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ざっとだけど読んでみた
これは素晴らしいね

全体的な印象としては、Christocentricな視点から、そしてキリストと父の一致という視点から
贖罪と義を定義し直そうとする試みだね、すごく説得力がある

刑罰代償説は、応報的贖罪(retributive atonement)であって、一致するはずの子と父が対立軸に置かれる
Christus Victor説では、回復的贖罪(restorative atonement)であって、子と父が完全に一致する
前者はpunishmentによって、後者はhealingによって義が回復されることになる
つまり前者はあくまでも法的枠組みで考えられた義であり、後者は存在論的に捉えられた義ってことだね

俺はChristus Victor説を単なるransom theory(身代金説・賠償説)と誤解していて
しかも悪魔に支払われたという論でしか考えていなかったけど
この人ははっきりと悪魔にも神にも支払われたものではない、ってナジアンゾスのグレゴリオスを例に
説明してるね(父が要求したのではないが受け取りはした、とは書いてあるけどこれは対価の意味じゃない)
リテラルな法的な対価ではなく、それをメタファーとした存在論的な対価、
つまり罪のもたらす結果からの回復ってことになる

俺自身がキリスト教を刑罰代償説の枠組みで捉えつつ、それが一因でキリスト教に強い拒否反応を
もっていたので、その意味では記事にも書いてあるように刑罰代償説は無神論者を作り出すのかも知れないw

贖罪と義というヘブライ語聖書を含めた聖書の根幹に関わってくる概念に大きな変更を促す考え方なので
慎重に吟味し、再度聖書を読み直してみないと、簡単に諸手を挙げて賛成とはいかないけど
それだけの価値がある論説だ
なるみが今まで断片的に語ってきたことが一本の糸で結ばれるような理論的土台となる可能性もあるね
異端非難を恐れずChristocentricに探求してきたなるみだからこそ探し当てた記事なのかもしれない

ここからは俺の憶測だけど、この筆者は、かなりリベラルなクリスチャンで
その書き方からしてransom theoryに付きまとう神対悪魔、善対悪といった二元論的な捉え方をしてない
もちろんdevilということばは出てくるけど、ぶっちゃけdevilなしで成立する論建てをしてる
だから善悪二元論に否定的な無神論者の俺でも素直に読めてしまう