
この社会における人間関係、道徳を説いたものである。
神道・儒教・仏教は同時に成立する。
なぜなら、それぞれの守備範囲が異なるからだ。
二宮尊徳は「神儒仏」教を説いたが、正解なのかもしれない。 >>264 の訂正
弓月君は新羅経由ではなく、
百済 → 伽羅(任那)を経由して日本に帰化したらしい。
>>263,>>265 の訂正
掟の箱 → 契約の箱
どちらも間違いではないが、後者が一般的のようだ。 三種の神器のうち、八尺勾玉(やさかのまがたま)について、
八尺とは何のことだろうと思っていたが、
八尺の糸で勾玉をつないだものだと考えたら合点がいった。
森有礼によれば、八咫鏡(やたのかがみ)の裏側に、
ヘブライ語で「私は在って在る者」という文字が彫ってあるという。
ネットには、天皇家の男子は割礼をやっているという話もあった。
そういえば平成天皇は鷲鼻だった ・・・ 秦氏は平安京の造営に多大な貢献をした。
この秦氏が、全国に1万社以上の「八幡神社」を建て、
神道信仰の土台を構築している。
八幡神社の総本社は「宇佐八幡宮」である。
八幡とはヘブライ語でユダヤのことらしいから、
八幡神社とは「ユダヤ神社」のことかも。^^ 坂本龍馬が薩長同盟を成立させた背景に、
ユダヤの巨額資金が動いた可能性がささやかれている。
日露戦争の時にもユダヤの巨額資金が動いている。
なぜか、日本とユダヤの関係に並々ならぬものがある
としか言いようがない。天皇家がユダヤの直系ならありえる話だ。
かりにそういうことなら、
日本は実は、再建されたイスラエル国家だったということになる。
フッ フッ フッ (`・ω・´)ッ ユダヤ人が日本にやって来た契機は三つある。
@ BC772、北の王国が滅亡。10部族が流浪の旅へ。
A BC587、ユダヤ王国が滅亡。残り2部族も流浪の旅へ。
B AD73、ユダヤ滅亡。離散。
この内のどれかというより、この三つの重層的な積み重ねかも。
景教に関しては旅の途中で学ぶことができる。
秦氏は秦の始皇帝の子孫だと自称するからAの可能性が高い。 秦の始皇帝、BC 259〜210、49歳没
在位期間、BC246〜221、25年間
なお、始皇帝は不老不死の仙薬を求めて日本に使者を送る。
→ 弓月君、2万人の民を率いて日本に帰化 ・・・ AD 283年
→ Aにすれば話が合う。
しかし、皇室に伝わる皇紀元年はBC660年である。
これによれば、@もありえることになる。
いずれにしろ、@ABの民が波状的にやって来たのだろう。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆輪廻卒業キャンペーン・魂の回覧板☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
近年では地球文明の絶頂期を迎え、ここ日本もストレスの多い社会となって参りました。
そこで宇宙の法を理解して、今生で輪廻転生を卒業しませんか?♪
〜世界と人間と輪廻転生のシステム〜
◆この世界は仮想現実(VR)のようなものである。
◆この世界のすべては全自動の因縁生起プログラムによって動いており、
ほんとうは個人的行為者は存在しない。ほんとうは誰一人この世界の動きに介入できない。
どんなに高次の存在がいたとしてもそれも人間同様にプログラムで動いている。
◆人間は自我の催眠システムによって、ほんとうはプログラムどおりに動いてるのに
自分の意思で心身を動かしてる、と感じる催眠状態にある。
◆しかし仮想世界の中では行為の責任が個人に負わせられるのは、法律上も倫理上も仕方のないこと。
◆人生は神聖なるジョーク。すべては宇宙意識の戯れであり、人間の意識もその深層の宇宙意識の一部。
ある意味では意識の中に世界と人間(=仮の自己)が現れ、霊魂が「私」という存在感覚を自我に投影する。
◆生きてる間に自我のシステムに何らかの強烈な力がかかって自我が落ちる(催眠が解ける)
ケースが稀にあり、それがいわゆる悟りを開いた人たちで彼らは今生で輪廻を卒業するといわれる。
◆人間が体験する事象は、基本的には自分の深層意識にストックしてある過去の行為のデータ
を使って現象化してると考えられる。(人間関係なら自分と相手、集団ならその構成員たちのデータ)
◆このデータは前世から現在までのもので、現象化されればデータは消えるが、ネガティブな現象は
それと戦ってしまう自我の防衛システムによって新たにネガティブデータが保存されやすい。
◆このデータが現象化される速度はピンキリであり、人の深層意識の状態と運命によるが、
おそらく平均的には人生の全行為の1/2以上は来世に持ち越されると思われる。
◆この仮想プログラムは自然発生的に起こっていて、
厳密な意味での全知全能のプログラマー(創造神)のようなものは存在しないと思われる。
◆高次の視点で見れば、すべての事象の運命は先々まで定まってる可能性が高い。 ◆現時点の人類のDNAシステムと自然界のエネルギーバランスでは、生前に自我の催眠が解けて
解脱する(真我に目覚める)のはごく稀なケースで、今その部分の転換期に差し掛かってるのかもしれない。
◆しかしこれが仮想世界でほんとうは個人は行為者ではないことを確信してそのことをよく考え抜き、
自我に根ざした行為を控えてハートに根ざした道理に適った行為を心がけて深層意識のデータを浄化し、
真我は不生不滅でありこの仮想世界そのものとそれが現れる源泉の両方であることを確信して死ねば、
死んだときに輪廻を卒業してニルヴァーナにずっといた真の自己に目覚めると思われる。
ただ現時点で多くの人間は我欲を主体としており宇宙の法に従った生き方をしないために、
延々と輪廻の海を漂ってる可能性が高い。
◆このような世界観を直感的に確信して受け入れれば、例え死後に輪廻したとしても、
深い洞察と良縁に恵まれた好ましい流れの運命を享受できる可能性が高い。
◆生前に「来世」という可能性も少し考慮して行為するのは理にかなってるかもしれないが、
死ぬ間際に来世という概念(イメージ)を強く持ってしまうと、それが輪廻の卒業を妨害する可能性が高い。
◆自分で死期が迫ってることがわかるケースでは、最期にはなるべく強い欲望・執着を捨てて、
あらゆる概念を放棄してハートの中心(自我と真我の連結点)で静かにしているのがよい。 ◆人生を例えるなら、人間は既に作られたシリーズものの映画を見てるようなもの。
我々はほんとうは真っ白なスクリーン(=至高の実在、ホトケ)でありその中の小さな点(=霊魂)でもある。
その小さな点が、登場人物の視点から映画の中の世界を見てる。
つまり人間はいわば夢に見られてる側であり、ほんとうは誰も生まれず誰も死なない。誰も何もやってない。
自分が世界の中を動き回ってる、という感覚は自我の催眠によるもので、
実際には真我の霊魂の前に仮想意識とその中に仮想世界が現れて、その中の同化してる登場人物が
動き回ってるようなシーンが現象化されてるだけ。
◆生前に自我の催眠が解けて解脱した場合、メインの自己感覚は真我(映画でいうとスクリーン)の側になり、
仮想意識に中に現れた人間としての自己感覚は非常に小さい(ほとんど私は人間だとは感じられない)ものとなり、
自分が行為者(行為の司令塔)であるという感覚もほぼ消失する。
あえて肉体のレベルに焦点を合わせれば行為者の感覚が発生するが、それは偽りだという感覚が同時にある。
メンタルシステムの最大の障害物である自我が抜け落ちてるので、心はエナジーと喜びに満ち、
常に現在の瞬間を直感的に的確に捉え、非常に慈悲深く注意深く道理に適った振る舞いを自動的にするようになる。
精神的にはネガティブ感情も起こるが幼子のように速やかに消えていく。
自分のことでは精神的には悩まないが、人々が苦しむのを見て胸を痛める。
肉体的(物理的)な痛みは、肉体のレベルにおいては普通の人と同じように感じるが、
同時に真我の位置からの観照も起こる。
AD643、蘇我入鹿、山背大兄王及びその一族を滅ぼす。
AD645、中臣鎌足らの「大化の改新」によって蘇我入鹿滅ぶ。
ーー この時、天皇記・国記を焼失。
AD712、古事記 成立
AD713、風土記 撰上の詔
AD720、日本書紀 成立
ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`)
ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`)
ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`)
ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) 聖徳太子の背後に「秦河勝」がいる。
この二人はほとんど同じ時代を生きていた。
587、物部守屋を滅ぼしたのは秦氏と蘇我氏
592、蘇我馬子、崇峻天皇を謀殺
593、推古天皇即位、聖徳太子摂政になる
622、聖徳太子逝去(49歳) ← 蘇我氏による毒殺?
642、蘇我入鹿摂政になり、勢をふるう
643、蘇我入鹿、山背大兄王およびその一族を滅ぼす
645、大化の改新 → 蘇我氏滅ぶ
ーー 中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足(後の藤原鎌足) おやすみ
,-彡⌒ ミ-- 、
/ ( ・ω・`) /
r-くっ⌒cソ、 /
ノ '、 , 、 _, ' / /
.(_,. ././
,(.,_ `'ー-、_,,..ノ/
~`''ー--‐'
ハゲの話しが終わったら
起こしてね 585、物部守屋等、仏寺・仏像を焼き払う
594、聖徳太子、仏教興隆の詔
588、法隆寺着工 → 607年に完成
603、秦氏、広隆寺を創建・弥勒菩薩半跏思惟像が本尊
607、小野妹子を隋に遣わす
645、大化の改新 → 仏教興隆の詔
647、秦河勝没 → 大避神社に大避大神として祭られる 広隆寺の隣に大避(大酒)神社がある。
そこには三本鳥居があって三位一体を象徴しているらしい。
いさらい井戸というものもあって、それはイスラエルの転訛という。
秦河勝はたぶん「景教」を信じていたのだろうが、
秦氏が構築した神道の「赤い鳥居」は、
出エジプト記12:21−27にある過越の犠牲を意味している。 参道の入口に「赤い鳥居」がある。ということは、
参拝者は自分を犠牲にすることで神に参拝することができる。
それが「赤い鳥居」の意味だ。
人間は精神的に死なないと神に出会えない。 宗教を信仰する目的は、
一人一人の、人間の生命の 救済 つまり、生老病死の四苦や経済的な苦しみや、
対人関係の悩みなどを含む、
人のいかなる苦悩にも、 打ち勝つ 活力を与え 、すべての人々に、 真実の幸福を築かせ 。
尊い人生を、 全うするための 、生き方を教えるところにあります。
従って、 正しい宗教の持つ働きは、単なる精神修養や、
気休めではないのです。
正しい信仰は何よりも、 人間の 全生命の 問題と、 その生き方、人の幸、不幸に関わる、
実に重大な、意義と働きと、 大きな価値を持っているのだということを知ってください。 最初から「信仰」を持ち出すところが間違っています。
おのが信仰を捨てよ、というのが釈尊の教えです。 秦一族は、聖徳太子が亡くなり、その一族が全滅した後、
政治の表舞台から姿を消してしまった。
710年の平安遷都に際しては莫大な貢献をしている。
にも関わらず、影の役割に徹するようになった。
権力闘争を避けるかのように。
この理由として有力な説がある。
「応神天皇」がすでに「ユダヤ系」であったというものである。
倭の女王卑弥呼、次の女王壱与、その次の女王X、この辺りで
ユダヤの血が入った可能性がある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています